むき身の自然よりも

妻が友人からもらった花束の中に桜の枝が入っていた。つぼみがふくらんでいた。花瓶に生けておいたら翌日には花が咲いた。3月の下旬に入ったばかりのことである。

今年の開花予想は札幌だと4月24日ころだから、1か月以上早く春がやってきた。東京の桜が満開になるのもまだ2週間くらいはかかるだろう。花束の桜は自然の桜よりも圧倒的に早く咲かせることができるのだなと思った。そんなものなのかもしれないけれど、そんなものなのだなあと胸に迫るなにかがあった。

この桜の枝が木から落とされたのは秋口あたりだろうか。そうでないと自然の桜と同じように外気にさらされたはずで、こんなに早くつぼみがつき花が咲くわけはない。おそらく、3月末という卒業・異動シーズンにあわせて、専門家がきちんと温度管理をしてくれたのだろう。この花をくださった人にはもちろんだが、育ててくださった人にも感謝をしたい。


***


昨今は、上記のような話をすると、「自然のものを操作したいびつさ」に対して違和感を表明する人があらわれる。

「自然の花を折って開花時期をコントロールするなんて、不自然です。わたしは好みません。まして、そういった行為を発信して拡散してしまうことにも不快感を覚えます」くらいのことを言う人がいる。

仮に今の話をこのブログではなくSNSに書いたら、炎上のリスクが数%くらいはあるだろうということを、私は経験的に感じるし、多くの人もおそらく感じ取っている。

「生活にかんする感想」の多くがSNSでは共有しづらくなった。失言に対する抑止になっていいととらえるべきだろうか。でも少しさみしい気もする。


***


他人のすることに突発的に怒りをぶつける人びと。コンビニで店員に、改札で駅員に、病院で事務員に、居酒屋でテレビに、そういった風景に、数年に一度くらいのペースで遭遇していたのが、SNSでは毎日のように、見たくもないのにトレンドやら他人の会話やらで目にする。無造作に視界に入りこんでくる。

最近のそういった怒りの多くは「洗練」されている。理不尽な怒りばかりではなく、理屈がいちおう通っているのだ。前の段落では「突発的に怒りをぶつける」と書いたけれど、突発的なゆえの支離滅裂さというのがSNSだと少しマスクされる。いや、因果が逆か、筋道がある程度整った怒りばかりが多く拡散されて目に留まっているのかもしれない。

筋道が通っているとはいえ、だから共感できるかというと、そんなこともない。端的にいうと「ほどよさ」が備わっていない。本来手を触れるべきではない素材が腕や顔に押し付けられたときのような、ざらついた感触が、共存を拒否する。

「怒りたい」という目的がまずあって、それに「うまいこと」物語を後付けしているように感じる。だから、怒りに至るまでの流れに正当性があっても、なんか上手にネタを見つけてきやがったんだな、という感想ばかりが先に思い浮かんでしまう。

自然の桜よりも花束の桜が早く咲くことに怒る人は、おそらく、花束の桜がなかったとしても、養殖魚や畜産物などについて不自然さを指摘して今この瞬間やっぱり怒っていたのではないか。

怒るためにネタを探す人たち。



医療情報を発信し続ける医師の中にも、怒り続けている人がまぎれている。毎日さまざまなニセ医療、エセ科学のネタを探してきて噛みつき、ケンカをしている。その怒りは常に科学的なエビデンスや医療的なナラティブにもとづいており、筋道はいちいち通っている。理論的には「正しい怒り」に分類されるだろう。

おそらく本人は、自分は怒り続けているのではなくて、「世直しをし続けている」という認識なのではないかと思う。水戸黄門や暴れん坊将軍や遠山の金さんが毎週悪人たちを成敗していくのを見て「また次の怒りの矛先を探している」と感じる視聴者はいない。世に悪の種はつきまじ。それは正しい世直しだった。ただしあくまでフィクションであった。

毎日怒る医師たちも、きっとああいう「髷物の主人公」を知らず知らずのうちに演じている。でもこちらはフィクションではない。今も現実に、たくさん起こっていることだ。




継続的に怒りながら何かを発信していく姿は、たとえ筋道が通っており大義を背負っていたとしても、SNSでは「怒るために怒っている人」と相似形になる。洗練された世直しが、クソリプと区別がつかない状況だ。

「理屈がうまくつながっているから大丈夫」と言い訳せずにふと立ち止まる。エビデンスで殴りかかるのはクソリプの怒りと同じ見た目になるんだからよくよく注意すべきなのだ。

理論を飲み込んで栄養にして、それが生み出した熱で多彩な行動をとる。筋道を代謝して同化する。自然の一部でありながらエントロピーを局所的に減少させることができる生命のありよう。正面突破以外のやりかたが結果的にゆるやかなホメオスタシスを達成しうる。むき出しはよくない。私たちには手があり脳があるのだ。

脳だけが旅をする

おもしろい本、おもしろそうな本、企画が今風だけどめくってみるとあきらかにつまらなさそうな本、定期購読でごくごく水を飲むように読むだけの本。届く。届いた。あまり意味のない動きで出迎えた。トランプを、もうそのへんにしておけよと言われるまで、えんえんと切り続けている子どものような動きで、さっきから本の上下を入れ替えながら表紙に目をやっている。読む順番を考えているように見えるかもしれないがじつはそこまで考えていない。これが私なりの「積ん読」のやり方なのかもしれないなとふと思う。効能・効用など一切ない。まとめて買ってきた本の順番を入れ替えながらどれから読んでやろうかと無駄に10分くらいを過ごす時間は、しかし、数少ない私の趣味ではないかと思われる。

まあとにかく本ばかり読んでいる。契約していたジムもやめてしまった。運動はとうとう趣味にできなかった。妻もあきれている。むかしは40代も後半になったらおそらくウイスキーとかワインとかをもう少し飲んでいるのだろうと予想していたけれど、実際は真逆で、金麦(75%オフ)を数本飲んだらすぐに寝てしまう毎日だ。なじみのバーからも足が遠のいた。もちろん感染症禍が原因ではあるのだが、今も出不精の終わる兆しはない。出不精ついでにいうとドライブも一生分したのでもうあとは用事だけでいいなと思っている。旅行に出られるほど時間に余裕ができたとして私は果たしてどこかに旅をするタイプの人間だろうか、もう、正直あまりそこは期待できない。近頃は食にたいしても興味が持てない。音楽は好きだが車の運転中にポッドキャストを聞くようになったせいかあまりそれ以外のものを聞かなくなってしまった。一日の中でまともに耳にした音楽が風呂場から聞こえてくるJ-POPだけということもざらにある。そうそう、これ、けっこう重要だなと思うのだけれど、私はそもそも金ならびに金が必要なあれこれに興味が持てない器質なのかもしれない。何かを買うこと、あるいは稼ぐことに対して、「金があるから使ったのだろう」「金で金を増やしたのだろう」以外の感想があまり出てこない。「金があるだけで脳とは関係なく何かを起こすことができる」という、金の「努力も運も関係ないただひたすらの平等さ」の前に私はしらけてしまうのかもしれない。金は偶然すら平らにならしてしまう。ないよりはあったほうがいい、という一般論を秒で拡充して「だからあるだけあったほうがいい」まで引き伸ばしてしまうタイプの人とはおそらく一生話が合わない。こうして列挙してみると自分の中に本しか残っていない理由もなんとなくうっすらわかってきた。本はまったく平等ではない。易しくもない。そして必要以上に金がかかるわけでもないがまったく無料で読めるというものでもない。そういうバランスの最たるものがおそらく本なのであろう。

ところでちかごろは、月に一度くらい映画も見に行くようになった。きっかけは漫才師・米粒写経の「談話室」というYouTube番組だ。毎月更新されており、あっというまに常連たちによって50000再生くらいされる優良番組で、本編のほうもおもしろいのだが、同時に更新される「映画談話室」というコーナーもこれまたおもしろくて、それがきっかけでちょくちょく映画を見に行くようになった。というか、私はおそらく、自分ひとりだけでは映画をとことん楽しみ抜くということは無理なのだと思う。米粒写経のふたりと松崎さん(映画評論家)のやりとり、語りがあって増幅されてはじめて映画という一大エンタメを楽しめるだけの「ゲタをはかせてもらった」のではないかと思っている。映画談話室では、1ヶ月後に番組で語られる予定の「お題」を提示してもらえる。それを映画館に見に行って、自分でつたない感想を持ったのちに、YouTubeで米粒写経と松崎さん(映画評論家)の話を聞く。このリズムが私にはちょうどいいのだった。

ちなみに米粒写経の談話室の本編内には「居島一平 古書探訪」というコーナーがある。その名のとおり、居島さんが首都圏やときにはもう少し遠いところにある古書店・古本屋をおとずれて、その場で古本を書い、「つまんだ本の話」を10分くらいしてくれるのだけれど、これがまた抜群におもしろい。「よくそんなこと知ってるなあ」という言葉をちかごろは1日に何度か口にする、そのほぼすべてを萩野昇先生と居島一平さんのために用いている、それくらいの「本の虫」を目の当たりにできることが喜びだし、そういう人たちが語る映画の話だからこそ私は映画をも趣味にできつつあるのかもしれないな、と思う。私は元来古本にあまり興味が持てなくて、でもそれはべつに人が持った本がだめだというような衛生的観点から生まれた距離感ではなかったのだけれど、なんか、どうせ読むなら新しい本のほうがいいやという謎のルールで自分を長年しばっていたのだが、そういう「古本への苦手意識」すらも古書探訪は取り除いてくれた。

こうして書いてみると、「本しか趣味がない」どころか、本という趣味ひとつを基軸にしつつも少しずつ横の違う世界にずれていく感覚があって、ハマヒルガオの地下茎が横に伸びて新たな花を咲かせるかのようで、本とはなかなかいい趣味なのではないかと思えてくる。金を稼ぐことが趣味である人も、おそらくこうしてリゾーム的に、金の成る木から横に伸びたなにものかをも楽しんでいるのだろうから、本ばかりひいきして語るのもマナーの悪いことなのだろうが、ようやく私が腰を落ち着けることができそうな場所の話なので、そこはご容赦いただきたいものである。

利己的な遺伝子なんて本当になんにも言ってないのと一緒だからな

ダンジョン飯の最終巻(14巻)は、ほんとうにすばらしい「巻き取り方」をする。絵巻がきれいにしまわれた、といった風情に満ちている。

近年でいうと「ちはやふる」や「鬼滅の刃」は本当に美しく完結したし、「阿・吽」も大河ドラマとしてあれ以上の結末はまず考えつかないほどのきれいな終わり方をした。そして、ダンジョン飯や違国日記が美しく彫刻されきったことにも、心から感謝している。



