いいんのしんだんがいいんです

前年度まで当科でアルバイトをしてくださっていた病理医が、異勤により札幌を離れた。今日、その方と入れ替わりで新しく当科にバイトにやってきた若い病理医が、お礼の品をあずかっていたと言ってお菓子をくれた。なんとも丁寧なことで恐縮する。ぺこぺこしているタイミングでくだんの先生からメールが届いた。

「先生のお心遣いのおかげで不自由なく働くことができ、家族を養うことも叶いました」

と書かれていた。胸を打たれた。



キャリアの若い病理医は、たくさんの医者と患者がひしめく大学に所属するのがセオリーである。私が勤めているような市中の中規模病院に就職すると、ある種の安定は得られるだろうが経験できる症例はどうしても偏ってしまう(例:当院には脳神経外科がないので脳腫瘍の病理診断が経験できない)。まだ自分の専門が確定していない「未分化な」病理医のタマゴは、大学で全身あらゆる臓器の経験を積んでおき、将来どんな病院に就職しても対応できるように準備するのである。

ただ、今、「大学で」といったが、じつは大学に所属することはそうカンタンではない。身も蓋もないはなしだけれどポストがないのだ。大学の常勤ポストというのは「教授」「准教授」「講師」「助教」の役付き4種のみ。一般企業で平社員にあたるのは「医員」と呼ばれるが、現在、たいていの大学では医員は常勤ではなく嘱託職員の扱いである。「週4しか働いてはいけません」と公言している大学すらあるらしい。そして信じられないほど待遇が悪い。手取りは16万とか18万とか。ほんとうに? ほんとうなのである。社会保険はつくが各種手当は雀の涙だ。一般的な新卒より条件は悪い。おまけに初期研修を終えた医師は最も若くても26歳。30代でも40代でも助教のポストが埋まっていれば容赦なく医員。これでは家族を養えない。

なお、病理医に限った話ではなく、ほかの医師も同条件である。

となれば世の医者はみんな困窮しているのかというと、そういう話はXでもあまり見かけない。

(※あまり大きな声では言えないが、Xで待遇の悪さをえんえんと投稿している医師アカウントもあるにはあるのだけれど、そういう人の正体を伝え聞くとおよそ半分くらいは本人の素行の悪さが原因で周囲とトラブルを起こしまくっていたりして、なんというか、推して知るべし。)

みんないったいどうやって暮らしているのか。じつは大学の医員は週1回以上のペースでアルバイトに出ているのである。

地方の病院を日帰りや一泊で訪れて、内視鏡とかカテーテルとか手術とかをやったり当直をしたりする。これで大学からもらっている給料よりもはるかに大きい額を稼ぐのだ。家計を支えるという意味では大学からもらっている額のほうがよっぽどアルバイトである。

「若いうちはバイトなんかしないでひたすら研鑽にはげむ!」という医師はほぼ存在しない。理由はお金のためでもあるが、「大学で経験できない症例をバイト先で経験できる」という側面も無視できない。大学での診療は「大学でないと診療できない難しい病気」であることが多く、「フツ―の病気」の経験がむしろ足りなくなりがちである。フツーの医者の能力を手に入れようと思ったら、アルバイトをお金稼ぎと割り切るのではなく、積極的に異なる環境に身をおいて診療に励む必要がある。だからみんなアルバイトをする。


さて、今の話はほとんどの医者に共通している。では同じことを病理医がやれるかというと、これがけっこう難しい。

まず、病理医の場合は当直がないので当直手当を期待できない。したがってアルバイトの金額が安めになる。ただまあ夜勤が嫌いな人からすればデメリットとは感じないかもしれない。でも問題はそれだけではない。

病理診断科というのは、基本大きな病院にしかないので、田舎の小病院への出張というシチュエーションが存在せず、バイト先の絶対数が足りないというのが地味にきつい。小説「泣くな研修医」シリーズでは、主人公の雨野が慢性期病院でいわゆる「寝当直」をするシーンや、離島を半年ほど訪れて診療所で勤務するシーンなどが出てくるけれど、これらの病院には病理診断科がないので病理医のバイト先にはなり得ない。

