寝違えたりするともう大変なわけよ

肩が痛んだ次の日には反対側の腰が痛む。きっとかばったからだろう。神経が上顎と下顎にセットで分布するから、右上の歯のまわりで知覚過敏を起こすと下の歯までしみるように感じる。こうして、ありとあらゆる体調不良にこうして理屈を与えて、「ほら、科学的にこうだから、痛いのは当たり前なんだよ」と、自分の神経を諭す。「だからもう別にアラーム鳴らさなくていいよ」と噛んで含めるように伝える。そうやっていると神経がしぶしぶ「じゃあもう痛みで危険を教えないよ、でも、それでいざというとき大丈夫?」みたいに確認をするので、「大丈夫大丈夫! もしこれで何かあったら俺の責任だから、そっちはもう鳴らさなくて大丈夫!」とへそをまげない程度に強い口調で言いくるめる。これを何度か繰り返しているうち、ある日、肩も腰も、歯の痛みまでもすっとおさまっている。こうして私はまた平穏な日常を取り戻す。


「気の所為」という言葉が軽く扱われすぎなのだと思う。驚いたときにドキドキする(心拍数が上がる)くらいなのだから、気持ちによって体のあちこちがさまざまに反応するのは当然のことで、だからこそ「気の持ちよう」はとても大事だ。気持ち・メンタルにも、肩の痛みから腰痛を発症するようなところがあって、あそこをかばうために変な考え方をしてかえって別の部分で痛みを感じるみたいなことが起こり得る。調子がいいときはどこにも何も感じないが、ひとつ懸念点があるとそこに意識が集中して、別の場所がおろそかになってそっちに負荷がかかってしまう。人体を安全に保つための痛みアラームシステムと、メンタルという複雑系のありようはどこか相似だ。もちろんほかの複雑系にもざっくりとあてはめることができる話だ。


今この記事を書いているのはある平日の朝。あと何分かしたら私はパソコンを閉じて駅に向かって歩き、そこから出張に出る。別にそこまでして書くべき文章ではない。しかし、この数分で私はブログを書く。こういう数分で私はいつもブログを書く。これはもう、毎日書くことで自分が成長できるとかいうレベルの話ではなくて、「ブログを書くのをさぼった」ということを気にするあまり別の部位へのケアがおろそかになってそのうち痛みだすという現象を、私がこれまでに経験したことがあるからこそあらかじめ予防的に行う「ストレッチ」みたいなものだ。ブログを書かないでいる痛みを抱えたままだと私の体幹が歪み、腰である病理診断の部分が歪んでへんな音を立てる。これはうそみたいな、とってつけたような話だが本当のことなのである。