あたりまえの話だが、すべての作品がほどよい濃度のまま終わりまでたどり着けるわけもない。

ちかごろは、風呂敷を広げるだけ広げてそれっきり、という創作物が増えた。SNSには今日も設定ひとつでバズってそれっきりのマンガが並ぶ。まるでディアゴスティーニのように次から次へと新しいシリーズが創刊しては、少しずつ更新期間が遅くなって消えていく。

マンガに限った話でもない。

クールごとに50本も60本もアニメがつくられ、その一部はマンガ原作であるが、最後まできちんとアニメになるマンガは数えるほどしかない。小説・ラノベの世界などもおそらく似たようなことになっているのではないかと思う。


「きれいにしまわれる」ことの難しさ。


もっとも、冷静に考えてみると、世の中に存在するリアルなストーリーはそもそも打ち切りがベースなのかもしれない。きれいに辿れるメインストーリーなどないし、都合よく回収される伏線などない。むしろどれが伏線になるのか最後までわからない、トランプの「ジジ抜き」的な非開示の前提が、私たちの前に無数に転がっていて、私たちはどれに手を伸ばしたらよいのか、どれに後をつけられているのかなど一切わからず、教えられず、あたふたと右往左往しているうちに人生を先に進めてしまう。


ところで近ごろのマンガやアニメには「日常系」も多い。骨太のストーリーや起承転結の展開はないのだけれど、ハマった設定の周りにあつまるほがらかな人々の反応を見ているだけで楽しい、という平和な創作。

しかしこれも、言うまでもないが、私たちの暮らす日常とは似て非なるものである。どのへんが異なるか。創作では女の子ばかりが出てくるとかそういう次元の話をしたいわけではない。ポイントは「変化」にある。我々を取り囲む環境因は創作物よりもはるかに速いスピードで刻一刻と変化する。「ハマった設定ひとつでいつまでも見ていられる」などということは私たちの暮らしでは通常ありえない。その意味でいうと、中学校三年間とか、高校三年間などといった、学業の区切りにすぎない小分けされた数年間で設定を維持できるのは青春期だけの特権だ。


人生は創作物とはだいぶ違う。なのになぜ我々は創作物を愛するのだろうか。

なぜ私たちの脳は「回収される伏線」を安易によろこび、「王道の展開」に心をうばわれ、「争乱から平和へのあしどり」を追うことにわくわくとし、「エンドマーク」までの物語を本能的にたどってしまうのか。

「なぜ」と書いたが、実際にはこの問いは、「私たちの脳がそのようになっているおかげで、なんらかの不利益を回避できた」という回答以外に答えようがない。そういうのを好む我々だからこそ、今、「もしほかの脳だったら被っていた可能性があるつらいこと」から身を避けられている、と考えるべきであろう。


私たちは四本でも三本でもない二本の足で動き回ったおかげでなにかの不都合を感じずに暮らすことができている。エラではなく肺を使うことでなんらかの苦難から身を隠すことができている。草食でも肉食でもなく雑食を選んだことで知らないうちにたどり着けた場所にいる。それとそう遠くない思考の様式をもって、「王道展開も、ヤマやオチのない日常系も、萌えも、ホラーも、どれにも該当しない日常をおくりながら創作の世界だけでなんらかのホルモンをダダ漏れにしている」ことに、おそらく不利益を回避できるような偶然の積み重ねがあったのではないか。ダーウィン以降のわれわれはそういうものの考え方をするようになった。アリストテレスだったらこの話をどう聞いたのか、たずねてみたい気持ちは正直ある。

今日ランラン

我々がいわゆる「珍しい」症例や、「教育的な」症例に遭遇したときには、それを自分だけで抱え込むのではなく、同僚、地域の病理医たち、さらには日本全国の医療従事者にむけて「供覧」をする。

供覧、すなわちいっしょに見る。

これによって、「50年病理医をやっていても出会わないような激レア症例」であっても、たいていの病理医が「知識としては知っている」ということが頻繁に起こる。

2500人の病理専門医が今日も日本のどこかで非常に珍しい症例に遭遇しており、それをわれわれはいつも「供覧」のかたちで体験する。

「供覧」という言葉を、私は医者になるまで使ったことがなかったが、今は毎週のように用いる。

自分の出会った症例を誰かに見てもらうことは日常だ。

「みんなで見る」ということが極めて大切なのである。



「見る」ということは、目の前にあるものと自分の脳とが、目という媒介物を通して一対一で接続する行為であると、昔の私は考えていた。

しかし、たぶん、そうではない。

目の前に事実や真実があり、それを私の脳が正確に写し取るとか、逃さず選び取るといったことは、まず起こらない。

私の目は、はじめて目にしたものを「あるがまま」には見てくれない。

軽重を問わず情報の多くを取りこぼす。

一部に執着してそこばかり見てしまったり、レイヤーの多重性に気づかなかったり、錯覚したり、失認したりといったことが必ず起こる。

こういった誤認は、「はじめて目にしたもの」だけに起こるわけではない。一度でも知覚した経験があるものに再会すると、より偏った、ねじまがった判断をしがちだ。

なんらかの先入観を、目の前にあるものに勝手にかぶせたり、のっけたり、着せたりしてしまう。決して「あるがまま」に見ることがない。


人の脳や五感というのは、必要のない情報を切り捨て、圧縮し、編集をして、切り貼りをする。そうやって「あるがままの事実」からかけはなれた、「物語性を帯びた主観」というものが構築されてはじめて、人間の意識は世界を豊かに認識できるようになる。

ビールがおいしく感じるなんてのも、その最たるものかもしれない。あんな苦いものを私の味覚はいつからおいしいと誤認するようになったのか? まあ、ありがたいことである。ありがたい錯覚である。

さて、ビールのように「自分を幸せにしてくれる誤認」はいいとして、目の前にあるものから十分に/適切に情報を取得できず、かたよったアクセスしかできないということは、ある種の仕事にとっては確実に欠点となるだろう。

どのような仕事か? たとえば病理診断だ。

病理診断というのは、そこに起こっていることを余すことなく記載してなんぼである。再現性が求められる。普遍性が求められる。

そのために必要なことはなにか?

当然のことながら、「目の前にある細胞を、あるがままに見て記載すること」である。しかし目の前にあるものを「あるがまま」に見るというのは難しい。

そもそも細胞診断というものが、本来の細胞とは関係のない、人工的な「色付け」をした状態で行われている。細胞質が赤紫だとか核が青紫だとかいったH&E染色の色調からして、私たちに都合よく調整されている。

おまけに、やれ細胞の「顔付き」がどうだとか、「雰囲気」がどうだといった感じで、病理医以外にはなかなか理解がむずかしい、感覚的で主観的な感性が、病理診断の現場ではかなり幅をきかせている。

細胞の分化が悪くなって、どこそこに浸潤をして、どこに入り込んでどっちに転移をしたなどと、「見てきたかのようなストーリー」を創出しながら診断を進めることもしょっちゅうだ。

ぜんぜん「あるがまま」になんて見ていない。


繰り返しになるが、「見る」という行為は、決して目の前にあるものと自分の脳とが一対一で接続する行為にはなっていない。

目の前にあるものに対して、脳がかなりでしゃばって、都合よく切り取ったり編集をしたりして、結末までわりと自分勝手に突っ走っている。そのような独善的行為が、「目」という媒介物を通しているというだけの理由で「見た、診断した」と呼称されているのだ。


このような人間の悲しい本能に対して、私たち病理医が考えた「抵抗」のひとつが、供覧なのである。

ひとりで見ても、再現性も普遍性も期待できない。だったらみんなで見る。

みんなで同時に見るだけではない。異時性に見ることも必要だ。「誰かがすでに見ている」ということをきちんと利用する。主観的な誰かが陥ったであろう穴を、岡目八目、見極めながら批判的に見る。批評的に見る。

異時性に見るだけでも足りない。異所性にも見る。そっちの立ち位置からならこう見えるだろうな、と把握した上で、違う位置、違う前提、違う先入観を見て違う角度から見る。

珍しいと感じたら供覧の強度を高める。いろいろな病理医によってさまざまな感想が出てくるものをしっかり寄せ集める。

ちなみに、珍しくないものであっても供覧はするべきだ。ありがちな罠というのもある。「典型例」を多くの人と分かち合うことで、また新たな見方がうまれたりもする。


私は、「ある一人の病理医にしか診断できない、難しい病気」というのは存在しないと思っている。診断が困難な症例というのは実際に存在するのだが、それを優秀な病理医ならば診断できるとか、いいAIを使えば診断できるといった、「真実がどこかにあって、それをきちんと写し取れれば最高の診断ができる」という考え方はとっていない。

ひとりで見てたどり着ける真実というのはありえないと感じる。観測者が優秀か無能かはこの際問題ではない。見るというのはそもそもひとりで完遂しない行為である。

「診断が困難な症例」とは、なんらかの理由で供覧がさまたげられた場所に存在する。

思えば、私がこれまでに出会った「すごい病理医」は、みな、集めたビックリマンシールを見せびらかすようなムーブを、多かれ少なかれ診断の世界で日常的にやっていた。あれ、単なる「オタク器質」だからだと思っていたけれど、違うんだ。彼らは病理診断が供覧という土台のもとに出来上がるものだということを、彼らの言葉でずっと語りかけてくれていたのだ。

生涯で48時間以上入ると扉が消える

釧路にいる。これから空港に向かうところだ。勤め先の病院の車が出払っているとのことでタクシーに乗った。外を見て過ごすと少し飽きるくらいの時間がかかる。スマホでKindleでも読んでいればすぐだが、飛行機や電車よりもタクシーは少しだけ酔いやすいようで、特に仕事の後は疲労も溜まっているし、あまりスマホをみないようにしている……が今日は珍しくこうしてブログを書いている。

道すがら運転手さんと会話することが少なくなったなあと思う。自分が30代のころのほうが、今より会話は噛み合わなかったけれどそれでもまだたくさんしゃべっていた。40代も折り返した今なら、野球も過疎化も税金への愚痴ももう少し共感できるはずだが、今日も運転手さんは一言もしゃべらない。行く先を復唱したきり黙っている。

ほんの5年ほど前は、こちらがスマホを見ていても、あるいは少し仮眠しようと思っても、おかまいなしに話しかけてくる運転手さんがたくさんいた。みんな少し無口になった。感染症禍のせいかもしれない。それだけではないのかもしれない。

そういえば、駅や空港のタクシーレーンで車を降りてタバコを吸う運転手も見なくなった。車内禁煙にしていても運転手が臭うから意味ない、みたいなこと、前はもう少し経験したけれど最近はとんと起こらない。病院やホテルのエレベーターなどで近くの人から強いタバコの臭いがするなんてことも珍しくなった。

