パスケース のびる
Google chromeのURL欄にここまで入力すると予測変換が下に表示される。
この話をXに投稿するとすかさずクソリプがやってくる。「パスケース 野蒜」。この人の脳は、「のびる」を「野蒜(のびる)」に変えて人にリプライを送ることでなにがしかの報酬物質を分泌しているということになる。野蒜で脳内麻薬かあ。ありそうなことだなあ。
ちかごろのGoogleは「試験運用」といいつつも生成AIによる回答表示を上のほうにぶちこんでくる。医学情報でためしてみるとけっこうウソを出してくるのであまり信用してはならないが、野蒜にかんする情報や写真がウソだったからといって私にとっては正直どうでもいいし、これくらいの情報を出してもらえれば当座の役には立つしそれ以上を求めてもいない。なお、上記の写真の文章はWikipediaの丸パクリであり、記事へのワンクリックすら面倒に感じる現代人のために最速で最小限の情報を表示するという、社会のニーズに完璧に沿ったものである。
こんな検索ばかりしていても、クイズ番組で分からない問題の回答が表示されたときに「あーなるほどー」と言ったっきり一切記憶できないでまた次の日に似たような問題が出てきたときに「あれ昨日見た!なんだっけ?」となってしまうのと同じように、自分の中に何も足されないし何も掛け合わされない。出来事だけが通り過ぎていって一切の変化がないのだから触媒ですらない。Google検索とは山崎である。何も足さない、何も引かない。
宮城県東松島市にかつて存在した小学校。東日本大震災のときに津波に襲われた学校。
かつて読んだいくつかの記事を再読して、かつてのように黙り込む。
見たくないものを見てしまったという気持ちもないではない。しかしそれ以上に、こういうきっかけでもないと災害の記憶を読み返すこともなくなっている自分の昼行灯っぷりをいましめられたような気になる。
検索ばかりしてりゃいいってもんでもないよ、と、若い人には言いたくなってしまう。クソリプなんて無視してりゃいいんだよ、と、いつもお高くとまっている。けれど思いもよらない寄り道をもたらすものが自分の意志であることなんてめったになくて、結局、機械学習や他人の脳内麻薬のなせるわざによって私の意図はずらされ、思ってもいない場所にトトロへの抜け穴のように道がひらく。私はパスケースを取り替えたかっただけなのだ。