雷雨のほとり寝泊まり暮らし明日への扉の開く方向のこと

先日、SNS医療のカタチが神田にあるほぼ日ビルで公開収録を行った。当初は私も出演する予定だったのだが諸般の事情に鑑みて私は不参加となった。もともと私はインターネットをはじめた10代のおわりにすぐにほぼ日を読み始めて「真っ白いカミ。」に心を撃ち抜かれ……という、こうして文章にしてみると顔が赤面を通り過ぎて虚式茈面になってしまう幼弱な思春期の香りが半端ない経歴の持ち主だが、要はそのころからほぼ日を毎日読んでいたので、今回ほぼ日に行けることをすごく楽しみにしていた。参加できなかったのはひどく残念だ。もうこんな機会はないだろう。先日読んだ「ちはやふる」の中に、チャンスの扉にノブがついているのは大学入試のときまで、みたいなことが書いてあって本当にそうだなと思う。この歳になるとチャンスの扉はこちらから開けられず、向こうから開けてくれるのを待つばかりだ。まれに扉をぶっ壊して突進するタイプの異常者もいるが私は極めて正常でおとなしく温厚な草食動物でありもそもそと草を食んだり鋭いツノで闘牛士をぶっとばしたりするタイプだから今回チャンスの扉をこちらからパタンと閉めてしまったことには悔いが残る。

東京の宿は高騰していたがSNS医療のカタチのスタッフがあちこち調べ回ってくれて、もうすぐ改装が決まっているある有名な宿を格安で押さえてくれていた。それも泣く泣くキャンセルした。残念極まる。ブラック・ジャックの中に出てくるセリフで読んで以来、「残念極まる」というフレーズをいつか使ってみたいと思っていたが今回ようやく使えた。その意味ではよかった。よくない。

そもそも6月から11月まで土日祝ふくめて一切休みがない状況だった。しかしこうして7月27日、28日の予定がポカンとなくなって、はからずも私はこの日休日を手に入れた。当日のポストを振り返ると、たしかに私はこのあたりでちはやふるの全巻を読み直している(だからさっきの話もぽんと出てくるのだ)。実際にちゃんと休めていたということだろう。ただしこの日、まるまる休んでいたわけではなく急遽別な予定が入った。このことはまだ誰にも言っていない。結局わたしは東京に行くことになったのである。正確には埼玉県に行くことになったのだが、宿泊したのは都内なので東京に行くことになったという書き方でまあいいだろう。私から見れば関東甲信越はぜんぶ東京だ。新潟も東京である。うそだ。新潟は新潟だ。でも群馬くらいなら東京でいいだろう。故・長嶋和郎教授は群馬大学を出て東大の院に行ったから私の中で群馬大学は東大である。あと千葉は千葉だ。牛久市の人口は8万人ちょっとで市原市の人口が27万人くらいいて、市原市のほうがだいぶ人気であり、消化管病理における人気とは逆だなと思ったりする。何の話かわからない人はそのままわからないままつつがなく一生を終えてほしい。

つくづく、SNS医療のカタチで取った宿にそのまま泊まりたかった。自分で金を払うのだから目的が別でもそのまま宿の予約を残しておいてもらえばよかった。しかし今回、SNS医療のカタチへの出演をやめた理由がストーカーを避けるためで、SNS医療のカタチのほかのメンバーに迷惑がかかってはいけないから、つまりメンバーの近くに私が出没してはだめなわけで、となれば当初の宿の予約はキャンセルして正解だったろう。とにかく神田(ほぼ日)からなるべく電車1本ではたどり着かない場所に宿をとる。同じ日に仲間たちが都内にいるのにそこを避けなければいけないという縛りが私の術式を強化し効果の範囲は拡張した。都内全域の宿を検索するのにはだいぶ時間がかかった(拡張できてない)。

宿は死ぬほど高くてアパホテルでも20000円くらいした。ドーミーイン、リッチモンド、京王なんちゃら、よく目にするビジホの数々は一切空いていない。印旛日本医大のちかくの宿をうんと高い値段で取ったらインバ・ウンド高い! なんていうギャグになるなあと考えたけれど京急のはしっこまで行って泊まる意味がわからなかったので冷静にやめた。

夏休みのはじまった都内にたかだか10日前に宿泊の予約をしようというのがそもそも間違っている。いっそ埼玉県での仕事が終わったらそのまま新幹線で仙台あたりまで移動してみてはどうかと思ったりもした。新幹線代を加えても都内より安く泊まれる可能性もあるのでは? しかし仙台も普通に高かった。日本全国インバ・ウンド高い。

ラブホが空いていればそれが一番安かっただろう。かつてエリックがよく「ひとりラブホ」というのをやっていて、あれは確かに楽しそうだなとひそかにあこがれていた。オリンピックをラブホの巨大テレビで見るというのもオツなものだし、うっかり写真なんか撮ればかなりインスタ映えするだろうなと思ったけれど、メンヘラ臭が強すぎてまた新たなストーカーを生んでしまうからやらないほうがいい。そもそもこの日は花火大会かなにかがあるのでラブホが満室になるリスクも高く現実的ではなかった。都内の漫画喫茶はもはやどこにあるのかわからなすぎて泊まる気もしなかった。結局一泊20000円を超える宿を楽天トラベルで取った。宿泊前からどっと疲れた。