他人の臭いも音もしなくなっていく。他人の顔を最後に直視したのはいつだろう。







四月から当院で初期研修を開始する医学生からメールが来た。無事国家試験に合格した、直前まで病理学教室に出入りして研究したり飲み会に出たりしていたから、これで落ちてたらやばいなと思っていたが無事医師になれてよかった、ローテの最中に病理を選択することにしたのでとても楽しみにしている、あと、他科の研修の合間にも病理に勉強しにいってよいか、といったことが丁寧な語調で、わずかに興奮をまとって書かれており、私は思わずスマホのカバーをいったん閉じて外を眺めた。

少し考えてすぐにGmailで返信をする。

おめでとうございます、とうとう同僚ですね。

先生の輝かしいMD lifeの一歩目を当院にてご一緒できることが光栄です。

まずはおいしいワインでも飲んで疲れを癒やしてください、四月からも――

と、ここまで書いて、考えて、「まずは」以降を消した。近未来の勤め先の主任部長からのメールにお酒の話が書いてあるというのは距離を詰め過ぎかもしれない。

「これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。いやー楽しみですね。」

あらゆるハラスメントを回避しようとすれば最終的にはぜんぶタモリの口調になる。





若者たちの顔や名前を覚えるのに苦労する。なにせ、顔を見ないし、声も聞かないのだ。そういう世の中のほうが気楽で過ごしやすいと、当の私もずっと内心願っていたのだけれど、いざたどり着いてみるとそこはまるで自意識以外の入力が途絶えた精神と時の部屋のような場所だった。



プリミティブな欲

自分のあまり知らない分野の「最新の研究」について勉強する必要に迫られたので、ここ1か月くらい、いろいろと検索を試みていた。

見つけた論文や総説はどれも、それ単独では理解できないものばかりでひどく難儀した。知らない用語くらいなら検索すればなんとかついていけるが、知らない概念だとGoogleだけではとてもカヴァーできない。糸があっても編まなければネットにはならない。「前提知識」を理解するための「前提知恵」が要る。情報の幹と枝葉を見分けても、その幹もまたより大きな幹から伸びた枝にすぎないといったことが頻繁に起こる。

1年、また1年と遡りながら資料をさぐっていった。2021年の本でようやく基礎固めができそうな雰囲気を感じた。3年遡ってようやく私の理解が追いついたということだ。ということはすなわち、私はこの領域で3年取り残されていたということになる。

いや、これもまだ正確ではない。今回見つけたのは日本語の資料であり、元となった英文論文からは2~5年以上遅れて解釈されている。すなわち、領域の専門家が7,8年前に終えた研究を、「最新の研究」として今学んでいるということである。

どこが最新なんだろうな、と思う。しかし私にとって、そして私の仕事で関わる人たちにとって、大事な勉強であることに間違いはない。


研究と臨床の差。

短くて10年、長いと30年くらいか。

ノーベル医学生理学賞の受賞が、研究業績が世に出てから20年以上かかることはよくあるが、その20年がすなわち「最新の研究が浸透するのにかかる時間」なのだと考えてよいだろう。


今回調べたのは「自分のあまり知らない分野」であったが、じつは、「自分がけっこうよく知っている分野」についても、これと似たようなことが往々にして起こる。たとえば、日本のがん取扱い規約に採用される各種の所見(細胞のようす)は、たいてい、10年くらい前に発見された結果をもとに、5年くらい前に統計の結果が明らかになったものを遅れて採用したものであることが多い。したがって、「最新のがん取扱い規約に出てきた病理診断のやり方」というのはすでに最新でもなんでもないのだ。私は胃腸の病理診断の専門家であるにもかかわらず、WHO分類やがん取扱い規約に掲載されてはじめて「なるほど、そんな所見があったのか」と気づくことがままある。


もっとも、私のように医学を現場で実践的に用いるタイプの医者は、「最新の情報」など手に入れても持て余すかもしれない。統計解析が済まないまま、「飛ばし」気味に報告された病理所見のあれこれを、日常の診療に取り入れても精度は保証されない。興味本位で最新の論文に見つけた「細胞のみかた」を採用したところで、それを患者に対して適切にフィードバックすることなどできないし、主治医の臨床的な疑問にも答えられないのがオチだ。

しかし、なんというか、それはそうなのだけれど、あとはもう「欲望」のレベルになってしまうのだけれど、自分が関わっている分野の最新の動向なんてのは、役に立つか、もてあますかといった価値観とは別のところで、「単純に知りたい」。



「トロゴサイトーシス」かあ。ぜんっぜん、知らなかったなあ。いつかプレパラート上で、「これだっ、これがトロゴサイトーシスだっ」と見つけられたらいいがなあ。役に立つかどうかはわかんないけど。

むしのむなし

映画「PERFECT DAYS」に出てきた柄本時生の役がよかった。渋谷のデザイントイレを日々清掃する平山(役所広司)の仕事仲間。

平山(役所広司)はシフトを気にして本部に電話で文句を言ったりするので、バイトリーダーもしくは社員待遇なのだろう。一方の柄本時生はどう考えてもバイトである。バイトなのだから当然のことだが、金さえ稼げれば仕事のクオリティや責任や影響などは正直どうでもいいし、バイト代を貯めてガールズバーの女の子にみつぐこと以外にモチベーションはない。そして、柄本時生は平山(役所広司)に金を無心するのだが、その頼み込み方が、「いかにも」である。

詳しくは映画を見てもらうとして、ああいう、自分の損得や感情のために周りに「ひとまずあつかましめにアピール」はするけれど、一線を越えた暴力とか暴言とかは言わないタイプ、いうなれば「あつかましい草食系」という形象を、柄本時生は完全に演じきっていた。これは役柄なのではなくて本人の器質なのではないかというレベルまで仕上がっていた。各種の映画賞が彼に助演男優賞を与えていない(どころかノミネートすらしていない)ことが不思議でもあるし、それだけ夾雑物なく映画に沈み込んでいたということでもあって、逆にリアルだなとも思う。

なお、主役の平山(役所広司)についても、役所広司がすごすぎて、作中、まったくノイズを感じずに平山という一人のキャラクターとして見ていくことができるのだが、映画が終わって数日経つと、役所広司のこれまでの膨大な実績に飲み込まれて「平山(役所広司)」というようにカッコがついてしまう。その点、柄本時生は違った。あれは逆に役名が思い出せない。演じているのではなくて本人だというくらいに柄本時生そのものだった。柄本時生でしかなかった。いや、まあ、柄本時生が本当はどういう人なのかなんて私は知らないけれど、平山(役所広司)とは違う意味で、あれは「柄本時生」という不可分の一個体であり、私はそこにほれぼれとした。





さて今日の私は、柄本時生のすごさを語りたかったわけではなく、柄本時生が演じた若者について言葉を探したい。彼の見事な演技を見ながら私は、「無私」という姿勢がむなしい時代に暮らしているのだという思いを新たにした。多様性を認めつつハラスメントは撲滅する、極めて正しい方向に世の中が一斉にドライブしていくなかで、内輪差に巻き込まれるようにして砕け散ったのが「無私」の精神ではないかという気がする。

最近、みんな、「私」を隠さなくなった。悪びれなくなった。交渉が単純になった。ほしければくれという。嫌な仕事はやめたいという。すべて許容される時代であることに、不満は一切ない。しかし、「私」の提示がとにかく強くなった、という印象は否めない。

逆に、自分の欲望や生き方をいったん棚上げにして、顔の見えない誰かのために何かをするような精神は、本当に少なくなったと感じる。他人の中にも、そして、自分の中にもだ。

多様なありかたをすべて認めるために必要なのはあらゆる個人にオリジナルとしての権利と自由を許可することである。そのためには、確定申告で何度も何度もマイナンバーカードのスキャンを繰り返すように、いつも何度でも「私」を提示していく必要がある。我々はいまや、「私」を外表面に露呈させた人たちが押し合いへし合いするバブルサッカーのコートにいる。

「とりあえず目の前にいる相手が一瞬でも不快になったら謝ろう、でも、もしかしたら不快にならないかもしれないのだから、まずは自分の欲望を素直に相手にぶつけてみよう」。平山(役所広司)の持っている1970年代の洋楽ロックのカセットテープを勝手に叩き売ろうとする柄本時生の姿は、「無私」とは程遠い。スマホのQRコードを店員に読ませるように、「私」を相手の眼前に出して交渉をし、「私」を保持し続けることに人生を費やす姿。それは榎本時生だけではなく、アオイヤマダ、石川さゆり、三浦友和、あの映画に出ていたすべての人に巧妙に縫い付けられていた、ヴィム・ヴェンダースの慎重な呪いではなかったか。

歴史的文脈を遡れば、一億総玉砕、欲しがりません勝つまでは、公益の為に「私」を消しなさいと強要されてきた時代のひどさに思い至る。「それに比べれば」「自由と平等のためならば」。しかし、人間はこうも逆張りしかできないものなのかとため息のひとつも付きたくなる。こうまで、ここまで、私に押しつぶされあう世の中で、私は今後、ある一瞬だけであっても、「無私」の仕事を、なにかひとつでもやっていけるものだろうか。

ベストが似合う年齢になった病理医の小言

病理医の仕事に「手術検体の検索」というのがある。人間の体に対して行われる手術の多くは、「何かをとってくる」=摘出作業にあたる。摘出された臓器は、大きくても小さくても病理医が確認する。すなわち、病理医の仕事は、最低でもその病院の手術の数くらいはある、ということになる。

ただしいくつかの例外があって、胆石や尿管結石のような「石」とか、血管の内側にへばりついている「プラーク」、胃腸に突き刺さっていた「魚のホネ」、白内障における「なんか白くにごったアレ」などは病理医の担当ではない。心臓の手術や整形外科の手術などのように、摘出ではなく「補修」的な手術の場合も、「取ってくるもの」があまりないので、病理医の出番は少ない。

病理医が多く関わるのは「がん」の手術だ。臓器そのものが取り出されてくるならば、必ず病理医が関与する。

肝臓や腎臓や肺などにできものができたら、それらを十分な「とりしろ」を確保した状態で切り取る。胃腸のがんなどではパイプ状の臓器を切って、病気のある部分だけを取り除き、残りをまた繋ぐ。これらの「取ってこられたもの」がすべて、病理医に預けられる。



すでに病気は取り終わっているのに、なぜ取ったものを病理医がさらに見なければいけないのか?

