EBW

職場の本棚の整理をしていたら思いのほか時間がかかってしまい、気づいたらあたりが真っ暗になっていた。使用頻度の低い本を、取り出しやすい場所に、臓器ごと/検索されるシチュエーションごとにまとめていけばよいだけの話なのだが、あらゆる本を臓器ごとにまとめておけばいいというものでもないので悩ましい。

取扱い規約やWHO分類のblue book、AFIPシリーズ、文光堂の白い鑑別診断アトラスシリーズは、百科事典的にならべておいたほうがきれいだろう。それでは、出たばかりの非腫瘍性疾患鑑別診断アトラスシリーズはどうか? 消化管なら消化管の、肝胆膵なら肝胆膵の本のまわりにおいておいたほうが実務上便利ではないか? いやしかし……。うーん……。悩んだ末に、今回はシリーズをまとめて別のところに移動させることにした。ほかの病理医が必ず目を留める「生検の標本が上がってくる場所」のすぐそば。本屋に例えるならレジ横みたいなところ。ここなら見落とされはしないだろう。

本棚の模様替えはあまりやりすぎると使う人たちにとって不便になる。でも、定期的に新陳代謝しないとそれはそれで不便になる。

この棚はもう本がいっぱいで、こないだ買った新しい本が入らない。さあどれを二軍に落とそうか。あふれた本は、医局の私のデスクに運ぶ。通称「ファーム行き」である。捨てることはない。どんなに古い本でも使い道はある。たとえばレクチャーの際に、病理診断の歴史をふりかえりながら、診断手法が現在のかたちに落ち着くまでに先人たちが何を考えどういう問題点にぶちあたったのかをひもといて語ろうと思ったら、昔の本を参照するといい。ネット検索もAIに聞くのも大事だけれど、それより古い成書を3冊くらい引くほうがドンズバの情報にたどり着く。病理学においてはほんとうによくあることだ。

古い教科書を読む。2年に1度開くかもしれない本というのがある。2年に1度なら、病理の書棚においては、使用頻度が中央値よりもちょっとだけ高い、つまりはわりとよく使われるほうだろうと思う。毎日開く本、月に1度開けばいい本、10年間に1度たりとも開かなかったがこのたび満を持して開いた本、みたいなものが「一軍」にいる。二軍落ちの基準は複雑だ。「頻繁にアップデートされるシリーズの、ふたつ前の版」あたりは二軍で待機してもらうことが多い。古典的名作の初版は逆に置いておくとたまに使う。改版のたびに用語が変わるような教科書はすべての版をひとところに置いておいたほうが結局役に立つ。

古い教科書を読む。これまでに習ってきた病理医たちが、なぜ「ああいう言葉遣い」をしていたのかということが、20年くらいの時間差をのりこえて急に腑に落ちたりする。そうか、hyperplastic noduleというのは、大昔の取扱規約に写真として掲載されていたのか、みたいなことを、大腸の早期病変の遺伝子解析が行われるようになった令和の今になって知り納得する。

古い教科書を読む。読みすぎてそういう嗜好の人になってしまう。悪くはないがリスクではあるかもしれない。出たばかりの本をうっかり「昔の話法」で読んでしまったせいで、なかなか理解できない、みたいなことはままある。CIN1とCIN2の判別基準は昔の教科書をあまり読みすぎるとかえってずれる。AIH overlapという概念があったころの教科書を読むとPBCの診断はずれる。科学が前の版を乗り越えていく過程で棄却された「暫定解」にこだわりすぎると、それはそれで支障を来す。

古い教科書を読む。

古い教科書はおもしろい。

そうやって温故ばかりしていないで知新もしなきゃあだめですよと、あざわらうエビデンス・ベースト・若い医学生の叱責が心をよぎる。