あっ岸先生こっちこっち

マンガ『フラジャイル』の医療監修をしている。さまざまなやり方があって、そのすべてをここに書くことはしないが、できあがったネームをもとに、「このセリフは医学的に違和感がないかどうか確認してください」と頼まれることがあり、これがむずかしい。


ほとんどのケースでセリフに違和感はない。そりゃそうだ。プロのストーリーテラーとマンガ家が考えて配置したセリフなのだから、スルスルと流れるように読めるし、ワードのセレクションの小粋さにニヤリとさせられるし、ときに深く心に刺さる。ただ、まれに、現在の医学や歴史的な経緯から「こうは言わない」となる部分がある。医療系マンガの場合はそういうところで引っかかってしまう読者がたまにいる。そういうとき、監修の出番が生じる。


専門的知識を用いて、その場面に合うようなセリフの代替案を考える。これがもう、おもしろいくらいに、「フキダシにおさまらない」ので笑ってしまう。

私の考えるセリフは長すぎるのだ。

ほかのコマと比べてあきらかにそこだけ文字が詰まってしまうし、漢字も増える。もちろん、医療監修が必要になるようなセリフだからこそ硬質になりがちだといえばそのとおりなのだが、それにしても、私が考えつくセリフはとてもじゃないけどそのままマンガに用いることはできない。

何分も、ときには1時間も2時間もかけて、ひとつのセリフを短くするために、うなる。医学的なバックグラウンドや、登場人物たちのそれまでの経験、立ち位置、行動原理などに照らし合わせて、「このように口にするのが自然なはずだ」と思えるような、なるべく短いセリフを提案する。

しんどい。むいていない。プロはすげーよな!


私がやっているのはあくまで医療監修なので、内容をこう直してください、あとはなんかこのキャラが言いやすい感じでお願いします、と指示すれば、それで役目は終わるはずではある。しかし監修側から「これとこれとこれをこの順番で言ってください」と伝えてしまうと、結局だれが考えてもセリフは長くならざるを得ない。どれかをカットする必要がある。どこかを強調する必要がある。医学的にどこが大事か。物語的にどこまで長くしゃべれるものか。

物語の中に生きている人たちが、言わされているのではなしに、医学的に妥当なことを、情動を捨てずに言う。このシークエンスの難しさ!


念のため述べておくと、私が提案したセリフがそのまま採用されて紙面に載ることはない。文字による提案は、フキダシ内での配置や絵とのバランスによって生成変化する。これまでに私が提案した内容は、編集者やマンガ家の手によって見事に物語として昇華させてもらっている。

あの世界の住人たちが語る言葉は、私のナレーションではなくあくまで「彼らの心から発せられた言葉」である。私はキャラクタの心情を監修しているのではない。パラレルにあり得る世界の無矛盾性を保証しているにすぎない。

私の物語を読んでもらっているわけではない。その点、ファンの方々は安心してほしい。だいいち私はあの物語にはきちんと出演したことがある。つまりあの世界においても主要キャラクタとは別人格である。