いくつかの理由がある。

ひとつめの理由。「取ってきたものをくまなく観察することが、その後の患者の治療につながるから」。

すでに取り終わった臓器はどれだけいじくり回しても患者に負担がかからない(痛がらない)から、どれだけ見ても大丈夫だ。ためつすがめつ見る。ナイフで切って見る。顕微鏡でじっくり観察する。

その結果、病気の正体がなんなのか、どれくらい広がっているのかを把握して、手術後の患者の治療に結びつける。何ヶ月後にCTで追加検索をするか、抗がん剤を追加する必要があるか、あるとしたらどのような薬をどれくらい投与すればいいのか、といった判断のほぼすべてが、病理医の診断をもとにくだされる。

主治医が患者に、「手術後の検体は病理医に見てもらいます」などと説明するとき、どうしてそんなことをするのかと問われてまず答えるのが、「今後の治療方針を決めるため」の一言である。


でもこれだけじゃない。ほかにも理由がある。

それは、「病理医がきちんと臓器を扱って病理診断をすることで、あとから振り返って研究することができるから」というものだ。

あらゆる病気の「治療法」は、人類がこれまでに経験してきたことを積み上げ、専門的な検討を加えることで編み出される。理論だけでも動物実験だけでも治療はできない。この薬を使っても効く人と効かない人がいるのはなぜか。手術でケロッと治る病気と再発する病気があるのはなぜか。どのタイミングでどういう治療を行ったら患者の命がより延びるのか。こういったことは常に、ひとつひとつの症例から得られたデータをもとに解析され続けている。

医学ではどんな領域においても、1年前の治療よりも今の治療のほうが少しだけ精度がよくなる。これはひとえに、患者ひとりひとりの、病気ひとつひとつのデータを解析する人がいるからだ。このデータ解析の中核にいるのが病理医である。


病気のデータ解析をする際には、3つの条件が求められる。

(1)日本中、世界中で通用するような、客観的な観察方法を用いること

(2)くまなく検索して、網羅していること

(3)あとから見直せるように、素材もデータもきちんと保存しておくこと

それぞれ説明しよう。まず(1)だ。客観的な観察方法。病理診断のやり方は「取扱い規約」などによって体系化されていて、全国どの病院でも、同じ手術を施行したならばだいたい同じやり方で検索がなされる。これがすごく大事。

また、前述したように、病理診断は患者に対してそれ以上の負担をかけず、取ってきた臓器をじっくり検索できるので、毎回同じ手順で詳しく検索しきることができる。患者本人の記憶をたどる必要がある問診とか、患者の状況によっては施行できないことがある画像検査・血液検査といった検索方法にくらべて、客観性も網羅性も高い。したがって(1)と(2)が満たせる。

そして、(3)、つまり保存性だ。ホルマリン固定したのちに、パラフィンと呼ばれる物質に封入された検体は、半永久的に保管できる。30年前の手術検体からプレパラートを作り直して、かつては存在しなかった診断概念を持ち込んであらたに診断しなおすと言ったことも可能だ。DNAやタンパク質については何年経っても再度検索できることも多い。

加えて、病理診断は「細胞のようすを逐一記載する診断」だという点も地味に見逃せない。病気の概念は時代とともにうつりかわる。たとえば、かつてhepatoid adenocarcinomaと呼ばれていたものが今はadenocarcinoma with enteroblastic differentiationと名前が変わった、みたいな話がしょっちゅうある。でも、「細胞がどのように見えるか」については、時代をいくら経ていても、当然だが変わらない。「細胞質が淡明で、核異型が強く、細胞構造が索状になっている」といった情報を読めば、30年前には診断できなかった(診断概念がなかった)病気についても、ああ、今でいうところのあの病気だな、と推測することも可能である。つまり、病理診断は、情報の意味でも保存性が高いのである。

あと、上の3つの条件とはちょっと違うけれど、病理医という職業が「わりと数を見る仕事である」というのも大事かもしれない。たとえば私は、数年前までは年間約4000件の病理診断に携わっていたし、最近はもう少し仕事が増えて年間6000件程度の診断を行っている。これほど多くの患者に携わるのは、あくまで患者の「一部」(※検体)しか見ていないからではあるが、その分、ほかのどの医者よりも多くの病気を見ていることになる。必ずしも多く経験すればいいというものではないにしろ、日常的に多くの症例に出会っていることが、データ解析の精度にはそれなりに重要ではないかと思う。



病理医を目指す若手や、専門医を取り立ての病理医などが出席する会に出ていると、病理医の仕事の「作法」についての、ローカルな違いなどが話題にのぼることがある。臓器を検索するにあたって、どこまで細かく追求すべきか、といった話では、ときに、「ここまでやっておけば診断には十分だし、主治医もそれでいいよと言ってくれているので、あとはうまく手を抜きます笑」といった話が、(どこまで本気なのかはともかく)語られることがある。

これは決して悪いことではない。病理診断に限らず、あらゆる仕事は「うまくサボる」ことが長く続ける秘訣であることは言うまでもない。

しかし、病理医の仕事相手が、「今そこにいる患者」と「その主治医」だけだと思っている病理医がいることはちょっとだけ気になっている。我々の仕事は、将来の医学のためにデータを確固たるかたちで残すこととも関係がある。主治医がそこまで求めていないから検索を省略するという姿勢は、病理医の仕事をそれこそ「3割」くらいサボっていることになるのだけれど、給料がもらえるからといって、働いた充実感が得られるからといって、それでほんとうに、「病理医としての人生」を満了したことになるのだろうかと、私はたまに気にしてしまう。


あー、俺、いい感じでうっとうしいおっさんに育ってきたな……。

クソリプという道具

誰かが「今日は寒いね」と言ったとき、「そう? 寒くないよ」みたいなリアクションをとらないようにしたい。


もし、誰かが寒いと言ったなら、それはその時その場所にいたその人が、「世界が寒く感じられた、と、他人に伝えたいと感じた」ことを示している。

このとき、気温/室温が数字上どれくらいであったかとか、じつはその人が心の中ではそれほど寒いと思っていないのだけれど寒いふりをしたかっただけかもしれないといった、「本当はどうなのか」は、どうでもよい。

「誰かが、寒いねと眼の前にいる人に伝えたくて、そのように声を発した」ことだけが、誰にも否定できない事実である。

逆に言えば、事実として認定可能なのはその一点、誰かが誰かに声を届けたかったというところ以外には存在しない。「あの人は寒いと言ったけれど、本当はどうだったのだろう」の、「本当は」は、言葉の力がやけに強いけれど、無為である。


私たちが誠実に暮らそうと思うとき、相手の口からなんらかの言葉が出たことを肯定しなければ、はじまらない。

実際の寒さと照らし合わせる必要なんてない。

その人の腕に鳥肌が立っているかどうかなんて確認しなくてよい。

世の中の何割の人が寒いと感じている日なのかなんてどうでもよい。

「寒いですね」と告げたかった人がいるということに、まずは向き合うべきである。




私たちはとかく道具に規定される。

私たちは進化の過程で服を手に入れたが、服なしでは過ごせない羞恥心にしばられている。

私たちは刃物や火を使える生き物だが、刃物や火なしではろくに食べることもできない生き物でもある。

道具によって行動範囲が拡がるだけではない。逆に道具によって行動範囲が狭められる。

私たちは、ほかの動物よりもはるかに、「ものの真贋を見抜く思考」を長時間運用することができる。そのせいでかえって、「真贋を判断しないまま思考をできない器質」に陥っているようにも思う。

「本当はどうなのか」

「裏には何があるのか」

「ファクト」

「イデア」

みたいな話に魅入られている。魅入られすぎている。

だから本能的に、誰かが「今日は寒いね」と言ったときに、「本当に寒いだろうか?」という事実確認の手順を、無意識でたどってしまう。

そのくせ、私たちが「事実」と考えているものの多くが、じつは自らの視座からしか体験できない主観的経験に根ざしていたりするのだから、幾重にもずれている。



他人と自分の「感覚質」が異なることに自覚的でないといけない、と言ったのは、『宙に参る』の鵯(ひよどり)ソラであった。

私の感じている世界と誰かが感じている世界とは違う。

それは悲しいことでも悩ましいことでもなく、ただ、違う。

その違いを、「えっ、私にはこう見えるよ」「私にはこうにしか感じられないよ」と、否定で埋めにかかる動きを、私たちは無意識にとりがちだ。

私たちがなまじ、「真実を見抜けそうな目と脳」を持ってしまったばっかりに、その道具によってかえって振り回されている。



事実も真実も、そもそも、他者と分け合えるようなたぐいのものではない。

「他者と分け合うことが可能な事実」がないわけではないが、それらは、「科学」が苦労しながら積み上げてくれている共有データの中に存在している。

科学だけで駆動していない人間性が感じる「事実」の多くは、そう簡単には共有できない。

他者の事実に対しては、肯定も否定もむなしい。ただ、おもんぱかることしかできない。



いにしえの哲学者の言った、「我思う故に我あり」は、じつに中途半端な言葉だ。信じられるものが自分の存在だけだったと言いながら、他者に伝わる言語でそのことを書き残しているのだから、かまってちゃんにも程がある。

「誰かが何かを言ったとき、それを言いたかった誰かがいる」ということ。「言う誰かあり」こそを、最初に掲げていれば、私たちはここまで、他者の感覚に自らの感覚を覆いかぶせるようなタイプの生き物にはならなかった。私はこう考えて、書いて、残した。

グッチ裕三

Zoomに飽きた。

現地の研究会に出てぇ~~!

誰かがしゃべってる間にかぶせ気味に発言してもノイキャンがかからない研究会に出てぇ~~!

本筋の議論がマイクを介してがんがんすすんでる横で、自分のまわりにいる人たちと小声でさらに細かい部分のディスカッションで盛り上がれる研究会に出てぇ~~!

Zoomに飽きた!


