ねるねるうねるね

そろそろ原稿を書こうと思う。旧知の編集者から1年半以上前に依頼されていたものだ。旭川に異動する話をしたら、「環境が変わって働き方が変わって、診断に対する視座も変わればきっと新しいことが書きたくなるでしょう、そのほうがいいです」みたいなことを言われた。そうかと思って異動の前後では書くのをぱたりとやめた。はたして、こちらに来てから、ありとあらゆる診断に対する見方がちょっとずつ変わっている。基本的には、もどかしさ60%、困惑10%、怒り10%、さみしさ80%、ぜんぶあわせて源泉徴収10%を引き、確定申告して追徴金を納めると、私の考え方は20%くらい変わった。ただし、Aを見てBと思う、が、Aを見てCと思う、に変わるというわけではない。Aを見てBと思う、が、Aを見る前に何をしていたからBと思っている自分が見える、や、Aを見てBと思う私がCを見たらDと考えてしまうかもしれない、に変わった。前よりも多めに考えるようになった。それはトータルのアウトプットでいうと「変わった」と表現すべきだから、私は先ほど「変わった」と書いた。でも、本当は、変わったというより、うねった、のだと思う。うねりのなかにいる。

うねりと言えば組織病理像である。ところで「病理組織」ではなく「組織病理」が正しい、なぜならhistopathologyという言葉を翻訳すれば組織病理学だからだ、という文章を読んで以来、なるほどと思って私は組織病理という言葉を使うようにしているのだけれど、たぶん多くの日本人は、元ネタがどうとかいうのではなくて、「病理(部門でみる/学的にみる)組織像」というニュアンスで語順を決定して、それがしっくり来ていたのだろうから、別に元の言葉がどうであっても、日本語なら病理組織像でいいんじゃないか、ということを近頃はよく考える。だいたい組織病理像と書くと、組織所見の中にある→正常から逸脱した部分(病的である部分)の→ことわりを→像として判断する、という順で読み手の脳に飛び込んでくる。でも、本当は違う、病理医がみる組織像の中には、病的でないものと病的なものとが1:2くらいの割合で存在している。この比率はほんとうはさまざまだけれど、解析の際には、ここを1:2くらいにして取り組んでいくとうまくいくような気がする。ともあれ、病理医がみる組織像は、病的なものだけではなくて、アロスタシスの中にいるもの(便宜上、正常と呼ぶもの)もけっこう含まれている。だから組織病理像をみる、と書くと、「えっ正常は見ないの?」という気持ちが喚起される。となれば私はやはりこれからは病理組織像と呼称していったほうがいいのかもしれない。語順を変えれば解決するというものではないにしろ、だ。なんか、そういう、言葉の順番によって脳のシナプスの一部が潤滑になって、思考が一定の方向に重力加速度を受け続ける、みたいなことはあると思う。まだ考え中。ここはまだ、迷っている。とにかく、「組織病理像という呼び方が正しい」という大声にはちょっと保留のランプを灯しておく。

それはともかくうねりと言えば病理組織像である。ある腫瘍の、細胞がずっと、直列に配置していて、かなり伸長した構造を作っていた。こんなに縦に長く配置するようすを見て、私はまず、「なぜうねらないんだろう」と思った。腫瘍というものは自律性増殖をする。それは私を含めた多くの医療者からすると、好き勝手に、奔放に増えるという意味をまとっている。でも、この、「まっすぐ伸長した構造」というのは、日頃みる腫瘍よりもかなりよくコントロールされている。そのことに私はひっかかった。もう少し、うねるなり分岐するなりするのが普通なのに。なぜこうなるのだろう。

もっとも、腫瘍の「異常な増殖」は、ある程度の秩序をもってコントロールされていることのほうが多い。まったく法則なしに伸びていくのではなく、たとえば階層状分岐、それは川の流れが固有のフラクタル次元に即して分岐していくのと似ている、それはなにか、少数の決定的な因子が全体をとりまとめているために生じる規則性、「垣間見えてしまう強い法則」によるのだろうと想像できる。しかしだ、それにしても、今回の腫瘍は、あまりにストレートに構築されすぎなのだ。どうしてこうなるのだろう。

研究会の最中、コメントをもとめられて、この不思議な病理形態のことを考えていた私はぐっと詰まってしまった。増殖帯はどこにあるのだろう、細胞分化が不思議だ、そういったことを言いながら、少なくとも1時間前までには思っていなかったことが口から出てきた。これは、上皮細胞の遺伝子異常だけで説明できるのかはわからない。たとえば間質細胞から放出されるリガンド、つまりは上皮・間葉の協働という側面でも見たらいいのではないかと思う。なぜかというと、こんな珍しい病像が、こんにちまで解明されずに来ているということ(少なくとも私はこの像になにか特定の名称が与えられているのを知らない)、それは旧来の解析手法である「上皮細胞を培養することで遺伝子の変化をしらべていく方法」ではこの現象が明らかにならなかったからなのではないか。上皮細胞の中に存在する決定的な変異がどれだけ作用していようとも、普通はこういう構築にはならないし、なれないはずである。もっと強い力、秩序の側に引き戻す力がないと、こうはならない。近年になって少しずつ行われるようになってきた共培養の系で、上皮と間葉系細胞との相互作用をふまえた検討をすれば、この「上皮細胞がなにか別の力によって強制的に整えられているかのような像」は、説明できるかもしれない、ということをクルクルしゃべった。周りには、全く、伝わっていないようだった。うねった。