極小のミーム戦

人の本棚には興味がある。なぜならそこには自分が読んだことのない本がささっているからであり、自分が読んだことのある本もささっているからだ。探したり見比べたりするのが楽しい。


しかし、自分の本棚には興味がない。なるべく小さく保つ。知人からなにかの記念日にもらった本は取っておくが、ほかはどんどん入れ替えていく。


本棚をきれいに整えている人たちの気持ちはよくわかる。とてもわかる。でも今のぼくはそうしない。昔は本棚を整えていたけれど、ここ数年でどうでもよくなった。


何度も読み返したい本はKindleに入れる。紙で買って、あっこれ手元に常時ほしいな、と思ったらKindle版も買う。マンガの大半はKindleだ。医学書もKindleがいいのだが、医学書の場合は臨床医や同僚に貸すこともあるので、紙で買って職場の本棚に置いておく。


読み終わった本の大半は人にあげるか捨てる。売ってもいいのだけれど売りたい本屋が思いつかない。そういう付き合いができる古本屋が見つかったら売りにいくかもしれない。そのためには古本屋を歩いて巡るという習慣が必要である。そのうちなんとかする。


2022年に前橋のブックフェスに読み終わった本を箱で送りつけたのは楽しかった。それ以来、次の開催に備えて、これぞという本を「送りつける用のダンボール」に入れている。ダンボール投入基準は「他人が読んでもおもしろそうな本で、自分もおもしろいと感じたが、1年以内に自分が読み返すことがない本」、もしくは「他人がどう読むかは知らないが、自分はおもしろいと感じたし、でも1年以内に自分が読み返すことはない本」。


ダンボールは医局のデスクに積んである。休み明けにはいつも、家で読んだ本を職場に持っていく。ダンボールの中に本を、なるべく損傷のすくないように入れていく。帯のずれなども直しておく。ふと、ここに、Bloodthirsty butchersの写真集なんかをぶちこんだら急に格調高くなるだろうなーなんてことを思う。でも入れない。


たまにだが、手元に置いておきたい本というのもある。そこはぶっちゃけ、ゼロイチではない。ある程度、あいまいな部分は残してある。本棚なんてどうでもいいと思っているわけではない。しかし本棚に人生を投影するような暮らしがしたいわけでもない。そこは両方だ。そこは両方とも違う。どっちともとれる。どっちかで一本ブログ記事を書くことはできる。そういうことをしない自由を享受する。


詩集とか並んでたらかっこいいとは思うよ。そりゃあ俺だってな。