でもまあZoomは実際ありがたい。

毎回同じジャケットでも気づかれないし。

懇親会とか飲み会とかを気にしなくていいし。

研究費がなくても遠方の会にじゃんじゃん出られるし。

失ったものよりも得たもののほうが多い。



インフラが時代とともに移り変わっていくたび、不満を述べるのがくせになっている。正味でいうと、やっぱり昔より今のほうがよくなったことばかりなのだけれど。

たとえばスマホ。こいつのせいでGmailがいつでも着信してうっとうしいったらありゃしない。目だって多少悪くなった。ぼくはかねがね、スマホの普及に不満がある。

でも、ないよりあったほうがずっといい。

たった5分の空き時間でもKindleでさっとマンガが読めちゃう。からくりサーカス、パトレイバー、ドラゴンボール。出張先のホテルで酒のつまみがなくなったときにさっとVtuberを追っかけたりできるのも夢のようだ。「目覚まし時計と辞書と地図をいっぺんに持ち歩ける」時点で便利でしかない。

なのに、昔のほうがよかったよなって言いたくなってしまう。

世の中が良くなっていても関係ない。

そうなのだ。私はそもそも「愚痴を言いたい」のだと思う。



おそらく私はいつも愚痴の矛先を探している。

「今はどんどん良くなっている」だと愚痴が言えないから、なにか理由を見つけて「今が良くない」話を探す。

愚痴を言うことが先。問題点を後付けで探し回っている。

それもこれもみな、私が「愚痴を言う」ことでなんらかの脳内ホルモンを獲得するタイプの人間だから、ではなかろうか。




家族に言われたことがある。あなたは仕事が忙しくてぎりぎりなときには一切愚痴を言わないが、仕事が少し楽になってくると、身体的なことも含めてたくさんの愚痴を言うようになるよね、と。

言われてみればそのとおりだ。

「仕事が忙しい」ときの私は、愚痴を言うとしても「忙しい」以外は思いつかない。そして、忙しいときに忙しいと言うのは愚痴じゃなくて報告でしかない。したがって愚痴を言う暇がない。

一方、「仕事が楽になったとき」には、自分の体の不調や、日常のちょっとしたずれなどを次々とピックアップして、愚痴を口に出すようになる。

私の心の奥底に、「愚痴を言いたい欲」がある。

欲望に向かって進めるのは余裕があるときだ。

本当に忙しいときは欲を見ている暇がない。





私の根っこには「愚痴を言いたい」というしょぼい心根がある。Zoomに飽きたと愚痴るとき、本当に悪いのはZoomではなく、Zoomという「わりと叩きやすい対象」に愚痴の矛先を向けた私のほうである。Zoomかわいそう。

解釈違い

いにしえのファミリーコンピュータマガジン(ファミマガ)で連載されていた、神崎将臣のストリートファイターIIマンガはリュウが主人公だった。

神崎将臣は絵がうまい。迫力がある。けっこう楽しみに読んでいた。

ただ、解釈違いがふたつだけあった。

ひとつは、昇龍拳より波動拳のほうがすごそうに描かれていたことだ。



世の平均的なゲーム少年であった私にとって波動拳というのはあくまでダルシムやブランカを飛ばせるための牽制技にすぎなかった。昇龍拳こそが必殺技だ。昇龍拳こそがフィニッシュブローとしてふさわしいと信じていた。(竜巻旋風脚はギミックであり使い方のよくわからないトリック技であった。)

だから神崎版で昇龍拳が比較的中盤であっさりと放たれ、終盤付近で満を持して波動拳が大ゴマで放たれたとき、私は少しだけ不満だった。

なんで波動拳なんだよ、と。


しかし今にして思えば、神崎将臣の判断のほうがむしろ納得できる。

昇龍拳なんてものは格闘家でなくても普通に真似できる技だ。子どもが真似すると体幹がしょぼいから墜落した鯉のぼりみたいな見た目になる残念な技だ。所詮は単なるジャンピングアッパーであり「魅せる」のが難しいから炎でもまとわせないと形にならない。

その点、波動拳は違う。

格闘の先にある強さを正しく体現した真の必殺技。かめはめ波の例を出すまでもなく、マンガに必要な強さとファンタジー性を兼ね備えたフィクションの王道なのである。


今の私が神崎版を読めば、昇龍拳が先、波動拳が奥の手である構成に文句はない。

でも、それでもあえて言うけれど、私にとって、さらにはおそらく当時の私たちにとって、リュウの必殺技といえば昇龍拳だった。

それは単なる解釈の違い。そして、年月以上に私は少年時代から隔たったところにいるのだなという寂しい諦観の引き金であった。


ヨッシーがウィッキーと鳴いてはだめだ。

ヤエちゃんがエロいのは許せない。

プルツーがずっと全裸なのはなぜなのか。

私はあの頃、さまざまなマンガに、そうじゃないんじゃないかという違和感を抱え続けていた。

今ならわかる。今なら理解できる。

そして今の自分はつまらなくなったものだなとしみじみ感じる。



神崎版にはもうひとつ解釈違いがあった。

それは春麗の目が大きく美しく描かれていたことだ。

私は、あの頃、「この春麗はジト目じゃないなあ」、と、それがけっこう不満だった。これについては今の私も、時を越えて、少年時代の私とがっちり握手をする準備がある。ジト目じゃない春麗なんて春麗じゃないのだ。

顕微鏡のほうが使いやすいよ

バーチャルスライド。PC上でミクロ画像を見ることができる特別なシステム。

顕微鏡の対物レンズ40倍相当(接眼レンズとトータルすれば400倍の拡大倍率)で、標本すべてを写真撮影してある。マウスとモニタで組織を自由に拡大・縮小して、すみずみまで観察することが可能。自宅にいようが海外にいようが病理診断ができる(理屈上)。

このシステムを用いれば、診断が難しい症例を、遠くに住むコンサルタントに気軽に相談することもできる。若手病理医が、出張先で診断に迷ったとき、自施設にいるボスに診断のヒントをたずねることもできる。

診療、研究、教育、いずれにおいても役に立つ近未来ツールだ。

いや、未来ではない。すでに多くの病院に、プレパラートをバーチャル化するための専用機器が導入されている。

ただ、まあ、当然、金がかかる。

初年度にだいたい2000万、その後も毎年1000万くらいかかるシステムが一般的である。ここ最近は円安と物価高の影響でさらに高くなっていて、私が導入したいと考えていたシステムはいまや初年度に3000万くらいの出費が必要となる。

このバーチャルスライドシステムは診療報酬上の上乗せがない。いくら使っても、そのままでは病院にもうけは生まれない。

バーチャルスライドシステムがあるとちょっとだけ病理医が元気になる。診断に対するやる気も増す。学問的な伸びしろも出てくる。そういうのがめぐりめぐって、長い目でみたときに、その病院の財産になり、所得になる……と、病院経営者側が考えられるかどうかである。

入る病院には、ぽんと入る。

入らないところには、いつまでも入らない。

ねえねえ、うちはどっちだと思う? ウフフ……。

A. _______(あなたの答えを書いてください)


ドロロロロロ ジャン

正解!

A. いつまでも入りません!



というわけで当院にはスキャナはない。もっぱら、他の病院でスキャンしたプレパラートの画像が送られてくる。



たとえば私が誰かに病理診断のことを質問しようと思った場合、プレパラートを郵送する。このときお手紙も添えておくのが礼儀だ。

一方で、私に何かを質問したい人は、スキャナで取り込んだデジタル画像をメールでポコンと私に送ればそれで済む。圧倒的にラクだ。

私のもとにはメールがくる。私のもとからは手紙が出ていく。

非対称である。多様性である? 不公平である。



今日もコンサルテーションがやってきた。ギガファイル便のリンクをクリックしてダウンロード。しかし、10分経っても終わらない。圧縮しているはずなのにこのチンタラ感。

当院の仕事用ネット回線は激弱だ。書いていて赤面してしまう。

いまどきPOPやSMTPを用いているというのもいろんな意味で弱い。そのくせファイヤウォールがどうとか言って大半のメールアドレスをそのまま使えない状態に設定している。IoT時代にまったくついていけていない。

この先、もしバーチャルスライドスキャナが導入されても、この回線速度だとクラウドへのファイル保存ができない。

当院にデジタルパソロジーを導入するにはいくつもの壁がある。



先日、1年ちょっと勤めた日本デジタルパソロジー研究会の広報委員長の座を辞退した(まだ任期は残っていたのだがもうがまんできなかった)。ほかの役員にすごい怒られた(なんでやめるんだ! もっと仕事してほしかったのに! 的に)けれど、仕方がない。当院にデジタルパソロジー環境がないのに、私がどのつらさげて委員長をやって、やれテレパソロジーがどうだとかAIがどうだとか、歪んでいるし馬鹿げている。


同じ日本のどこかでは5G時代が到来しているというのに、田舎の中規模病院は世の発展に取り残され、病理診断科主任部長はガラケーを打つようにアナログな顕微鏡に向かっている。海外の病理医からのメールにこう書いてあった。「ドクターイチハラ、また教えてもらいたい膵臓生検検体があるのだがちょっと見てもらえないか。WSI(whole slide image。バーチャルスライドのこと)を送ります」。日本で見たことのないタイプのバーチャルスライド。海外仕様のビューアー。至れり尽くせりのメールの案内を必死で読んで環境を整える。なるほどよくできている。細胞の拡大にも視野の展開にもストレスを感じない。うらやましい。膵臓の診断にかんする参考意見をちょろちょろと書く。書きながら思う。

「俺よりいい環境で仕事してる人に、この先、あっというまに追い抜かされるだろうなあ」



いまどきの武道家は、スマホの電波が通じない山奥に暮らす達人の下に教えを請いにはいかないだろう。一方で病理医はいつまでWSIスキャナのない病院の病理医にコンサルテーションを続けるのか。メールに返事を書いている私の顔は、山林の奥の茅葺屋根に住む合気道の達人のそれである。時代錯誤だ。委員長失格。技術についていけなくなって、口先ばかりが達者になっていく。メール送信したがすぐにエラーで返ってきた。ああ、もう、置いていかれてばかりだ。せめて人一倍勉強しないと、ここにこのまま居続ける許可が得られない。許可? ここで働くのに誰かの許可が必要なのか? もちろん必要である。私は私に、「ここにいていい人間かどうか」という許可を出す。毎月更新制である。ちょっとでも怠ったらすぐに失格。インターネット全盛時代にアナログで生き残るための資格。取得単位は膨大だ。ゆめゆめ、サボってはならない。

蚊柱

ついさっきまで、このブログ用に、「病理検査室のシステムにかかわる話」をえんえんと書いていた。しかし最初から最後まで病理医にしかわからない内容になってしまい、こんなもの、ブログではなくどこかの会報に書くべきだよなと自らつっこんで消したところである。まったく、もうちょっと考えてから書き始めなさいよ。ああ、すみません。考えてから書いたことがあまりないんです、書きながら考えるほうが多いんです。はっ、なにをえらそうに。ああ、すみません。



考える前に書く、考え始めるために書く。ポリシーではなく手癖である。いいとも悪いとも思わない。ちょっとだけ悪いところのほうが多いかもしれない。けどいいこともある。そもそも直そうと思っても直らない。だから手癖なのである。

近頃は、書く前によくよく考えて考えて、考え終わったあとのことを書きたいな、と感じることも増えてきた。

でも、感じるんだけど、実際に書くまでにはなかなか至らない。

深くしつこく考えようとして、実際に、考えてみる。その後、「よし、ここまでは書けるかも」と思い至る。しかし続いて、「ここまで書けるな。たぶんこういう文章になるだろう。そしたら次は、何をどう考えるだろう」というところに思考が及ぶ。せっかくならもう少し先まで考えてからにしようかな、などと思い直す。そうこうしているうちに書くタイミングを逃す。いつまでも考えている。いつまでも書き始められない。

しょうがないからブログには、ずっと考えていることとは別の話を書く。まだ考え始めてないことを書きつける。書きながら考える。そうすれば、ずっと考えていることを維持しつつ、別の文章が組み上がる。まあ、なんか、そうやって、書いた文章がたくさんあるのだと思う。





