あったことは感じ取れる。しかしない。
思い出そう、思い出そうとしてもなかなか捕まえられない記憶をたどるには、こちらから追いかけてはだめだ、向こうからやってくるのを待たないと、と言ったのは居島一平さんだ。しかし今回の私の記憶に関しては、今こうして消えかかっている残響に必死で耳を傾けてなんとか手繰り寄せないと、おそらくこのままなかったことになってしまう、という悲しい確信がある。
年内の仕事をどんどん先に進めている。今作っているのは3か月後にしゃべる細胞診講演のプレゼンと、7か月後にしゃべる胃X線・病理対比講演のプレゼンだ。ほか、年内にしゃべるためのプレゼンはだいたいできあがった。早め早めに仕事を片付けていくほうが、精神衛生上よいことは間違いない。ただ、あまりに早く準備しすぎると、いざ自分がそのプレゼンを用いて何かをしゃべる段になって、プレゼンを作ったときの気持ちをすっかり忘れていたりもする。
忘れっぽくて便利なことなどない。
「この肉眼写真の次にこの組織写真を配置したのはなぜだったかな……作ったときはたぶんこれがベストだと思っていたんだよな……そういう筋書きがあったんだよな……思い出せない、な……」。
意図が盛り盛りに練り込まれていたはずのプレゼンが、今や、解読されるべき暗号のような顔をして沈黙している。自分以外の誰かが撮った写真に解説を付けるときの気持ちで、見覚えのないプレゼンをじっと見続ける。どうしても思い出せない。流れがつかめない。
そういうときはもう、あきらめる。
早く帰るのをあきらめる。
ゆっくり寝るのをあきらめる。
あきらめて、「プレゼンを作る直前にやっていたこと」をやり直す。プレゼンに用いた症例の数々を引っ張り出してきて、依頼書の一行目からじっくりと目を通し、電子カルテをたどり、プレパラートを1枚目から順番に見て、もう一度頭の中で診断書を書く。そして、かつて自分が書いた病理診断書の文面をあらためて読む。
こうして一から組み立て直していくと、さすがに思い出す。
ああ、そうだったそうだった。この症例を診断して、臨床画像と照らし合わせるにあたって、患者や主治医には必ずしも影響をおよぼさない、しかし病理医にとっては刮目すべき特殊なポイントを、私は見出したのだった。
そこから多少なりとも普遍的な法則を……いや、普遍的でなくてもいい、偏執的でもいい、なにか将来の医学に持ち越せるようなことを、取り出してきたいと思った。だから私は「ああいう順番」で写真を組み、プレゼンを作ったのだ。
すっかり、思い出した。
しかしだ。
今こうしてプレゼンを見直すと、自分が伝えたかったはずのストーリーを自分で思い出せない。となればこれはもう、プレゼンの「伝達能力」があまりよくないということになるではないか。
おそらく作ったときは頭の中に濃厚なストーリーがあって、その一部をはしょりながら、あらすじを追いかけるように一気にプレゼンを作ったのだ。
でも、こうして忘却力を発揮した今、このような写真の並びだけでは、「元々の症例が持っていた迫力」がいまいち伝わらないということがわかる。
半年以上前に作ったプレゼンを一度ほどいて、あらたに写真をとりなおし、解説のコメントも付け加える。結局、講演日程の直前になって苦労することになってしまったが、まあ、これで多少はいい講演になるだろう。
パワポを上書き保存して閉じる。0.数秒のタイムラグの後にウインドウは消える、その次の瞬間、私はデスクトップに「半年前に作ったプレゼンの重力」がうっすら載っているという想像をする。そこから目を離して再び戻せばもう、いつものデスクトップであってデータの痕跡すら残らない。半年前の私はほんとうにあんなプレゼンで何かが伝わると思っていたのだろうか。あるいは、今の私が忘れてしまった、何か別のニュアンスを別様に託していたのがさっきのプレゼンだったということはないか。
残響がかすれて現在は更新された。今を繰り返し生きていくことは残酷である。どれだけの私が過去に屍となったのかわかったものではない。面状の質量が空中にまぎれて私の両肩はまた少し軽くなってしまった。