霧が名物の山

「依頼書」を見たら、主治医が悩んでいるなあというのがよく伝わった。若年者(未成年)の炎症性腸疾患(IBD)疑い患者である。


主治医は患者に内視鏡をし、腸の粘膜をつまんで、病理検査室に提出してきた。ぼくら病理医は粘膜の細胞を顕微鏡で見て病理診断をする。

主治医は、どういう患者から何を疑って細胞を採取したのかを、依頼書に逐一記載してくれる。病理医は、依頼書に書いてあることを読みながら顕微鏡を見る。このとき、細胞だけを見ても診断の精度は上がらない。すぐれた主治医のキレ味あるコメントを見ながら細胞を見ると、なんというか、「プレパラートの二次元情報」に奥行きと時間軸が与えられた気がする。

その依頼書。

潰瘍性大腸炎か、クローン病か、まずはこの2本のどちらかと考えたい病像であるということが文面から伝わる。ただし、依頼書の勢いがいつもより弱い。いつもならもう少し「○○疑い」とはっきり書いてくるはずだ。しかし今日はそうではない。

病変の分布パターンなどの字面だけから判断すると、潰瘍性大腸炎っぽいと感じる。ただ、一方で、回腸周囲の炎症の強さを気にしているニュアンスもある。

主治医は迷っている。そのことをぼくに伝えようとしている。「字面にするとわりと潰瘍性大腸炎っぽく書けちゃう」ということにも自覚的なのだと思う。

患者の全体を見て、患者から漂ってくるオーラのようなものを把握した状態で、内視鏡で粘膜もつぶさに観察した主治医は、今回に関してはかなり迷っている。しかし、他人に説明しようと思って所見を組み立てて「書いて示す」と、思ったよりも「典型的な潰瘍性大腸炎」みたいな文章になるので、困惑しているのではないかと思う。

箇条書きにすると潰瘍性大腸炎だ。でもそうじゃない。いや、その、しかし、そうなのかもしれない。どっちだろう。

「ちょっとだけいつもとニュアンスが違う潰瘍性大腸炎」か?

「潰瘍性大腸炎に見えるけど微妙に潰瘍性大腸炎じゃないクローン病」か?

「そもそも潰瘍性大腸炎とクローン病の両方の性質をもっていて、患者の年齢がもう少し高くならないとどちらとも決めてはならない、むしろ決めることが誤診になってしまう、保留しないとだめな特殊な疾患」か?

「潰瘍性大腸炎に見えるが潰瘍性大腸炎ではなく、じつはクローン病でもない、第3の病気」か?

主治医はめちゃくちゃ迷っている。今の数行の中に何度も何度も出てくるのが潰瘍性大腸炎だということからもわかるように、コアには間違いなく潰瘍性大腸炎という病気がある。しかし……そのコアから離れるべきか、あるいは離れすぎてもだめか、みたいなこと。迷いが依頼書に微妙ににじみ出ている。



こういうときに顕微鏡を見て、「潰瘍性大腸炎に矛盾しない」と書くことで、ぼくは臨床医の背中を押すことになる。そうすべきときは確かにある。

しかし今回に限っては、病理診断もまた、ふくざつなニュアンスをまとっていた。



潰瘍性大腸炎っぽさはある。しかし、なんというか、「ぽすぎる」のである。ここまで典型的な所見が勢揃いするということが、日ごろの経験からするとなにやら過剰であるなと感じる。いったん心を落ち着ける。何度見ても所見がいっぱいある。Cryptitis, basal plasmacytosis, glandular distortion, crypt abscess... せいぞろいだ。好酸球もそこそこ。しかし好中球が妙に……うーん。アポトーシスを探しにいく。困ったときのアポトーシス? いや、普段は、「アポトーシスがあると迷う」のだけれど、今回はなんというか、「もっと迷いたい」のである。

別に主治医に引っ張られているわけでもない。臨床医が迷っているのに病理医が迷わないことを「軽率だ」とか「見方が浅い」などと卑下しているわけでもない。でも、ちょっとは気にする。細胞だけを単独で見ても、「堂々としすぎている」というか、「まるで言葉のうまい詐欺師みたいだ」と感じる。この感覚はレポートには書けない。あまりに感覚的すぎるからだ。そして電話をかける。

呼び出し2回くらいですぐ出る。

「いやあ……先生……これ……VEO-IBDとか……いや断定するわけではないんですけど……根拠があるわけでもないんですけれど……」

こんなことをレポートに書いたら見識を疑われる。しかし電話でなら言える。主治医はびっくりする。

「VEO-IBDですか! あっいや可能性ってことですよね! す、す、すごいわかります! かもしれないまでしか言えないけどなんか変だってことですよね! うーんそうなんです! ぼく一人が悩んでるのかなあと思ってました。でも……うーん……細胞見てもなんかいつもとちょっとだけ違うってことですよね! ああー。なら……ちょっと濃厚に検査を足してもらおうかなあ。」



これはだいぶ昔の症例なので今とはまたちょっと判断が違うのだけれど。

「主治医も病理医も、それぞれ違うルートから山に登って、どちらも霧に包まれた」という感覚が、全体として何かひとつの、確定診断ではないんだけどその患者の「ニュアンス」を掴んでいることはあると思う。この方の診断が実際になんだったのかはないしょである。答えをブログに書きたかったわけではない。答えがもやっと見えた瞬間の雰囲気を書きたかった。