いやー違うかも。今の話。ぜんぶ違うかも。





連綿と考えている。結論の出ない話を考えている。もやもやと考えている。ときどき思考がぐっと濃縮されてなにかの輪郭が見えそうになる。しかしまたふっと淡くなって体積がでかくなりピントがボケる。蚊柱のような思考。

あるいは、安定しない、基盤のない、固定できない、質量だけがあるが落ち着かない話を考えている。どこかがガラリと欠けて全体がゆらぎ、傾く。次の面が現れる。またそこが刺激を受けて次にガラガラ崩れる。バランスが変わる。氷河のような思考。

そういうものを、そういうものの本体を、私はこれまでまともに書いたことがない。書ける気もしない。そこまではいっしょだ。

しかし、かといって、ブログやSNSで、「さあー書き始めてしまえばあとは野となれ山となれ!」みたいに書きつけるものが、そういった蚊柱や氷河とまったく別のものかというと、そんなことはないのではないか。

蚊柱からハミ出た蚊の一匹を目で追ううちに、いつしか自分の手に止まっていたのでピシャリと叩いたら、私の血と、それ以外の液体とが広がる、そういう風景をブログやSNSに殴り書きしているのだとしたら、それもまた蚊柱とちょっとだけ関係のあるなにかではなかろうか。蚊柱の全体像を決して反映はしないのだけれど、まごうことなく蚊柱の一部であった何かを潰した液状成分を書いたことにはならないか。

氷河から崩れて落ちた氷の塊が波間に揺れてとぷんとんとぷんとこちらにやってくる、そのいびつなクリスタルを見ているうちに海水温によって溶かされて少しずつなくなっていく様子、多角柱状だったものが紡錘形になり、卵状になって、境界があったもの、三次元だったものが、ある瞬間にふと二次元を瞬間的に通り過ぎてゼロになっていく過程、そういう風景をブログやSNSにあわてて書き留めているのだとしたら、それもまた氷河とちょっとだけ関係のあるなにかではなかろうか。氷河の全体像を決して反映はしないのだけれど、まごうことなく氷河の一部だった何かが消えて海を薄めたプロセスを書いたことにはならないか。




分節するのが仕事である。分類するのが職能だ。だからすぐにうっかりする。うっかりと私の思考も分画しているものだと錯覚する。

でも本当は違うのだ。私は考えて書いて考えて書いてをそれぞれ分けているようなそぶりで、なにか、かっこうをつけているだけで、本当は、蚊柱であり、氷河なのである。不定で不定形で不安定で不安。拠り所なく保証もなく、結実しないし構造ももたらさない。生命とは少しちがうやりかたで、熱力学の法則に逆らうでもなく、ただ、なにか、不思議な塊を作ったり壊したりしている。その途中がさみしくて、もったいなくて、まあ、写真でも撮っておくかといって、光の射し方を気にしているうちにあらゆる形象はうつりかわっていく。だから急ぐ。あわてる。浅慮に書き留め、書くことでまた欠けたり集まったりする。

わたしはときのせいれいころーにゃ

新しい研修医がやってきた。仕事場の雰囲気がまた少しだけリセットされる。一度中ボスくらいまですすんだゲームのデータを消してまた最初からはじめるような気分で、私はチュートリアルの人を演じる。いつもと同じように。省略をせずに。


ラダトームのまちに ようこそ。


パソコンのログインパスワードの共有、画像編集ソフトの使い方、プレパラートに点をうつプラマン(ぺんてる製。プラスチック万年筆の略)の置き場所、癌取扱い規約や腫瘍病理鑑別診断アトラスの紹介。

このクラスの顕微鏡では接眼レンズの幅をあわせることができる。接眼レンズの左右のピントをそれぞれいじることもできる。コンデンサーはここにある。対物10倍レンズ以降はこれを入れるように。絞りがずれていないことを確認。当院ではプレパラートのラベルは右側に置くと消化管検体の粘膜が上にくる向きになります。

病理医をいちからはじめるための最初の数歩。

最初?

いまどきの研修医は熱心だから、学生時代にすでに顕微鏡をみる訓練をしているので、じつは最初でもなんでもない。今回やってきた研修医も、これまで、忙しい研修の合間を縫うように、他の研修医と連れ立って病理の部屋を訪れ、受け持ちの患者の病理組織像を見せてくれと申し出てきた。すでに助走ははじまっており、体は十分に温まっている。顕微鏡の使い方も、取扱い規約の存在もよくわかっている。そういう人に、何を教えるか。

わかっていても最初からやる。知っているであろうチュートリアルを省略しないですすめる。このほうがいいのかなと思い始めたのは、ここ数年のことだ。

「もうわかっていると思うんで、いきなり症例をガンガン見ましょうね」とやってもいいのだけれど、そうすると、この研修医がいずれ専攻医となり専門医を取得して研修指導医になったとき、すなわち「いちから他人を教える立場」になったとき、かつて私が教えていたことをロールモデルに、あるいは反面教師にしようと思ったら、私は序盤を省略すべきではないのではないか。

「私が若手だったときは、研修の手始めにまずこれとこれを教わったものだよ」が言えたほうがいいのではないか。




最近考えるのは時間の流れのこと。先をみすえた医療をすることが大切なように、先をみすえた教育もしたほうがいいだろうと感じる。今この瞬間に、研修医が退屈そうにしているならば、それはなんらかの手段で改善しなければいけないと思うが、「将来おそらく必要となるたぐいの退屈」なのであれば、本人にそう伝えた上で、ある程度の退屈を許容してもらうことも必要なのかな、ということだ。

まあ、こうやって、歴代のつまらない講義や実習ができあがってきたのだろうなということは想像に難くない。

でも省略ばかりしていてもだめなのだ。今スタイリッシュに見えるという理由だけで、丹念さをおろそかにしてしまうと、伝承は脆弱になり、継承は断片化する。



Nintendoのゲームのチュートリアルが優れていることは論を俟たない。マリオを一目見ただけで「ああ、右側に走っていけばいいのか」とプレイヤーに気づかせる工夫。序盤のクエストを順番にこなしていくことでリンクの「機能」が次々と明らかになっていく構成。ああいうのを見るのが好きだった。私はおそらくチュートリアルを作る側に対して永遠のあこがれがある。

一方で、ファミコンの「シェラザード」や「ゾイド」のように、チュートリアルがうまく機能していないためにノーヒントではクリア困難なゲームの魅力が全くなかったかというとそんなこともなかった。いかにゲーム制作者の気持ちにログインし、書いていないヒントを解き明かすかというのも、わりと嫌いではなかった(けど結局は攻略本頼みだったが)。

私は、今の病理診断学の教育システムの一部は、シェラザードほどではないけどチャイルズクエストくらいは難解だなと思うことがある。「ちくわのあな」をノーヒントで解いた人間はいないだろう。しかし当時のぼくらは、今から思えばあまりに貧弱な「インタークラス」のネットワークを駆使して、なんだかんだでああいう不親切なゲームを解いていたのだからなんとも豪気なことである。研修医も別にそんなに甘やかさなくてもいいのかもしれんが、なあ。

日常に生きる少年

毎日、自分の体の具合が悪いところのことばかり考えている。朝起きたら、昨晩よりも痛い場所や昨晩よりも動きが悪い場所のことに、まず気持ちが持っていかれる。そこからはじまり、そこに尽きる。

差分に着目してしまうのはわれわれの五感の特性だ。変化のない部分は知覚から漏れがちである。部屋の隅でかすかにホコリが動いただけでもピクリと感じ取る同じ目が、通勤ルートの左右に点在する店の看板を一切気にしておらず記憶にも残していないのだから、我々の受信システムはずいぶんと「差分の抽出に特化」させられている。

「便りのないのは良い便り」という格言を、わざわざ作って普及させた昔の人の知恵がしのばれる。我々はいつも、変化しか見ていない。常態に興味が持てないようにできている。




2023年度はいろいろな理由があって仕事をセーブした。オンサイト(現地)での出張は激減し、病理解説などの仕事はほぼすべてZoomやWebexを通じて行った。あれよあれよといううちに脳内万歩計の数字が減っていき、足腰、首、ふしぶしに猛烈な勢いで老化が発生。

ひるがえって2024年度はどうか。ストーカーに追いかけ回されるのがいやだからどこにも書いていないのだけれど、本当に毎週のように出張がある。コロナ禍の前に戻った感じだ。メインの学会に別の出張先からオンラインで参加するといった嘘のような日程もたくさん組んでいる。

今年は独特だ。すなわち前年とくらべて変化した。変化によって認知される。

この4年ほど、私はどこで何をしゃべったのかほとんど覚えていない。職場に提出する業績ファイルを見ても「そんな会に出ただろうか」としか思えない。講演プレゼンを見返しても同様。「空白」の二文字が変化を失った日常にとろけて溶けて消えていく。

今年は去年にくらべて、自分の取り組んだものをもう少し、自覚できるかもしれない。





もうだいぶ前の話。祖母が亡くなったあとに、私が気に病んでいたことがある。この先、時の選択によって、祖母の思い出をやむなく忘れていく過程で、最終的に「祖母の死に顔」という非日常だけが記憶されてしまうのではないかと心配になったのだ。それくらい、祖母の死は私にとって、(急性の痛みではなかったことこそ幸いではあったが)大きな瘢痕を残すできごとであった。

そこで、ことあるごとに、「生前の祖母が私にしてくれたこと」を思い出そうと心に決めた。能動的に思い出を強化し、本当に覚えていたいことをいつまでも忘れないようにしたかったのである。

とはいえ脳を意図的にコントロールすることなどできはしない。残念ながら、生前の祖母の記憶は日に日に薄れていった。

しかし。結果として、私の心配は杞憂だった。

私の中には、あいかわらず、祖母との日常が鮮明に刻印されていた。いったい何が起こっていたのか。




「おやすみなさい、明日もお元気で」。




私が小学校に入る前から、祖母は居間の隣の寝室に入っていく前に、私と弟の手を握って、7文字+9文字のおまじないを一言ずつ唱えながら、握った手を縦に振った。それは日常であった。中年になった今の私ならば、あるいは認知の対象として脳が判定してくれなかったかもしれない、毎日飽きることなく繰り返された儀式であった。

しかしあの頃の私たちにとっては違った。

目に映るものの大半が新規情報であった幼少期。無限に思えるほど長く騒然とした一日の終わりに、「久しぶりに」祖母に会い、歌謡曲や都々逸をほうふつとさせる耳馴染んだリズムにあわせて「まじなう」こと。それは毎日の決まり事である以上に、日々情操に蓄積していくあらたな非日常であったのだ。

祖母は私たちに、呪いのように作用する祝いを毎日ほどこしていた。祖母の死から何年も経ち、末期の病室であれほど悲しそうにしていた祖母の顔を、私は日常と同じようにうっかり忘れ去った。そして毎日繰り返された非日常をまんまと覚えている。




