ウザさの効用

いくつかの場所で講師を担当している。以前、ある場所で指導をする前に、「学生など若い人からプライベートな質問が来ても、自分ひとりでなんとかしてやろうという俠気(おとこぎ)を出さないでください。」という注意を受けたことがある。

大学や専門学校の講義、あるいは職場見学、インターン、そういった場面で、われわれは若い人に頼られるとすぐに、「よーし、ここはひとつ、おじさんが一肌脱ぐか!」と興奮しがちだ。それを見透かされているような気がした。

二十以上も歳の離れた後輩達から素朴に質問され、経験豊富な大人にまかせなさいとばかりにドヤってしまうのは、実際、危ない。たとえばいまどきの大学には必ず学生相談課があり、専門の職員が専門の技術をもって控えているから、そっちにまかせたほうがいい。

職場見学だと相談窓口みたいなのはないが、少なくとも同僚を交えるなどして複数人で考えるようにする。とにかくひとりで答えないほうがいい。大意としてはそんな感じであった。


最初これを聞いた時には、ずいぶんとタンパクな話だなあ、べつに気軽な悩みに軽く答えるくらいいいんじゃないの、と思った。しかし話は想像以上に深刻なのである。「相談を送ってきた学生との距離感がバグるのが良くない」。「ああ、講師と学生とのいけない関係に発展するってことね」と想像する人もいるだろうが、別に性的な話だけに留まらない。「あの先生は優しくて、親身になって回答してくれた」という関係が簡単に立ち上がってしまうことで、さまざまなズレや傷付きにつながるという。


・学生の「親に言えない相談」に乗っていたところ、学生が親の望まない進路を選び、講師の責任だとブチ切れた親が職場に凸った

・研修医から切り出した就職相談に何度か乗っていたが、ある日研修医が同期に「あの中年講師やたら熱心でたまにちょっとキモい笑」と軽口を叩いたところ、拡大解釈されて噂になりハラスメント対策委員会に呼び出された

・学生が詳細を伏せたままバイトに関する相談をして、「へえ、時給いいじゃん」と答えたところ実はおもいっきり反社系のバイトで、学校側がそれに気づいて学生に注意をしたら「あの講師に相談したらいいじゃないって言われた」と証言されたために責任を問われた

・軽く恋愛相談に載ったら学生のパートナーから逆恨みされて車のタイヤを切られた


これらはすべて実例(だと言われたが多少盛られている可能性あり)とのことだった。えっそんなこと言ったら小学校とか中学校の先生なんてやってられないじゃん、と思わなくもないけれど、やはり成人前後の人たちの相談に乗るというのは子どもとはワケが違うのであろう。


闇バイト、薬物、管理者のいない性売買といった案件が若年者の間で蔓延する中で、世間から無数に到来する鋭利かつ浅薄な刺激にさらされながら、自律と規律の間で揺れ動く若者たちの、未だ低分化だが増殖性のある悩み・困りごと・懸念・心配に、たかだか40数年しか生きておらず自分の人生のマネジメントで手一杯であったはずのわれわれが、場に即した的確な言葉をかけられるわけもない。

けっきょく、中年に許されるのは、誰も傷つけない軽薄なギャグ、そして、我ながらこの結論が意外だけれど「自分語り」なのではないかと思う。

私自身、若い頃は、中年がここぞとばかりに自分語りするのウゼーと思っていたのだけれど、ウゼー以上のトラブルを招くことはないのだから、むしろそれは安全なのである。自分語りは所詮は中年のごく個人的な経験でしかなく、他人に適用できるものではないからこそ逆に若者の意志や行動に介入しすぎない。若者から相談を受けたときには、軽薄で自分のことばっかり考えててうっとうしいなあと思われるダメージを背負うことで、逆に若者の自由な旅路をジャマしないという高度な戦術が望ましいのではないか。ああ……そうだったのか……世の中年たちって偉かったんだな……。