なにより、大学で修行中の若手病理医は、まだ経験が浅くて十分な病理診断ができない。「経験が足りないまま働くってのは臨床医も同じじゃないの?」と思われるかもしれないが、病理診断はいわゆる「B to B」的な仕事であり、要求される専門性が非常に高く、3年とか5年くらい働いた程度では事実上ほとんど役に立たない。

「病理診断は、なくても患者を診ることができるが、あれば診療の精度が飛躍的にあがる」というものであり、贅沢品みたいな側面がある。半端な仕事でその場をつなぐということはあり得ない(若手臨床医の仕事が場繋ぎだとは言いたくないが、正直、場繋ぎだけでも役に立つシチュエーションというのは豊富に存在する。しかし場繋ぎ的な病理診断というのはあってはいけない)。したがって、臨床のアルバイトのように「人がいないところに元気な若手が助けに行く」という構造は成り立たない。


以上の理由から、若手病理医がアルバイトできる病院というのは非常に限られる。「指導医が若手をフォロー・カヴァーできる病院」だけが選択肢として残る。そういう病院はあまり多くはない。


当院は幸い、現在、私も含めて部長クラスの常勤医が3名いる。多くはないが自分の病院の仕事をまわすにはまずまずの人数だ。これだけいれば、若手が週に何度かやってきても、交代で指導しながら働いてもらうことができる。

まあ、ベテランが来てくれたほうが、仕事は単純に楽にはなる。でも当院の場合は、これ以上仕事を楽にしなくてもいい。むしろ若手にどんどん来てほしい。大学もそれをわかってくれている。

若い人をときどきお迎えすることのメリットは多い。

まず、大学は人の入れ替わりが激しく、情報のやりとりの総量も多い。そこに所属する医員はみな、最先端の診療や研究の情報にかこまれて暮らしている。そういう人たちにアルバイトに来てもらうと、「先端の雰囲気」を運んでもらえてとてもありがたい。

また、たとえ病理診断はまだおぼつかなくても、若い病理医は機械学習にかんする知識が豊富だったりするのも見逃せない。生成AIを使った論文検索などはみな私より上手だ。

病理医であるためには病理診断以外の知識も必要である。その中には経験ではなく若さとセンスで開拓できる類いのものが含まれている。ベテランならば何でも知っているというわけではないのだ。

大学と連携して若手をお迎えするというのはかつての「医局」を彷彿とさせる。昭和の医局は教授が人事の権力を一手に担い、若者の労働力を搾取し、実績を一部の限られた人間に集中させるという、黒い巨塔を生み出すシステムそのものであったが、医局制度のすべてが悪かったとは思わない。特に、専門性の高い病理医は、SNSなどで素人・玄人の混在した交流をするよりも、大学を中心としたネットワークに組み込まれたほうが必要な情報が入ってきやすいしキャリアプランも幅広く見据えやすいと思う。



そんなわけで当院ではバイトを複数お迎えしている。誤算だったのは……若手がみんな、私よりもはるかに優秀だったことだ。さっき書いたメリットの中にはあえて「診断をたくさんしてくれて我々の負担が減る」とは書かなかった。若手にはそこまで期待していないからだ。しかし近年の若手は大変よく勉強していて、4,5年目くらいだとかなりしっかりと病理診断ができるようになっているのでとても助かっている。チェックをしてもあまり直すところがないのだ。だから社交辞令ではなくて本当にありがたい。そんな病理医の方々の口から「家族を養うことができてよかった」というセリフが飛び出したことにはちょっと虚を突かれた。うん。こちらとしてはありがたいんだけど、そもそも、大学の医員制度の給料が安すぎるという大問題があって、それでしかたなく彼らはバイトに出てるんだよなあ。そこは我々世代がこれからきちんと改革していかないとなあ。喜んでばかりもいられない。