小田和正

顕微鏡で細胞を見たときの「癌と非癌のちがい」をどこまで言語化できるか。

先輩が診断の難しい症例を持ってぼくのところにやってきて、いっしょに顕微鏡像を見ながらぼくがどんどん言語化していく、というのをたまにやっている。

先輩は、ぼくが病理プレパラート上の細胞を解説していくのを聞きながら、「わかった」だの「なるほど」だの「イマイチよくわからない」だの「繰り返しになるけどさっきのこれはどっち?」だの「前には細胞密度が高いと癌の可能性があるって言ってたけど今回のは?」だの「腺頸部で腺管が密なのはおかしいってのはどういう意味でおかしいの?」だのとリアクションをする。

ぼくは、それらのリアクションに対してさらに言葉を探っていく。だんだん変な汗をかく。追求に答えきれなくなっていくのである。

言語を超えたところで感覚で診断している部分が必ずある。すべては言語化しきれない。現時点での所感は「究極的には形態学をぜんぶ言葉に置き換えるのは無理」。いつも最終的にはぼくが言葉にしきれないところで終わる。それがくやしいと感じる。

しかし、くやしいが、そういうものなのかもしれない、という思いもないわけではない。先輩もそのことは指摘している。



世の中には、多くはないがある程度の「病理学を学びたい人」がいる(※病理学とはここでは「顕微鏡で患者の細胞を見る学問」くらいの意味で使っている)。それは必ずしも病理医のタマゴであるとは限らず、皮膚科医が自分の患者の皮膚をより細かく知りたいと思って皮膚病理学を学ぶケースは多いし、消化器内科医や肝臓外科医などもしばしば自分が相手をする病気の病理組織学を独学で勉強している。ときには彼らが病理学の大学院などに短期的に留学して、病理医に付いて自分の興味のある病気だけを勉強するということも起こる。

つまり病理学の界隈には「知れるものなら知りたい」というニーズを持った人たちがそれなりに群がってくる。

そういった人たちがまず頼るのは本だ。世の中には病理学の初学者むけの本はたくさんある。しかし、誰に聞いても「本だけだとよくわからない」「病理医に直接たずねるんだけどそれでもしっくりこない」「最終的には経験を積まないとわかんない部分があるんだだろうなあ」「だから病理医っていう専門職があるんだろうなあ」などと感想を口にする。ニーズがあるのに本が足りない。これは著者がいないというわけではなくて、おそらく、病理学の「言葉にしづらさ」によるのだろう。

優秀な先輩たちが通ってきた道。誰かが言葉にできているならもうしている。ぼくごときが細胞の違和感をすべて言葉に置き換えられないというのは、ある意味、あたりまえなのである。

しかしあたりまえポイントで引き返すかどうかはまた別である。



これは、癌です。いえ、再生粘膜ではありえないですね。まずは腺管密度。腺管の密度がおかしいですね。炎症があって萎縮している胃粘膜で、腺管の密度がこれだけ上昇している時点でおかしいと感じるべきです。

しかしまあ腺管の密度だけで診断できるわけではなくて、やはり核の異型を見たほうがいいと思います。サイズがでかいですね。クロマチン量も多いです。さらに細かいことを言うと、核の形状もおかしくて、核縁の核膜も場所によって濃さが違います。

ただしこれらの所見をいちいち診断のときに全部箇条書きにしてチェックしているかというとそうではなくて、これは感覚的な部分をあとから言葉にしたらそうなる、というものなんですけれども、実際には、この領域に置いてプレパラートの色が濃いというか、テクスチャが他のところよりも濃い/ざらついている/ジャマ/違和感があるといったところで判断をしていて、ではなぜそのテクスチャがおかしくなっているのかというと、核の染色性とか核の密度とか細胞間距離とかに変化が出ているから総体としてテクスチャがおかしくなると思うんですよ。

でもこの部分はそうやって言葉で説明してもなお、癌と非癌の区別はつきにくいと思います。というか、この腺管だけを切り取って、「さあ、癌か非癌か、どっち?」とやったらぼくは診断できないです。やはりこの腺管といっしょに、まわりにこのような腺管がくっついているということ、この領域の上下左右で同じような核を持つ腺管がみっしり存在しているということ、それとすぐとなりにこのような明らかな非癌の腺管があるということから判断しているのであって、腺管ひとつとか核ひとつを拡大して判断しているわけではないと思います。

非癌の部分に炎症が加わって核が大きくなっているのと、癌の部分で核が大きくなっているのと、どちらが悪そうに見えるか?

うーん。

表面の核のでかさやおかしさと、深部のおかしさでは、どちらが程度が強いのか。

うーーーん。

表面と深部とでは、同じ核所見であったとしてもその解釈は変えるべきだと思うんですよ。というか、無意識に診断しているときは、そこはもう自動的に、表面はこれくらいの核異型だと癌で、深部だとこれくらいでもまだ癌ではない、みたいなセレクションがかかっているはずなんですよ。

そしてたとえば、腺頸部にこの密度で腺管があるということはおかしいし、増殖帯らしくない場所で核が腫大しているのもおかしいです。あ、たしかに、胃底腺粘膜だと増殖帯は腺頸部にあるんですが、胃底腺粘膜の増殖帯の細胞は核腫大しません。腸上皮化生の腺管だと核腫大しますけど、あれは腺管の底部に出ます。これは腸上皮化生ではないのに腺頸部に腫大した核を有する腺管が密に存在するからおかしい、ということです。

でもうーん。いや、ここだけ拡大して言葉で説明しても癌であるとは言い切れないんですけど、ここの部分に関しては逆に弱拡大で見たほうが腺管の分布や配列が不整だとはっきりわかるんですよね。何に対して何が逆なのか? たしかに。今ぼくは何を省略したんでしょう。ただ、このプレパラートについては、ここの領域は「逆に非拡大のほうがわかりやすい」んですよ。これは……言葉にしづらいなあ。