Number Girlはかつて「日常に生きる少女」を歌った。それはエイトビートの決まり事を逸脱した、五里霧中の未来に放り投げられるような独特のアウトロが印象的で、今の私が考える「日常」とは違う何かが確実に歌われた名曲であった。繰り返される無常、蘇る衝動。日常は歌になり、無変化もまた刻印される。

医者、科学者、慎まねばならない。我々は脳のしくみなんていまだに何一つ理解していないのだ。

先生はつぶれない

たまに通る道に、某国の料理を出す店ができた。いかにもおいしそうで、行ってみたい。でもいつ見ても駐車場に車がない。人がそこに入っていくところを見ることもない。躊躇してしまいなかなか入れない。徒歩で行ける場所ではなく、そこに行くためだけに車に乗ってでかけるほど日常生活で強く思い浮かべているわけでもなく、いつもなかば偶然通りすがり、運転中に横目に見つけて、「ああ、そうだった、行きたいけど、今日はちょっとなあ、いきなりすぎるなあ」という気持ちになって、結局スルーしてしまう。

そうこうしているうちにその店はつぶれてしまった。

罪悪感をおぼえないわけではない。しかし、そりゃそうだろ、という気持ちもある。カスタマーの正直な感想として、あそこは入りにくかった。何度か通えばきっと好きになった店だったろう。でも、入れなかった。

「そういうサービス」を私もおそらくいつかどこかで提供してきたのだろうか、ということを思う。



努力して誠意をこめていいものを淡々と提供していても、たとえば「敷居が高い」とか、あるいは「窓から中が覗けない」といった理由で、閑古鳥しか鳴かないということは往々にしてある。でもそれはきっと客商売に限った話ではないのだ。

こうしてブログに何かを書くことにしても。

あるいはSNSにひとこと小さくつぶやくにしても。

本人がどれだけ思い入れて、どれだけ真摯に向き合っていたとしても、受け取る側が寄り付かないから結局伝わらない、ということはあると思う。

ましてや、教育においてをや。



「ここにおもしろいものが連綿とつながってある」ということを、どれだけおもしろそうに提示できるかによって、戸口を開けて入ってくる学徒の数が変わる。

おもしろそう、だけでよいだろうか。

やさしそう、も必要か。

手軽さについてはどうだ。

後戻りができそうな感覚も必要か。

人任せではなく自分である程度カスタマイズできると思わせることも役に立つだろう。

いや、「思わせる」ではだめなのではないか。

こちらが意図して誘導しようとするそぶりを控え、あくまで学ぶ側の意志でえらびとれるような雰囲気を醸し出すことが必要なのではないか。


看板のデザインを考え、人の往来の多そうな時間にいかにも繁盛しているような雰囲気を醸し出し、いいものを提供し、口コミで広めてもらう。飲食店を経営するかのように教育のことを考える。そんなとき心の奥底から響き渡る声がある。


「――教えるほうがどれほど手を尽くし工夫をこらそうが、教わる側が自在に受け取りたいことを受け取り、勝手に学びたいものを学んでいくのだから、そんなにしゃちほこばらなくていいんじゃないの――」


そうだったらラクだなと思う。

そして、あのつぶれた店のことを思う。

いいものは必ず伝わると思ってはじめたはずの店だったろう。手書きのあたたかい雰囲気の看板は、信号待ちをする運転席からよく見えて、ぼくは確かに、その店で飯を食ったら素敵だろうなと何度も考えていた。道産食材を用いて、店主のふるさとの味をうまくアレンジして、札幌の人間にも某国の雰囲気を楽しんでもらいたいという、愛情とホスピタリティが店の前面からにじみ出るかのようだったあの場所に、私は結局、「なんかまあいつかそのうちでいいかな」くらいの理由で、訪れなかったのだ。

座学は中年のもの

『皮膚血管炎 第2版』(医学書院)という本を読んでいる。値段は17000円だがボリュームは中等度といったところ。厚さだけならアフタヌーンよりうすい。

写真は悪くない。明度がばらばらなのはバーチャルスライドではなく手動で撮影したからだろう。コントラストはほどよく、過剰に「お化粧」(教科書っぽく画像を加工すること)された感じがないので好感が持てる。構図がシンプルでここを見せたいのだなということがよくわかる。デルマトロジカルな観察には十分だろうし、ヒストロジカル(組織学的)な検証にも耐える。

まったく難点がないわけではない。一部の図版や表は「なぜこれを入れる必要があったのか?」と感じさせる(こんなチープなベン図になんの意味があるのか、と悩んでしまう箇所がある)。また、逆にここになぜ図がないのか? と足りなく感じるところもある。しかし欠点といえばそれくらいだ。大半の図版は申し分ない。

項目の順番が適切で、(あまりそうは見えない教科書なのだがじつは)通読に向いており、ごくんごくんと喉を鳴らしながら飲み干すように読むことができる。知識の多くはこれまで言葉だけは知っていたがあまり深く考えたことがない内容、そして、知っておくことで明日から皮膚病理の見え方が変わるようなものが多い。この領域をこの深度で書いたものは(網羅性を欠く一部の専門的な論文を除くと)なかなかお目にかからないと思う。

いい教科書である。


そして、思った。このいい教科書を、私がたとえば32歳のときに読んでいてもおそらく使いこなせなかっただろうと。

前提知識があってはじめて読める。巨人の肩の上に立つために、膝あたりから足場を組む必要があるということ。どんな学問においても言えることだ。

「前提知識」にはクイズ的な項目暗記だけではなく、経験的・文脈的なものを含む。

「この病気を実臨床で経験したことがある」という経験が多ければ多いほど、専門書は読みやすい。まったく経験がない病気の話は、うまく想像力を喚起できない場合には、脳の表面を上滑りしていく。

さらに、「私はこの病態を見逃したことがある」という経験もあると、より読みやすいだろう。

究極的なことを言うと、「私はこの病態を知っている。しかし、知識が十分でなかったために、これまでの長い診療経験の中で、誤診したことに気づけないでいる」というのを広義の経験に含めることができる。

頻度的には一度くらい出会っていてもおかしくないのに、診断書に書いたことがない所見というのは端的に恐怖である。

胆嚢漿膜面のLuschka duct。子宮摘出検体の偶発adenomatoid tumor。大腸ポリープのtubular adenoma with serration。肺切除検体のmeningothelial-like nodule。甲状腺付属リンパ節の異所性胸腺。

病理診断科に5年勤めてこれらを一度も書いたことがないというのは、幸運な偶然か、勤め先がこれらの臓器を扱っていないために症例数が足りていないか、もしくは、考えたくもないことだが、見逃しているのである。

今列挙した病態はいずれも、見逃したところで、書き漏らしたところで、その後の患者の生命や予後には一切関係しない。

しかし、自らの過去を振り返って「もしかしたらぜんぜん見えていなかったのかもしれない」と思いついたときにわきあがる恐怖は、病理医という職業の深部にひそんで我々をゆさぶる根源的な感情である。



くだんの教科書から引用しよう。77ページ。太字は私による。


”皮膚症候は以下の3つに分けられ、それぞれが組織学的罹患血管レベルを忠実に反映している(図6-2)。したがって、これらの皮膚症候をみて該当する皮膚血管炎疾患を推定できる。

(中略)

②浸潤の強い触知性紫斑、斑状紫斑、紅斑、丘疹、小結節、血疱/水疱、潰瘍などが混在する多様な皮疹:組織学的に真皮上層~下層、時に脂肪隔壁に分布する小型血管(細静脈、細動脈)の血管炎(LCV(leukocytoclastic vasculitisのこと。市原注)、好酸球性血管炎肉芽腫性血管炎)を表す。LCVは①と比較してより強い炎症性細胞浸潤とフィブリノイド壊死を伴う。”


この文章において、まず、「組織学的罹患血管レベル」という言葉がすっと脳に入ってくるかどうかによって最初の一行の理解スピードが変わるだろう。これが一般的に、「前提知識を要する読書」とされているものだ。

ただし、もしこのフレーズの意味がわからなくても、前後の解説や図を見ることで、「ああ、皮膚のどの深さの血管がやられているか、ということか」と、知識を補完しながら読むことは十分に可能だ。前提知識はちょっと微妙だけど、とにかく読了してしまえばなにかの役には立つだろう、みたいな読書ができる。

しかし、後半で「LCV好酸球性血管炎肉芽腫性血管炎」と羅列されているところは、知識だけではなく経験、それも先ほど述べた「根源的な恐怖」を経験したことがあるかどうかによって、読み方が変わる。

肉芽腫性血管炎。駆け出しの病理医であれば、

「ふーんそういうのがあるのか」

と、知識として読んでいくにすぎないだろう。しかし、ある程度経験を積んだ中堅以上の病理医にとっては、

「肉芽腫性血管炎かあ……名称としてはわかるけど、これまでの診療でそのような名付けをしたことがほとんどないな……あれ、待てよ、これってもしかして、もっと見つけることができた所見なのか? 今までそうと知らずに見逃してきたのか?」

という感想が出てくるのではないか。

私?

私もまた、ひやひやとしている。診断したことがないわけではない。典型例は見逃さない。しかし、「非典型的」なものや、「未完成なもの」を果たしてこれまでどれだけ拾えてきたかと言われると、だんだん声が小さくなっていく。そして、該当ページを舐めるように読み込み、皮膚血管炎の多彩なありようを自分の体験、および未体験の恐怖とすりあわせながら脳のすみずみに刻印する。



教科書のおそろしさ。

座学というと多くの人は、すべてを未知として読んで、なるほどそうかと積み上げていく勉強スタイルを思い浮かべるだろう。しかし、教科書は未知との出会いだけをもたらすものではない。その領域をある程度知悉した人間が、「展開は知っているけれど細部にもっと気を配るために」という気持ちで読む、すなわち「読み直す」ことで、シンプルな記載から幹が伸び、枝葉が伸び、実がついて、それをついばむ鳥が飛び立った先でフンをしてまた次の木が生えて、くらいまで進展して網の目のような知識が一気に入ってくる。

これはつまり「再読の楽しみ」と同じ構造の話だ。

Threadsを見ていたら「再読こそが読書」というフレーズが出てきてなるほどと思った日があった。一度目に読んで(初読で)得られる体験はまちがいなく無二のものだが、すでに体験化しているものをもう一度読むことで、別のなにかが得られる。

一度読み終えて展開もトリックもすべてわかってしまったミステリーを再読することで、作者が序盤から中盤にかけて忍ばせていた高度な仕掛けにあらためて気づく。

劇場で感動した映画を家で視聴し直したら細部のこだわりやBGMの一捻りにようやく気づく、なんてのもいっしょだろう。

古典落語にも似ている。世にある古典落語がこの先増えることはない。だから聴く人はだれもが、話のスジはおおよそ知っている。知った上で聴く。噺家が変われば語りは変わるがそれだけの話ではない。「聴き直し」に落語の本質がある。体験済みのものを「再聴」する過程で立ち上がってくるものに別格の新しさがあるのだろうと思う。


