マンガ『宙に参る』の中には判断摩擦限界という概念がある。作中に出てくる高性能なロボット「リンジン」は、記憶が増えるごとに判断の根拠も増え、人間とフレキシブルなコミュニケーションをとることができる。しかし時間とともに蓄積する情報が膨大になりすぎることで、いつしか応答速度が基準値を下回ってしまい、「判断摩擦限界」としていわゆる寿命を迎える。
これに類する言葉が、ほかのSFで語られたことがあるのかどうか、私は知らない。秀逸なアイディアだ。『宙に参る』4巻特装版に寄せた推薦文にも書いたが、私はこのマンガを支える論理の大黒柱が「判断摩擦限界」だと感じている。(あえてもうひとつ上げるとしたら「秘匿」だろう。)
「判断摩擦限界」のすごいところは、「確かにそういうことはあるだろうな」と私たちが容易に想像できるところだ。SFにもいくつかの種類があり、何度世界が回ってもこの状態にはたどり着かないだろうという完全な別時空の話をしているものもあるが、『宙に参る』の場合、「あるいは我々がこの先発展を続けていくと低確率でこうなるのではないか」という達成可能性を感じる部分がたしかにある。あそこはここと地続きだなと感じさせる。「判断摩擦限界」というのは、私たちの今生きる世界とマンガをつなぐ、頑健な架け橋だ。だって、すでに私たちのまわりにも判断摩擦限界と呼ぶべき現象は頻発している。それによって私も、おそらくみなさんも、これまで付き合ってきた多くのスマホやPCを廃棄してきた。
企業の論理:ユーザーにひとつの家電製品をいつまでも大事に使われていては新品が売れないので儲からない。かつて「ソニータイマー」という下品な言葉もあった。しかしべつにソニーだけではなくマイクロソフトもアップルも、製品を数年くらい使っているとだんだんと機能が劣化していって、最後には我々の我慢の閾値を超える。原因の多くは「アップデート」で、自動でプログラムが追加・修正されていくことで発売時のPCスペックでは演算がうまく回らなくなる。これなんてまさに「判断摩擦限界」そのものであろう。
かつて私が病理AIの開発をしていたとき、「機械学習を商品リリース時点で終了させるのではなく、日常の診断の中でも継続的に学習を続けさせたら、どんどん強いAIになるのではないか」と思っていた。しかし実際に開発してみるとその誤りに気付いた。参照する情報が増えすぎるとAIは間違いなく使いづらくなる。どこかで「今のままのお前で十分役に立つからもう新しいことは学ばなくていいよ」とやらないと、利便性がかえって落ちてしまう。道具はアップデートをしすぎないほうがいいのだ。
そして私は最近しみじみ思う。やはり人間の脳にも判断摩擦限界と似た現象は起こっている。
私の場合、何かを見て瞬間的に反応できたのは大学生ころがピークで、年を経るごとに、外界から入ってきた情報を処理する際に「あのこともこのことも思い出すなあ」と懐古モードに突入してしまい、その場で判断を返すのが遅れている。
私たちの脳には、参照する情報を増やしすぎないために忘却というシステムがある。しかしそれほど系統だった仕組みではなく、覚えていたくないことばかり覚えているし大事なことに限ってどんどん忘れてしまう。おまけに、「忘れかけていること」を参照するために記憶のリロードに時間をかけてしまったりもする。正直、ぜんぜん役に立っていない。
ラジオ「東京ポッド許可局」で、おじさんたちは仕事から帰ってきたあとに家にすぐに入らずに車の中で充電をしていることがある、というたぐいの話(おじさん生体報告)が語られるコーナーがある。ここでは、おじさんやおじいさんたちはたまに「何をするでもなく」居間から台所の窓の奥をずっと眺めている、と言及される。私もご多分にもれず、「とくになにもせずぼうっと、何処か一点に視線をあわせたままフリーズ」するタイプの人間になっている。これはやっぱり判断における摩擦そのものであると思う。記憶の海の中でゆらゆらとおぼれる私はこの先何を秘匿したまま限界を迎えることになるのだろう。