パスケースのびる

仕事場のIDカードを入れている革製のパスケースには、50センチくらい伸びる紐状のリールがついていて、ゆわえつけた先からびよんと伸ばして勤怠管理システムにタッチできる。これを、院内携帯(iPhone 7)をぶらさげたネックストラップの先端につないでおく。出勤したらスマホごと首にかけてワイシャツの胸ポケットにまとめて入れている。なんとなくそういう一連の流れが身に染み付いていたのだが今朝、出勤するときに、いつものように勤次郎(パスをタッチするやつ)にカードを伸ばしたらプチと音がして紐が切れてしまった。あらまあと思いつつデスクにたどり着いていくつか仕事をし、XやThreadsにくだらない話をちょこちょこと書き込んで、でもこれ使うからなーと思ってさっそく後継品をネットでチェックする。

パスケース のびる

Google chromeのURL欄にここまで入力すると予測変換が下に表示される。


そう、「伸びるやつ」がほしいんだ私は。そうなんだよ。見知らぬ20代、30代くらいの勤め人が検索したのであろう結果を機械学習が抽出して「のびる じゃなくて 伸びるやつ でしょ?」とサジェストしてくれるさまは奥ゆかしくも滑稽である。

この話をXに投稿するとすかさずクソリプがやってくる。「パスケース 野蒜」。この人の脳は、「のびる」を「野蒜(のびる)」に変えて人にリプライを送ることでなにがしかの報酬物質を分泌しているということになる。野蒜で脳内麻薬かあ。ありそうなことだなあ。


ちかごろのGoogleは「試験運用」といいつつも生成AIによる回答表示を上のほうにぶちこんでくる。医学情報でためしてみるとけっこうウソを出してくるのであまり信用してはならないが、野蒜にかんする情報や写真がウソだったからといって私にとっては正直どうでもいいし、これくらいの情報を出してもらえれば当座の役には立つしそれ以上を求めてもいない。なお、上記の写真の文章はWikipediaの丸パクリであり、記事へのワンクリックすら面倒に感じる現代人のために最速で最小限の情報を表示するという、社会のニーズに完璧に沿ったものである。



こんな検索ばかりしていても、クイズ番組で分からない問題の回答が表示されたときに「あーなるほどー」と言ったっきり一切記憶できないでまた次の日に似たような問題が出てきたときに「あれ昨日見た!なんだっけ?」となってしまうのと同じように、自分の中に何も足されないし何も掛け合わされない。出来事だけが通り過ぎていって一切の変化がないのだから触媒ですらない。Google検索とは山崎である。何も足さない、何も引かない。





野蒜をURL欄に入力したときの予測はこのようになった。野蒜小学校、というのが出てきて虚を突かれる。遠く、わずかに、聞き覚えがある。

宮城県東松島市にかつて存在した小学校。東日本大震災のときに津波に襲われた学校。

かつて読んだいくつかの記事を再読して、かつてのように黙り込む。

見たくないものを見てしまったという気持ちもないではない。しかしそれ以上に、こういうきっかけでもないと災害の記憶を読み返すこともなくなっている自分の昼行灯っぷりをいましめられたような気になる。

検索ばかりしてりゃいいってもんでもないよ、と、若い人には言いたくなってしまう。クソリプなんて無視してりゃいいんだよ、と、いつもお高くとまっている。けれど思いもよらない寄り道をもたらすものが自分の意志であることなんてめったになくて、結局、機械学習や他人の脳内麻薬のなせるわざによって私の意図はずらされ、思ってもいない場所にトトロへの抜け穴のように道がひらく。私はパスケースを取り替えたかっただけなのだ。