隣の整

「フォローするだけで心が整う」と書かれているアカウントにフォローされて笑ってしまった。心理学と占星術をやっているとのことだが、そのどちらも「心を整える」こととは関係ない気がする(心理学は心理を操作する学問ではない)、しかし仕事とは関係なく趣味で心を整えているのかもしれない。ありがたいことである。フォローはした。

メールボックスに「この特集号に論文を寄稿できる最後のチャンスです」みたいな英文のメールが届く。査読が雑な、いわゆる「ハゲタカ」と言われる雑誌の宣伝メールである。たとえばここに「投稿するだけで業績が整う」と書かれていたとしたら、さっきのアカウントっぽいな、みたいなことを考えた。投稿はしなかった。

日本のとある学会から、総説(レビュー)の執筆依頼が来た。以前にその学会の中四国地方会で講演した内容をみた座長が、「おもしろかったからこれ論文にしてよ」ということで学会に推薦してくれたのだという。3か月くらいかけて仕事の合間にぽちぽち書いて、さきほど投稿した。Submitのボタンを押しただけで心が整ったのでびっくりした。あんまりストレスには感じてなかったと思っていたのだけれど、やはりどんな仕事も、しめきりとして抱えていると心をしわくちゃにする機能がある。


「心を整える」というワードセンスのことを考える。「整える」という言葉はそもそも何に使うか? 部屋を整える、髪型を整える、準備を整える、気持ちを整える。整理するというニュアンスだけではなく、見た目がはずかしくないようにするとか、使いやすいようにするとか、審美・機能・効用的なものをうまく引き出すための処置といった意味が込められていることばだ。では、心を整えると言った場合はどの含みをもたせているのだろうか。なんとなくだがさっきのアカウントは、「心を使うために整える」と言いたいわけではなく、「心の見た目がよくなる」という雰囲気で使っているのではないかと、ふんわりと予想した。「心モテ」みたいな言葉とセットなのではないかと思った。本人がそういうことを言っていたわけではまったくない。勝手な予想だ。しかし、なんとなくだ、「心を整える」というのを「心を美人に/イケメンにする」と書き換えても、くだんの人のBioの場合にはうまく通じるのではないかと思……


いや違うな。

用例がひとつ足りない。

令和のいま、「整う」といったらサ道だ。サウナである。

高温多湿状態から水風呂で一気に体表を冷却することで血管をぐねぐねにしてなんかシュワシュワ気持ちよくなる現象を「整う」と表現することが近年は急速にひろまった。あれだ。

「整う」→「気持ちいい」、「健康によさそう」、「ストレス減りそう」、「がんばった甲斐があったっぽいふんいきをかもしだそう」という言葉なのである。整理整頓なんか思い浮かべてない。「サウナみたいなもんだよ」くらいの意味だ。


そもそも、「心が整う」に対して、心理学や占星術と関係ないじゃんとか書き出した私がバカだし案件に対する解像度が甘かった。並べて比べるべきは学問や術式の効能ではなく、サウナの「大衆への受け入れられ方」のほうである。「整える」は関係ない、あくまで「整う」のほうである。


完全に違う方向に話を持っていってしまっていた。しかしあらためて読み直してみると、私は例のアカウントのBioを見て「整う」を瞬時に「整える」に変換してしまっている一方、3段落目で無意識に「Submitのボタンを押しただけで心が整った」なんて書いている。これはどちらかというとサウナの使い方だ。いつのまに。私も同じような使い方をしていたということだ。うーむ日本語手強いな。私のような奥底にいる人間の無自覚な言葉選びにも、大衆の言葉へのトレンドがきちんと影響を及ぼしている……。