再読やら再聴やらで、得られるとか気づくとか書いてしまったけれど、単に積み上げるのとは違う気もする。なんだろう、そうだな、単純な足し算ではなくて融合が起こる感覚。

フライパンの中で熱したパスタソースに、パスタの茹で汁を少し落として、ゆすって乳化させて、水分と油分を混ぜ合わせて「味」にしていく、そんなイメージに近い。



専門領域の研鑽を積む過程では、若手の勉強と中年の勉強とはあたかも初読と再読くらいに得られるものが変わる。若いころは座学といっても眠くなるばかりだ、それならば、まずはがんがん手技を身につけつつ、コツコツと体験をすればいいのかもしれない。体験が自らの中にたっぷりと蓄積されてからが勉強の本番だ。一度読んだはずの本が何倍にも明るく輝き、確認のために読んだ本から奥深い学びがやってくる日がくる。いつか? だいたい私くらいになったらだ。中堅以上になってからが座学の本番なのだ。

……なんて、こんなことを書くと、「またそうやって若手が疲れて勉強したくないとき用に、かっこうの言い訳を用意して人気取りをするんだから……」とか言われて叩かれる(経験談)。

遠く来た後より祈る

お世話になった方にメールを書いた。締めをこのようにした。

「先生ならびにご家族のみなさまがたが、お健やかにお過ごしくださいますよう、遠く来た後よりお祈り申し上げます。」

書き終えてCtrl+Enterで送信する寸前に、辺縁視が違和感に気づく。

……「遠く来た後より」とはなんだ? こんな文章を思い浮かべた記憶はない。

このとき何を打とうとしたんだったか。

とおくきたあと。

いや違う、そうか、

「とおくきたのちより」だ。

遠く北の地よりお祈り申し上げます。こっちだ。

ううむ、シレッと意味が通る誤変換をしやがって。


「遠く来た後より祈る」。

言われてみれば私は遠くにいる。生まれた場所とそう離れていない住所に今も住んでいるけれど、たしかに、どこかから遠くにやってきたような気はする。いっそ、誤変換のまま送信してもいいかもしれないと一瞬考えたがもちろん採用はしなかった。「後より祈る」には日本語として摩擦がある。メールで読んでも意味がうまく通じないだろう。

「後から祈る」ならわかる。それはきっと手遅れ感を巻き込んだ儀式である。後の祭り。

「遠く来た後より祈る」というのはどういうことだろう。うまく理解できないが、ニュアンスだけを与えてくるようなフレーズ。

噛むことはできないがにおいだけがする料理。

中が白紙の絵本。

死者の思い出。

「祈り以外の何ものをも届けられない場所より、ただ祈りだけを届けている」。「遠く北の地より」よりも、「遠く来た後より」のほうが適切なのではないかとすら感じられるようになった。用いこそしないが、あってはいたのだ。



いつしか私は迷路のなかにいる。表現、やりとり、交流、そういったものの中に、スパイス程度の断絶が含まれているものを好む。摩擦や粘度、アップダウンを越えてなお、顔中どろまみれにして這い回る人が手を伸ばしたもの、そこから強力な静電気でバチンと拒絶された瞬間にようやく察することができる、宿痾のような意味のかたまり/たましい。野鳥を観察するために野山にずかずかと入っていってあらゆる動物に逃げられるようなバードウォッチャーを見ていると共感性羞恥で死んでしまう。


遠く来た後より祈る。私はその恩ある先生との距離感はまさにそれくらいだろうと感じる。少しの断絶のことを思う。アラン・ロブ=グリエは果たして、友人たちとパーティー会場で談笑したことが一度でもあったのだろうかと、知ったらきっと失望するのだから思い巡らせないほうがいいようなことに思いを巡らせながら、メールの文面を校正してマウスで丁寧に送信をする。

キャッチャーインザ

『第三惑星用心棒』(野村亮馬)がしみじみよくて感動。爆炎やワープ、残虐や滅亡などで盛り上がらせすぎることのない正統派SFマンガの系譜で、古くは加古里子の「ものづくし」的表現(『宇宙 そのひろがりをしろう』がすばらしかった)、近年では『映像研には手を出すな!』(大童澄瞳)の細かい手書き文字解説が好きな人にはたまらない作品であると思われる。

紹介はまたも萩野先生だが、きっかけが「第2高調波発生顕微鏡法」からの言葉遊び(第2高調波発生用心棒)で、SFとかマンガを紹介する流れとは関係なしに返信にぶちこまれていたものであるから買えともおもしろいぞとも言われたわけではない。しかし表紙を見てあっこれはもういいやつですねとピンと来て、クソリプ合戦とはべつに裏でKindle即買いしてその日のうちに読んで喜んでいたのが今だ。


私はなんでもかんでもジャケ買い即買いするタイプではない。本の買い方は外食といっしょで、基本的に「出不精」であり、あまり新しいところをばんばん開拓するほうではなかった。タイミング。相性。何度も何度も買おうと思ったけれどまあ今はやめとこうとなってそれっきり未読の作家が何人もいる(特にミステリー作家などに多い)。そこでやめなければきっとおもしろいことに出会えたのに、残念だな、と思わなくもないが、ま、こういうのは無理をしてあれもこれもと手を出しすぎないほうが、なによりもまず疲れなくていいのだと思う。

松本大洋を何年も読もうと思い続けて、でも、なぜか買う直前で躊躇して、ずっと買っていなかった。しかし最近『東京ヒゴロ』(最高の作品です)を読んだことをきっかけに、堤が切れたように『ルーブルの猫』『Sunny』などをばんばん購入し、読んで、結局どれもぜんぶおもしろかった。これもさっさと読んでおけばよかったと思う気持ちと、今になって読んだからこそこれだけ大きな喜びに出会えたのではないかという気持ちとがある。特に『Sunny』は、がまんした時間で「熟成」したのかと思うくらい深い味わいだった。

しかし、よく考えると、熟成されて変化したのは松本大洋作品ではなく、受け取る側の私の脳のほうだ。長い年月を経て発酵して変わったのは作品ではなく受け取り手のほうである。となると、熟成という言葉を用いて説明したのは少々ずれていたかもしれない。

ほかにどんな表現があるだろうか。

キャッチャーミットを長年大事に使っていると手になじんで、いろんなボールを受け止めやすくなる、みたいな表現のほうが近いだろうか。

私は今、皮がくたびれてきて風合いが増したキャッチャーミットだ。同じ球を受けても昔よりいい音を響かせるし、多少はずれたところに投げられた球だって粘り強くキャッチする。豪速球をあまりにたくさん受けると手が痛くなるからほどほどで立ち上がってビールでも飲みに行こうかなと逃げ出すこともあり、その点はプロのキャッチャーでもブルペンキャッチャーでもないのだが、まあ、いい音をたてて捕球することがきらいではないのだ。

息子

世の中には知らない仕事がいっぱいあって、離れて暮らす息子がふと口にした仕事も、私がこれまで考えたこともないような仕事であった。私はここ最近ひそかに、なんとなく息子はこういう仕事が合っているのではないかと本人の話も聞かずいくつかの職に就いた息子の姿を想像していたのだけれど、息子がぼんやり考え始めていた進路は、私が想定していたあれやこれやをはるかに越えた、まるで別次元のふくらみを有する世界で、未知の部分も多いし困難もあるのであろうことは容易にうかがえるにせよ、なによりも息子がその場で働いているところがぼんやりと想像できるのであった。「ああ彼は考えたのだ」という私自身の声が私の奥底に語りかけるように脳内にひびいた。なめらかな納得が食道に沿って骨盤のほうまですっと落ちていって温かく広がった。

そのような仕事があるということ自体を知らなかった私は、すぐに、なんとなく息子はこの仕事に向いているのではないかと思いをめぐらせた。しかし次の瞬間には、いや、そもそも、向き不向きなどというものを、現時点でどうこういうのはナンセンスであろうと打ち消した。働くということは向き不向きとは関係がない。そして人生とは選択の連続ではない。かくいう私も、今自分がやっている仕事内容のどれもこれも、10代、20代のときには一切夢見ていなかったし、考えもつかなかったものばかりだ。選び取ったというよりはいつのまにかたどり着いたものにすぎない。「何かをプロスペクティブに考えて、吟味して選んだ結果、今ここにいる」とは思わない。

人生を思い浮かべるにあたり、ベクトルの矢印がわかりやすく北北東や南南西に向いたり向かなかったりするイメージは間違っている。人生はきれいに舗装された道数本を指さしてど・れ・に・し・ようかなどと選んで歩んでいくものではない。

それはきっと、平原の新雪の中を足探りで踏み固めて雪かきをはじめるような感じに似ていると思う。どっちを掘ったら正解だとかどっちに歩いたら効率的かみたいな判断がむなしい状態。それなりに長い間、なぜ打ち込んでいるのかもわからないままに打ち込まなければ、雪かきするためのスペースすら確保できないから、なぜとかなんのためにとかを考えずにある程度は動き出してみないとにっちもさっちもいかない。それはまた、ひたむきに作業し続けられるほど魅力的な活動でもないのだ。雪は重いし外は冷たい。腕も足も最初は冷えていてうまく動かない。ときに日差しや照り返しに目を細め、遠くから聞こえるよくわからない鳥の声に気もそぞろになり、どうでもいいやと思って座り込んでみたがおしりが冷たいのでまたおずおずと立ち上がったりする。集中しようにも対象がぼんやりしているから、ときどき呆然として目線を左右に揺らしたり、逆にじっと何もないところを見つめている自分に気づいたりする。

そういうことを飽きるほど積み重ねて、努力と研鑽で組み上げたものが、いつもまっすぐに屹立するかというとそんなことも決してなくて、それはあくまで「雪かき」なのだからほろほろと崩れたり溶けてなくなってしまったりもするのだ。しかし気づけば踏んで固めた作業場はある程度安定したものになっていて、その真ん中あたりには、寄りかかれるくらいの柱までできている。

それはおそらく事前に思い描いていた「作るはずだったもの」とはけっこう違う。ましてや選択肢の中から獲得したものなんかでは絶対にない。でもなんだかんだで自分がその柱によりかかったり、手でぶらさがるようにしてくるくるピボットターンをしたりできる。それをすることに何か意味があるのかと言われるとわからない。でも、なんというか、動きの自由度だけは確かに増えているのである。

おそらく仕事というものは、自分の人生というものは、そういうものではないのかということをツトツトと考えている。しかしそのような私の想像とまるで別様な場所に息子は何かを見ているようなので、私は大口を開けて笑ってしまったのである。はっははは。おれとお前は違うなあ。やるもんだなあ。