書いて満足

あっぶね今日から検食だ! 説明しよう! 検食とは病院の患者に出る食事を医師などが食べてチェックするシステムである! 毒見ではない、なぜなら患者と同じタイミングで昼ご飯などを食べるので、もし何か食中毒的なことがあったら普通に患者と同じように医師も苦しむだけである。まあそんな心配はしてないが。検食当番はだいたい数年に一度のペースで回ってくる。150名くらいいる医師で順番に回している。やることは、お昼になったら医局の共用スペースに移動し、院内厨房からとどいた病院食のうちおかゆじゃない普通の白米がつくタイプのやつを食べ、検食簿に味とか温度とか盛り付けとかについての感想を記載する。これが1週間続く。この間食費が浮く。検食簿の最後にはおいしかったですとかごちそうさまでしたと記載しておく。この役が回ってくるたび私の字は汚くなっている。丁寧に書きたいのだがとにかく親指の靱帯が痛くてあまりペンをきちんと持てない。こんなところでも歳を取るんだなあ。

検食、いつもと違う生活。食い物が違うことが問題なのではない。いつもほとんど寄り付かない医局で5分程度座って飯を食うことが非日常だ。ストレスである。まあストレスなんてどこで暮らしていても降り掛かってくるからあんまり変わんないけど。でもストレスよりももっと問題なのはこの検食の予定を、先月から聞いていて、先週もたしかに覚えていたのに、今朝になったらころっと忘れていたということだ。もし私がお弁当派だったら間違いなく今膝から崩れ落ちていた。うそ。膝からなんて崩れ落ちないよ人間は。映画とかアニメ見たことがない人だったら絶対そんな膝から崩れ落ちたりしないよ。そういうことする人は膝から崩れ落ちるところを誰かに見せてなにかのメッセージを伝えようとしているだけだと思う。話がずれた。もし私がお弁当派だったら、今日から検診だということに気づいた瞬間に膝から崩れ落ちていただろう(ポーズとして)。

ルーティンから少し外れる予定を最近ほんとうによく忘れるようになった。絶対カレンダーに書いとこ、と思ってちゃんと書いて、案の定そのカレンダーを見忘れていたので予防も意味をなさなかった。

デスクの向かいの壁にカレンダーを3枚かけていて向こう3か月の予定が一望できるようにしてある。手持ちの手帳にも予定は書き込んであるしスマホのアプリでも管理をしている。三重にも四重にも予定を記載するのはひとえに「手をくだして書いたということもまた思い出すきっかけになるから」だ。スマホアプリ1個にちょっと書いたくらいでは私はあらゆる予定を忘れる。通知もうざいから切る、それがよくないと言えばよくないのだが、予定のたびにビロビロ鳴られてはたまったものではない。というわけで近頃の私は、自分がものを忘れることを前提として、例えば月曜日の午前中にルーティンワークとして「カレンダーを見ながらぼうっとする時間」を設けることにしている。たくさん書いて残して満足するのではなくてそれを自動的に読み返す時間をシステムとして設定しておくということだ。これだけやっても昼になると忘れたりするから本当にままならない。

予定を書いて満足する、とか、計画を立てて満足する、というのは、小さい頃から私にそなわった気性のようなものだ。修学旅行のしおりを作るのが好きだったし大学の試験の前にはよく試験対策のプリントを作って満足していた。じっさいにそういうまとめとかアンチョコの類を作ったあとに見返すかというと私は絶対に見直さない。しかし作ったことがそのまま勉強や実践の役に立つのである。しかし、そういう「役に立つ」ことはまあいいとして、事務的な予定を書いて残しただけで満足してしまうのはあきらかに私の欠点であろう。カレンダーを3つ並べて貼っても今日の検食の予定すらあやうくすっぽかしそうだった。分子専門病理医の受験資格を集めて問題も解き、あとは受けるだけだったのだがどうでもいい気分になって結局受験していないというあの頃の私はじつに私であったなと思う。予定というのは書き記すだけで満足してしまうものだ。実際に無言で実践までたどり着けるものごとのなんと少ないことか。