グッチ裕三

Zoomに飽きた。

現地の研究会に出てぇ~~!

誰かがしゃべってる間にかぶせ気味に発言してもノイキャンがかからない研究会に出てぇ~~!

本筋の議論がマイクを介してがんがんすすんでる横で、自分のまわりにいる人たちと小声でさらに細かい部分のディスカッションで盛り上がれる研究会に出てぇ~~!

Zoomに飽きた!


でもまあZoomは実際ありがたい。

毎回同じジャケットでも気づかれないし。

懇親会とか飲み会とかを気にしなくていいし。

研究費がなくても遠方の会にじゃんじゃん出られるし。

失ったものよりも得たもののほうが多い。



インフラが時代とともに移り変わっていくたび、不満を述べるのがくせになっている。正味でいうと、やっぱり昔より今のほうがよくなったことばかりなのだけれど。

たとえばスマホ。こいつのせいでGmailがいつでも着信してうっとうしいったらありゃしない。目だって多少悪くなった。ぼくはかねがね、スマホの普及に不満がある。

でも、ないよりあったほうがずっといい。

たった5分の空き時間でもKindleでさっとマンガが読めちゃう。からくりサーカス、パトレイバー、ドラゴンボール。出張先のホテルで酒のつまみがなくなったときにさっとVtuberを追っかけたりできるのも夢のようだ。「目覚まし時計と辞書と地図をいっぺんに持ち歩ける」時点で便利でしかない。

なのに、昔のほうがよかったよなって言いたくなってしまう。

世の中が良くなっていても関係ない。

そうなのだ。私はそもそも「愚痴を言いたい」のだと思う。



おそらく私はいつも愚痴の矛先を探している。

「今はどんどん良くなっている」だと愚痴が言えないから、なにか理由を見つけて「今が良くない」話を探す。

愚痴を言うことが先。問題点を後付けで探し回っている。

それもこれもみな、私が「愚痴を言う」ことでなんらかの脳内ホルモンを獲得するタイプの人間だから、ではなかろうか。




家族に言われたことがある。あなたは仕事が忙しくてぎりぎりなときには一切愚痴を言わないが、仕事が少し楽になってくると、身体的なことも含めてたくさんの愚痴を言うようになるよね、と。

言われてみればそのとおりだ。

「仕事が忙しい」ときの私は、愚痴を言うとしても「忙しい」以外は思いつかない。そして、忙しいときに忙しいと言うのは愚痴じゃなくて報告でしかない。したがって愚痴を言う暇がない。

一方、「仕事が楽になったとき」には、自分の体の不調や、日常のちょっとしたずれなどを次々とピックアップして、愚痴を口に出すようになる。

私の心の奥底に、「愚痴を言いたい欲」がある。

欲望に向かって進めるのは余裕があるときだ。

本当に忙しいときは欲を見ている暇がない。





私の根っこには「愚痴を言いたい」というしょぼい心根がある。Zoomに飽きたと愚痴るとき、本当に悪いのはZoomではなく、Zoomという「わりと叩きやすい対象」に愚痴の矛先を向けた私のほうである。Zoomかわいそう。