人に吹き流されやすいタイプなんで

5月も終わろうという候だがしのつく雨が肌に冷たくまだまだ夏の気配が遠い。職場に隣接する線路の脇には新幹線延線に伴う施設建設のため工事現場ができていて、組まれた足場の上に緑と白で塗り分けられた吹き流しがはためいていた。

あの吹き流しひとつで助かった命がかつてあったということなのだろうか。風にひらひらする布なんてのは置き方を間違えるとかえって作業のジャマになるはずなのに、誰もが目につく場所で風向と風力を伝えている。突風が手元までやってくる直前に吹き流しがふっと持ち上がるのを見て足腰に力を入れた作業員がいたのかもしれない。吹き流しは風そのものでもないしアラームでもないが、吹き流しの動きを見ることで環境から自分に必要な情報を抽出することができる。

そういう吹き流しみたいな所見を、細胞をみるときにも延々と探している。

たとえば核塵(かくじん)というのは、人体における吹き流しみたいな意味を持つように思う。この場合、風にあたるのは「好中球性の急性炎症」だ。ここからはいかにもめんどうくさい話だと思われるだろうが、想像通りめんどうくさい話をちょっと読んでほしい。

血管の中などを流れている白血球は人体の警備員だ。この白血球の中にとりわけ喧嘩っ早い好中球という細胞集団がいる。好中球は、人体の中になにか一大事が起こったとき、たとえばバイキンが入ってきたとか細胞が予想外に死んだとかいうとき、ワッと集まってきて急性炎症の担い手となる。

この好中球はかわいそうなことに、現場に出動するとなんと2日で死んでしまう。事件が起こって3日目には好中球の出撃はよくわからなくなるのだ。

この性質を診断に利用することができる。

私たち病理医が顕微鏡を見て、血管の外に好中球が見られるとき、2つの可能性がある。ひとつはその変化が起こってまだ2日以内だということ。もうひとつは「毎日のように新たな敵がやってきており、その都度あたらしく好中球が出撃している」ということになるだろう。

シンプルな理屈だが、病気がいつから悪さをしているかを見るのには便利なのである。そして、このような診断過程で、好中球「それ自体」を見るだけではなく、吹き流し的に、好中球がそこを通り過ぎた証拠的なものを見る方法がある。それが核塵(かくじん)なのだ。

出撃した好中球が2日で死ぬとき、核が断片化して崩壊して、しばらくその場に残骸として残るのである。警備員が殉職したあと現場に警棒と警備会社の帽子が残されている、みたいな悲しい末路だ。しかしこれは、「細胞をとった瞬間の情報しか見られない病理医」にとっては、貴重な時間情報を得るための重要なヒントになりうる。

たとえばその場に現役の好中球と核塵が同時に存在したら? この2日間であいかわらず新規の好中球の出動を要請するような事件が起こっており、かつ、それよりも前から好中球が何度も出撃してこの現場で討ち果たされたということを意味する。となれば、この炎症は2日やそこらではなく、もう少し長いスパンでボンボン燃えているのだな、ということが一目瞭然だろう。

患者は具合が悪くなって病院に来るまでに数日過ごしていることが多いが、ときには急に具合が悪くなって急に受診することもある。この、患者の症状が出るタイミングと、実際に体の中でいつ病気が悪さをしはじめたタイミング、両者のあいだにはズレがある場合がある。昨日具合悪くなったんですと患者が言ったとして、細胞を見たら「じつは2週間くらいこの病気はくすぶっていました」というのを見極めることができれば、なるほど「2週間はくすぶるタイプの病気」なのだなということがわかり、犯人探しがはかどる。


このような、細胞そのものをズバリ見る以外の、吹き流しをチェックするような気分で確認する所見には、核塵のほかに、浮腫、フィブリンの析出、血管内皮の腫大、上皮のつくる構築の幼若化、上皮のつくる構築の過形成、構造の密度の粗密さなどが含まれる。下手人ではなく岡っ引きでもなく雪駄の痕を探すような、フォワードでもなくキーパーでもなく揺れるゴールネットを見るような、風そのものではなく吹き流しを見るような気持ちで細胞をみるというのは、病理医の1年目に教わる内容でありながら検査人生の生涯にわたって利用価値の高い大事なメソッドなのである。