顔を知らない医者の場合はてきとうに声優をあてている

スッと時間が空いたので、そうだブログ書こうと思ってキーボードに向かったのだが、それより先にまず、昨日とどいた医学雑誌を読んでおくべきだ。医学雑誌は通読すること、そして、毎月欠かさず読むことが大切である。もっとも、通読といっても適当でよくて、読み飛ばすくらいのスピードでビュンビュン読んでもOK。そのかわり積ん読はしない。最近の世の中は積ん読に対してすごくやさしく、タイムラインには今日も積ん読ばんざい買うまでが読書派がたくさんいらっしゃるし、私も多くの本は積ん読したほうがむしろ味わいが出ると思っているけれど、医学雑誌は別だ。積ん読してはならない。理由はふたつ。


1.積んでおくと情報が古びるから

2.一定の頻度で読むことである種の筋肉が鍛えられるから


たとえば私が購読している『胃と腸』の最新号は「虚血性腸炎の特集」。これとほぼ同じテーマが同雑誌に2013年(11年前)に組まれている。医学の進歩は著しく、10年ちょっと経過すると診断法も治療法も変わるし、なんなら患者の暮らしっぷりや病気になりやすいかどうかといったファクターもずっこんばっこん変わる。したがって今月出た特集ならば今月のうちに読んでおかないとどんどん古くなる。キャッチアップ・アップデートのために購入する雑誌を、買って積んで満足してはだめだ。アップデートパッチをダウンロードだけしてインストールせずにPCを使い続けてどうする。

小説なら10年くらい寝かせておいても楽しく読めるだろうけれど、「じゃらん」の旅行特集を1年寝かせたら観光地は様変わりしてしまう。それと一緒……というと言い過ぎか……、旅行雑誌ほどではない、医学は1年くらいだったら十分通用する分野も多い、でも、5年寝かせるとやっぱり危険だ。観光雑誌ほどではないけれどエッセイくらいにはなるべく早く読んだほうがいい。医学雑誌の特集はnote書籍化エッセイと同じくらい「時代と寝ている」と思ったほうがいい。時代におもねった著者のことをしっかり覚えておいて後年学会や懇親会などで顔をあわせたときに揶揄してやるのだ。「先生2020年の例の総説ではだいぶCOIにご苦労なさいましたねえ笑」。※危険なので真似をしてはだめです


2番目の理由も大きい。いそがしさを理由に本を読まなくなると目と脳がおとろえて余計に本が読めなくなる。私たちは本から少しも離れてはだめなのだ。定期購読システムによって「一定の頻度で送られてくる状態」をキープし、とにかく一定以上の文章を読み続ける。どれだけ忙しくてもこれだけは読むぞと心を強く持つ。そうやって目と脳を維持する。

とはいえ医学雑誌を長年こつこつ読み続けてきたことで具体的になにかの知識を維持できたとか頭が論理的になったとか、「わかりやすいメリット」が発生したかというと、わりとそうでもない。それほどではない。医学雑誌をいくら読んでも一流の医師にはなれない。ファンランナーが毎日ジョギングしたからといって競技マラソン選手にはなれない。しかし、一定の頻度で物を読み続ける行為によって別様の何かがもたらされることはある。


そこそこ長い期間にわたって私は和文雑誌を読み国内で活躍する医師の発表を学会やウェブ講演会などで聞き続けてきた。今の私は雑誌を読むとその著者の声が脳内に響く。テレビドラマなどで主人公が手紙を読むと途中から本人の声にオーバーレイされる演出があるがああいう感じがマジで達成されている。後天的に獲得した便利な脳アプリ。

この年になると新しいことを読んでもぜんぜん覚えられないが、知っている医師の口調で(脳内で)語りかけられると、一語一句は覚えずとも「講師の口調とか表情(いずれも脳内)」によってなんとなく雰囲気を覚えることができる。若手に質問されたとき、「あーその件については2か月くらい前に……〇〇病院の◯◯先生が……なんか眉をひそめながら早口で言ってたよ、どの雑誌だっけ、これこれ!」みたいに雑誌のアーカイブを取り出すと、若手は露骨に気持ち悪そうな表情をわたしに向けながら「……本の中で、◯◯先生が眉をひそめたんですか? 本なのに?」と懐疑的に問うてくる。「そうです」。クソリプに対する返事といっしょでさらっと答えてまたも私は本の向こうにおじさんの声を再生させる異能を持った気持ち悪いおじさんとして名を馳せる。