「割に合わない」というときの「割」とはなにかと思って調べている。しかしGoogleではどれが正解なのかよくわからない。「割を食う」の割といっしょですよと言われてもなんというか……うーん……だからそれは結局なんなの。割合の割ですよ、うん、となれば、割に合わないってのは割合に合わないって意味になるわけだよね、それって、合うのかい、合わないのかい、どっちなんだい。
そういうことが知りたいわけではないのだ。
言葉ができあがってきた歴史、人びとの間でどのように使われてきてどのように変化してきたのかという流れ、どのへんの使い勝手がよいから現代にまで残ったのか、ほかにもっといい言葉がなかったのか、喉を通過したときの感覚や字にしたときの見た目がよかったのか、そういったことを懇切丁寧にチンタラ語ってくれる場所がないのかと探している。しかし私のプロンプトがよくないのか表面的な回答に終わっていて満足までたどり着くことがない。若い人ならもっと上手に検索でたどり着けるのだろうか。中年はハルシネーションを起こしそうだ。
病理診断にもそういうところがある。
「この細胞は、どうして癌といえるのですか?」と研修医から質問されたとき、ほら、核がでかいでしょう、クロマチンが多いでしょう、不同性が強いでしょう、核小体が目立つでしょう、とひとつひとつ所見を解説して、「ね、このように悪性の所見がいっぱいあるから癌なんですよ」と胸を張る。それはまあそうなのだ。しかしそれがなんだというのだ。研修医の疑問は本当にそこで終わるのか。上司が「こうだからこうなんだ」と胴間声で断言するから萎縮した若者が「なるほどわかりました」と言っているだけでじつはぜんぜん納得していないということは十分にあり得るのではなかろうか。
「核がでかいとなぜ癌なのか」という疑問だってあるはずだ。「不同性があるとどうして癌なのですか、だって炎症でも核の大小不同は出現するでしょう?」この質問に答えずして研修医の疑問に答えたことにはなるまい。「そもそも細胞のカタチがどうして患者の将来予測につながるのですか?」「それは~統計を取ったらそうだったからです」と応えることは事実だが誠実ではないのだ。
遺伝子に異常が蓄積してコピーナンバー数が過剰に増えると、核内の染色体量が増えて核の見え方が変わる」ということと、それが腫瘍化した細胞の転移や浸潤とどう関係するのかといった因果の話とは別の階層に存在する。これらをきちんとつなげて語れるかどうか。もっと正確にいえば、一つの階層について話をしていくうちに、相手の質問が階層をまたいだものであると気づいた指導者が、いっけね、この階層の話だけで終わらせちゃいけなかったよね、と研修医の前でさらに解説を追加するだけの心の広さを持ち合わせているかどうか。
どうして織田信長は天下統一する前に死んじゃったんでしょうね。それは明智光秀に裏切られたからだよ。こういったやりとりだと、「じゃあどうして明智は裏切ったのか」とか、「明智ひとりが裏切ったくらいで簡単に命を落としてしまう織田の警備体制はどうなっていたのか」とか、「むしろあそこまででかくなる過程でもっとたくさんの人に恨まれていたはずなのに殺されずに生き残れた織田の危機管理力はめちゃ高いはずなのになんで明智のときだけ」といったように、まだまだ質問は終わらないはずなのだ。でも医学の話だと、もっといえば病理形態学の話だと、「核がでかいから癌ですね」で終わらせようとする人がちらほらいて、いや、それ、上下関係で質問を抑え込んでいるだけなんじゃないかなあ、と心配になるのである。