魂のありか

ジャケットの下にカーディガンを着ている。デスクではひざかけが欠かせない。若い頃にくらべると、内燃機関がないねん。熱が足りないねん。

大学で講義をすると感想・質問が送られてくるのだが、みんな授業とは関係ない話ばかり送ってくるので、愛らしい。ある学生から、「緊張すると手に汗をかくので、テストなどでも答案が濡れて困るのですがどうにかなりませんか?」という切実な相談が寄せられた。わかる。ぼくも昔はそうだった。いつも体が熱かったし、汗ばかりかいていた。試験のときには問題用紙を手の下に敷いてやりすごしていた。なるべく汗のしみが目立たないような色の服ばかり選んで着ていたし、誰かといっしょに辛いものを食べに行くこともめったにしなかった。

今は熱が足りないから、汗もかかないねん。忘れていた青春のつもりでときどきカレーや麻婆豆腐を食べに出る。ちょっと汗かくけどすぐ引っ込む。辛いものってうまいんだな。最近知った。

ニベア的なものや「うるさら」的なものを、家にも職場にも置いて、手指の乾燥を防いでいる。キータッチしていると指が割れてくるので、キーボードが多少べたつこうとも防御しなければならない。一方で、リップクリームの出番は少し減った。マスクをしているから潤うのだろう。……でもマスクしててもやっぱり乾くけれど。

数年前に亡くなってしまったある病理医は、晩年、大腸癌の化学療法に伴う手足のしびれを気にして、布のてぶくろをしながら顕微鏡を操っていた。そんなになってもまだ働くんだ、というのが当時の感想だった。でも、考えれば考えるほど、そりゃそうだ、病気を抱えていようが、自分らしくあり続けられるならばその場所に居続ける、それはぜんぜんおかしなことじゃない。全員がそうだとは言わない。でもぼくも、同じ目にあったとしてもやっぱり働いているだろう。ニベアを塗るように手袋をはめるだろう。

熱も汗も在庫が減っている。それでもぼくは皮膚を使う。

誰が言った話だったかな。

「皮膚がおりかさなるところに魂がある」みたいなことを言った人がいたんだよな。

ええと……これこれ。

”ミシェル・セールは、皮膚と皮膚が合わさるところに魂があると言いました。われわれが思うに、それは考えているところにある。足を組んでたら太ももにある。目をぐあーとあけたら、目にある。唇をかみしめたら、唇にある。魂というのは、からだの折り合わさった、自分と自分が接触するところ、そこにあって、たえず身体のいろんなところに移動しているんだと。” 『臨床とことば』河合隼雄×鷲田清一

ぼくは何かを考えるとき、足を組み、ときには椅子の上であぐらをかき、さらに腕組みをして、目をぎゅっとつぶり、唇をむすんで歯をかちかち鳴らす。皮膚と皮膚をあわせたところで魂が起動する。熱が足りず、汗が足りず、魂が冷えて乾く。心がどれだけ燃えていても魂が乾いては具合がわるい。膝掛けが肝要である。ニベアが欠かせない。