かわいそうな事故

病理診断はついた。手術で取ってきた検体に、必要十分な検索を行って、病気の分類や進行度について定められた書式でのレポートを書き終えた。

その内容を読んだ臨床医と相談して、私は追加の検討をはじめることにした。主たる診断は確定。しかしこの手術検体にはほかにもたぶん見どころがある。

だからもっと見るのだ。一度保存しかけた臓器を取り出してふたたび目で見てプレパラートを作成する。

本来、そこまでしなくていい話ではある。

診断がすでについた以上、病理学的な追加検討というのは患者の将来にはあまり関係しない。だから患者から追加でお金を取ることはしない。そういう検討を病院で仕事としてやる必要があるかどうか。人によって意見がわかれるだろう。「病理診断でいちいちそこまでする義理はない」とか、「医療資源の無駄遣いだ」と考えるタイプの病理医もたくさんいる。ただ、そんなに肩ひじ張って考えなくても、「この場所で見られるものはせっかくだから全部見ておく」くらいの軽い気分でよいのではないかというのが私の考えだ。

臨床というグラウンドでヒットを量産することを考える。大事なことはなにか? バットでボールをとらえるための視力・眼力、バットコントロールを上手に行う調整力、ボールを遠くに飛ばすための腕力・体幹の力が必要なことは言うまでもない。ただしそういった、バットでボールをどんぴしゃで捉えればそれで全部かというと違うだろう。バットをきれいに振り抜くフォロースルーも大事だ。ベースランニングもおろそかにはできない。塁に出てからピッチャーのクセを盗んでチームメイトに伝えるのだって野球だろう。打って終わりじゃないということだ。そういう感じである。どういう感じ?




とある癌にむしばまれている臓器の、癌から外れた部分をたくさんプレパラートにして観察する。いわゆる「背景」を見ている。背景にはたくさんの情報が含まれている。癌が癌として発生するきっかけとなった出来事が隠れていることもあるし、癌とはぜんぜん関係がなく、ある意味、偶然べつの病態がひそんでいることも稀にある。

職場で窃盗事件が発生したときに内部の犯行がうたがわれ、職員全員の身体検査と持ち物検査をしたら、窃盗とはぜんぜん関係なく、ひとりの職員のカバンからエロ同人誌が見つかった。泣き崩れる職員。かわいそうに。とばっちりで。窃盗の捜査に関係ないんだからそっとしておいてやれよ。そこでそっとしておかないのが、今回、私がやろうとしていることだ。窃盗の捜査は粛々と進行して調書をとり書類送検まで終わっていて、すでにプロから別のプロに手渡しをしている。それはそれとして、周辺をあらいざらい調べる中で見つかった別の「ひっかかり」を放置しないということ。エロ同人の画力がすばらしいが職場に持ってくる倫理はぶっ壊れている、ではなぜ職場に持ってきたのか。職場のコピー機を勝手に使おうという邪心のなせるわざか。単に創作活動で徹夜してカバンの中身にまで思いが至らなくなったバグのようなものか。かわいそうな事故が生じた原因をわかる限りでつきとめていく。泣き崩れる職員。でもそこから誇り高く復活してくる職員。私たちは涙を拭き固く握手を交わす。そういうことを細胞を見ながらやっている。そういうこと?