春になると車での移動がふえ、公共交通機関に乗る機会がちょっとだけ減る。本を読む回数も減りそうである。かわりにPodcastを聴く時間が増える。まあそうなるだろうなと思っていたのだけれど、ちかごろはまだ冬なのに、本をあまり読んでいない。となれば春がきたらもっと読まなくなるだろう。
本を読まずに何をしているのか。かつて読んだマンガをKindleで再読してばかりいる。マンガも本だよ、とかいうツッコミもあるだろうが、何度も何度も読んだマンガ、実家にいけば全巻揃っているものをKindleで買い直したもの、というのは、なんだろう、本、というくくりの中にいれていいのかちょっと迷うところがある。とりあえず、新刊とか未読の本を入手して、サラの状態から読むということをこの冬はほとんどしていない。ドラゴンボール全巻、からくりサーカス全巻、日常にまぎれこませるように、毎日短時間ずつ、断片的に読み進める、ひとつの完結作品を読み終えるのに、軽く2週間くらいかかる。この間、ほかの本はまず読まない。この冬、そうやって昔のマンガばかり読んでいた。いちおう、いくつか新しい本を買ってはみたのだけれど、あまり当たりと思える本がなかった。昨年末から2月にかけて、私がmixi2の新刊書評コミュニティに投稿したマンガ以外の本は、映画評論家の松崎さんが書いた『アカデミー賞入門』だけ。もう少し読んだほうがいいとは知っていた。そのほうが成長できるとかなにかになれるというのではなくて、そのほうが私のトータルとしてのストレスが低くなる。トータルでうまくいかなかったなと思う。じわり、じわりときしみが始まっている。
夜中、鼻の奥の、鼻と喉の交差点のあたりが腫れ始めた。昼からすこし気配があり、ああ、これは5年とか10年くらいにいちど私がかかるタイプの風邪だなとピンとくる。寝ている間、乾燥した空気を吸ったり吐いたりすると直撃する場所、ばんばん腫れてつばが飲み込めなくなるから、口の中がびしょびしょになる。寝ている間中ずっと、明日は地獄だな、ここから熱が出るのかなと気分が散逸していく、その心配も加わって、眠りが浅くなる。ただ、この症状はたまに経験する、記憶がある、だから今回はこの夜の時点で、私の場合の最適解と思われる「葛根湯の顆粒を推奨量の2倍ほど空きっ腹に流し込む」を試した。寝て起きる。すこしだけ喉がよくなっている。腫れの原因が撲滅されたとはあまり思わないが、粘膜における水分の出し入れのバランスがよくなったのか、腫れそのものは微妙に引いた気がする。まだ痛いことは痛い、けれども起きていろいろと準備をし、おそるおそる茶漬けを流し込んでみると、あまり気にならない。ヨーグルトも食えた。出勤するころには喉の痛みは無視できるくらいにはおさまっていた。全身が痛くなりそうな予感だけがあるのだけれど、熱は上がらない。通勤カバンのなかに葛根湯と龍角散ダイレクトを二袋ずつ入れる。
葛根湯の倍量服用が、人体にとっていいことなのかどうかはわからない。「嫌なことがあったら酒を飲んで忘れる」なみに、トータルでみるとよくないことをして気をそらしている。ただ、この、「トータルでみると」というのが、人生においてはいわゆる浅知恵なのではないか、という発想が、今、この文章を書いている間に静かに私の中に運ばれてきた。トータルでみてはいけないのではないか。みるなら局所に限るのではないか。みるならクローズアップが望ましいのではないか。ロングショットはにおわせ画像と一緒だ。その画角でその光景をまとめて扱っていることに対し、観察する側の意識がフレームの中でどうしても偏る、その偏りをコントロールすることがロングショットの画像に商品価値を与える、つまりロングショットというのはクローズアップのいち手法に過ぎないのだ。ほんとうに現象のトータルをまるごと撮影してしまったら、それは一周回って「完結した作品をあとから一言で語る」ような無粋なことになる。私は、トータルでなにかを見てはつまらない。ただ、葛根湯の倍量投与は、トータルでプラスとかマイナスとかいう以前に、今日という一日、この一瞬、私の体に対して、相撲取りの分厚い掌で頬やまぶたの皮の部分をごしごし圧迫するような、それくらいにしとけよ、というような圧をかけている気もして、少なくとも一般の方々にあまり気軽におすすめしてよい内容ではない気もする。