世界の心身

少しずつ少しずつ、世の中が「傷」に対してやさしくなっている。3歩進んで2.5歩下がるくらいの微弱前進であろうがよくなっていることは間違いない。個別の事例ではいまだに多くの人が傷ついているのだがトータルで見ると以前よりはマシになっている。群れをひとかたまりで観察するとわりとよくやっている認識である。「俺の周りはよくなっていない!」という人もいるかもしれないが、そういう人のいる群れを取り囲むもっと巨大な群れのことを考えると、やっぱりちょっとだけよくなっているとぼくは信じたい人間なのである。


話は変わるしじつは変わらないのだが、先日、名著『タコの心身問題』の続編であり高度なバージョンである『メタゾアの心身問題』を読んでいたら、タコの神経系についての考察が書いてあった(※前著のほうがよっぽど丁寧でわかりやすいので、前者を読まずに後者を読むことはおすすめしない)。タコは、きちんとした脳を持っている生き物なのだけれど、じつはその脳とつながる8本の足のそれぞれにもかなりの神経・ニューロンを持っている。そして、ヒトのように脳が中央集権的に手足を自在に動かすというのではなく、足のつけ根に「小型の脳」ほどに増大したニューロンのかたまりがあって、それぞれの足が連携をとりつつ脳とは別に稼働しているという。まるで分散型ネットワークのようだな、と瞬間的に思ったし、アリや鳥などが群衆になってあたかもヒトカタマリの生き物のように振る舞う姿にも似ている。

ぼくは世の中がよくなるというのと、タコが全体として楽しそうに生きている姿をなんとなく重ねて考えている。8本の足のうちの1本は岩場に挟まって大ケガをしているかもしれない。しかし残りの足でてきとうにゆらゆら進んでいく。ピーター・ゴドフリー・スミスは習慣的にダイビングをしてタコとかコウイカとかカイメンなどを観察し続けているのだが、彼によると、タコがずんずん進んでいくとき、足のいくつかはまるで移動とは関係ないなぞのゆらゆら動きをしていることがあり、もしやタコには心が一つだけあるのではなく、「1+8」、もしくは、「1+1(8本の足がリング状に接続してひとかたまりの脳のようになる」などの特殊な心の有り様をしているということはないのか、みたいな話をずんずんと、科学と哲学の知見を用いながら考察していく(だから「心身問題」なのである)。それを読みながら、ぼくは社会にも群体(あるいは軍隊?)としての心があるだろうと感じるし、その心は中央集権的に1つに統一されているわけではなく、自由気ままに分散したり統合したりをくり返すタコの心のようなものなのだろうなと思う。