いよいよ次の本の原稿を書き始めた。ただ、「次に出る」本という意味ではない。私が「次にこれをやるぞ」と思っている本という意味である。たぶん原稿を書き終わるころには、別の本が2,3冊ほど出ているはずである。今のこれについてはゆっくり書く予定だ。どれくらいゆっくり書くかというと、1日に2000字くらいずつ、週に3~5日ほど書いて、月に20000字として、2ヶ月で3万字、半年で8万字、1年で15万字といったところだろう。私の平均的な仕事量で中央値をとってそれくらいの文字数で完成すると思う。計算が合わないのは書いている途中で前に戻って構成しなおしたりする展開を考慮している。
これまでは3週間で9万字書いて一冊の本にしてきた。今度のは、ペース配分も中に含まれる意図の量もかなり違う。すでに1年くらい、おおげさではなく本当に毎日次の本のことを考えて日々を暮らしてきた。正直に述べるとこのブログを書く際も必ず(100%)、次の本に書く可能性があるネタだろうかということを思い浮かべてから書いていた。だから今、瞬間的に、ブログをやめて本に集中するべきかと思った。しかし、ブログをやめて、かわりに毎日は本の原稿を書くというやり方がほんとうによいのか、それが私にとってよいことなのかが疑問である。これはこれ、あれはあれ、でよいのかもしれない。「あの話を書きたいけどブログに1800字くらい書いちゃったからもう書けないなあ」みたいなネタもあるからブログのせいでアイディアが枯渇していっているとは思う。しかし逆にいえば、手癖だけで1800字くらい書けてしまう内容を本にしてもしょうがない。そういう「小ネタ」や「大ネタだけどスピードでさっさとまとめてしまうネタ」はブログに放流していったほうがいい。
多くの人が指摘し続けていることだけれど、毎日何かを続けるというのは確かに力になる。惰性・慣性とは違う。世の道には摩擦があるので、等速で運動しようと思ったら加速度を加え続けなければいけない。力を込め続けなければ同じ速度で進み続けることはできない。黒板の中(理論的な環境)で等速直線運動といったらそれは静止していることと変わらないが、しかし、現実世界だと、等速直線運動をするためにはエネルギーを運動量に変え続ける必要がある。エンジンを常に回し続けるためには給油もしなければいけないしメンテもかけなければいけない。
ただ、じゃあ、毎日何かを続けていればそれが最高なのか、というところまで考えを進めたほうがいいだろう。毎日何かを続けていることが、端的に「甘え」になるという感覚がある。今、そういうことをちょっと考えている。
毎日何かを続けることは確かに大変だ。しかし「毎日何かを続けることに慣れた」時点でその運動はかつてほどエネルギーを使わなくてよくなってしまっている。たとえばこのブログだってそうだ。書くことに対する筋力がついたからたいした手間ではない。たいした手間ではないということはそこでさらなる筋力を付ける訓練にはなっていないということである。だったらブログを毎日2本ずつ書けばいいのか。そういうことでもないと思う。「こうやってこうすればこれくらいの時間でこうなる」というのがある程度読めた状態では、同じメソッドに沿ってプロダクトを2倍、3倍と作ったところで脳内におけるなにかの消費がそのまま2倍、3倍と増えていることにはならない。
そして私のような人間はすぐ、「俺も地味に10年これをやっているからさあ」とか、「この業界で20年暮らしているとわかるんだけど」みたいなしゃべりかたによっかかってしまう。ついさっきも、「すでに1年くらい、おおげさではなく本当に毎日次の本のことを考えて日々を暮らしてきた」みたいなことを平気で書いてしまっている。継続しておけば大丈夫なはずだという幻想にとらわれている。等速を維持するやり口がもたらす「漏出」があるのではないか。その漏れ出しは、毎日何かを続けることによる利得を相殺しているということはないか。
単純に続ければいいとは思わない。しかし、「もう十分筋力はついたから、この継続をやめにしてその分の労力をつぎ込もう」という発想もまたまずいのではないか。たとえば私は今、このブログを書き続けることにさほど労力をかけていないので、それをやめにしたところで大して「力が余る」わけではないので、ブログをやめても「継続がとだえた」というマイナスが引け目に転換するだけで、ほかにやりたいことに振り分けるパワーが特段増えるわけでもないだろう。すでに私の継続は、「続けていてよかった」の段階を超えて、「やめるにやめられないが続けていてもこれ以上うれしいことはない」というところにあるのかもしれないと思う。
それでもなお、「継続は力だ」と言いたがる人がたくさんいるというのはよくわかっている。卑下するほど悪い行動ではないというのもよくわかる。しかし、たかが続けているだけだ、という気持ちを完全に失ってしまうのはもったいない。ブログはブログだ。たいした手間ではない。それはこれからも続けていけばよい。やめても得はないし続けても損はない、くらいの気分でよい。そしてこれとは別の部分で何かを成し遂げていかないといけない。「ブログやってるからなんとかなるだろ」ほどつまらない話もない。何かの役に立つために何かを続けているなんてどうしてもおもしろいと思えない。もういい歳なのだ。ブログくらい平気で続けてよいしそれを人に誇ることでもない。黙って書き続ければいいのだ。