若者のいちぶ

メリークリスマス。ちかごろ、某大学の看護で病理学の講義をしている。今年度から新しく担当しはじめた。なお来年度はたぶんやらない。ぼくが担当した唯一の学年、ということになるが、今年の学生だけがすごく勉強ができなくなったらかわいそうだし申し訳ない(たとえば国試にバカスカ落ちたらめんぼくない)ので、わりと緊張してしっかりと授業をやっている。

Google classroomというアプリを駆使して課題のやりとりをする。課題の最後には講義内容に関する質問をしていいよと書いてあり、毎回学生のおよそ三分の一くらいが質問を書き込む。その内容は多岐に亘っており、駅前の脱毛クリニックは詐欺じゃないかとか、いい皮膚科をおしえてほしいとか、知人がかかった病気について詳しく知りたいといった、生活×医療、生活×ケアみたいな内容がいちばん多い。そして、自分自身の健康・不健康にかんする悩みもたくさん送られてくる。

それらの多くは、ぼくが医師として答えるにはかなり荷が重い内容だ。そりゃそうだ。ぼくは病理医であって内科医ではないし皮膚科医でもないし精神科医でもない。医師免許を持っているからといって医師風を吹かせてえらそうにアドバイスをしてはだめである。なるべく「適切な受診の機会を削ぐことのないように」返事をする。

アレルギー、肋間神経痛、胃痛、むくみ、乾燥。こんなに来るんだ。19歳、20歳くらいのころというのは思えばぼくもあちこちが痛くなったり不安になったりしていた。ていうか今もあちこち痛いし調子が悪いのだが、気づいたらそういう「自分の体の不調」を、自分なりに解釈するのに慣れてきており、「どうして自分が具合悪くなるのかわからないから余計に具合が悪くなる」みたいな感覚からはだいぶ遠ざかっていたのだなあと思う。学生から送られてくる相談には「なぜ自分は具合が悪くなるのか」という疑問、というか心のさけびのようなものがとても多い。

パートナーとののろけはたまに見る。トコジラミ対策はどうしたらいいかといったもはや病理学でもなんでもない話もくる。幽体離脱の方法を教えてくれた学生もいた。そんな中にかなり重めに見える相談も紛れ込んでいる。ただし、多くの学生はぼく以外にもたくさんの人に相談をしている。ぼくだけにしか言えない悩みのようなものはまず送られてこない。ぼくだけに依存しているような学生は見当たらない。この点、やはり世代が違うというか、デジタルネイティブ的というか、参照先が無限にある時代さながらだなあと思う。きっとぼくの言うことも話半分に聞いているし、たくさんの人から半分どころか十分の一くらいずつアドバイスをあつめて、まぜて、マーブルからシェイクにしてすっかりならしたところでようやくちびっと味見して、うまそうだったらごくりと飲む、みたいな感じで自分の行動原理を模索しているのだろう。

えらそうに言うのではなく、後方腕組み彼氏ヅラして言うのではなく、心の底から思うのだが、ぼくの若いころよりも今の学生のほうが本当に何段も進んでいる。そして、悩みとは軽重ではないんだよなあということも毎日思う。みんな、自分の心を言い表すのに、手持ちの語彙と、世界からこぼれおちてくる語彙とを駆使して、動画やイラストなども使って、なんとか形にできないか、なんとか他人にわかってもらえないか、なんとか自分で納得できないかと手探りしている。その姿に圧倒されるし刺激を受けるし、人間ってほんとうに、こうなんだよなあということを毎日考える。メリークリスマス。