航空券もうんざりするほど高い。往復で57000円以上する。札幌市内や都内での移動にかかるお金を入れると70000円。宿代とおやつ代をあわせたら10万円。先方のご厚意により一部が補助されなかったら腰痛が悪化したことは間違いない。まあ結局腰痛は悪化したのだが金銭的なストレスがなくても今回の腰痛は悪化しただろう。

行動範囲を書けば書くだけつきまとわれるので何も書かないに越したことはない。しかしこの日は考えることが多く残しておきたいと思えるできごとにもたくさん出会ったので慎重に書いておく。

まず行きの飛行機に乗る直前にばったりと旧知の間柄の教授に遭遇した。びっくりした。彼にかかわらず医療系の人間は札幌でばったり出会うと「いつも快速エアポートから先生の病院に手をふってるよ」のように私の勤め先のことをまず言う。それだけ印象的なのだろう。新千歳空港から36分電車に乗り、34分くらいのタイミングで左手に見えてくる建物のどこかに私がいるという連想は些細であり、ほかの人に言うべき話でもないからなんとなく海馬でこねくりまわしてから長期記憶の棚には入れずに捨てるのだけれど、海馬の中ではある程度の存在感があるから私というトリガーと出会うとついそれがぽんと出てくるといった塩梅だ。大変よくわかる。

飛行機の機内ならびに都内の移動の間に、京極夏彦『鵼の碑』を読破した。すでに4/5くらい読んであったが最後はあっという間だった。医療系の本だったらこの厚さのものを読むにはもっと何倍も時間がかかるのだがやはりエンタメというのはすごい、スルスルと麦茶の寝ゲロが出るように読み終えてたくさんの読後感が残った。京極夏彦をいちから読み直すのとワンピースをいちから読み直すのだと、かかる時間はいずれもそんなに変わらないかもしれない。ワンピースの連載開始が1997年、京極夏彦の姑獲鳥の夏が1994年の発売。蓄積されたエンタメの層状分化のすごさを思う。

埼玉県での仕事が終わった後すぐに都内に戻らずにさらに移動した。急な仕事の依頼だったがさらにそこに急な用事を付け足したのである。前日の夜はスケジュールを頭に叩き込むのに時間がかかってなかなか眠れなかった。結局、この日の午後には栃木にいた。新幹線を使いたかったのだけれどうまく時刻があわず、在来線でちんたら移動。目の前の席にはひまわり畑の似合いそうな女性が座っていてちらちらこちらのほうを見ているのでまた新手のストーカーかと思って気が気でなかったのだがどうやら見ていたのは私ではなくて車窓の風景のようだった。すでに背景化した中年であっても視線を感じるとあいかわらず自分が主人公のような気持ちになってしまう。恥ずかしい話だがこのような自意識は年齢とともに減るかというとそうでもないようだ。ただそのような意識に対する恥ずかしさだけは年々増していく。自己肯定感でも自己効力感でもなく自己羞恥感が私の姿勢を正し顎を引かせる。

栃木ではオンラインのイベントに参加した。オンラインのイベントなのだから私もオンラインで参加すればよかったのだが、せっかく近くにいるのだから挨拶でもしに行こうかと思って顔を出したところ私のためにカンファレンスルームひとつがあてがわれ、該当施設のドクターたちは全員自分のデスクからオンラインでアクセスしていたので本格的にこの場所に来た意味が薄れたが、それはともかくこれまで自施設のほか、私は北海道大学と旭川医科大学以外の大学の病理検査室や病理カンファレンスルームを見たことがなかったので、はじめての大学の病理部屋にいられることだけで十分に楽しかったしデスクの配置とかモニタや顕微鏡の値段など興味深く見ることができた。職歴が長くなってくると施設見学した際に目をつけるポイントもだいぶ変わってくるようである。楽しかった。

一通りの用事が終わったあとは都内に移動してワインを飲んだ。気持ちのいい店でふだんあまりシャンパンだとかワインを選んで飲まない(もっぱらビールばかりの)私も自然とワインを飲みたい気になり、料理も手が込んでいるのに箸で気楽につまめるという二刀流感があってとてもよかった。隣の席の人間たちがすわ医療関係者なのかという話題を大声でしゃべっていたのが少しだけ気になったがどうも聞こえてくる単語の端々が素人っぽかったのでおそらく体のことが気になる非医療者たちだったのだろう。あるいはマスコミ関係者だったのかもなと思うころには私の内心をあらいざらいぶちまけており彼らの手によってそろそろ私の秘密が開陳されるかもとおびえていたけれどあれから数日経っても未だにネットに私の名前は出てこない。

移動の最中、職場とは別の県に住むということについていくつかの知見を得た。北海道ではなかなか存在しない話題なので興味深かった。都内に職場があって隣県から通うというパターンはこれまでもよく見聞きしてきたが、逆に東京ではない土地に職場があるのだけれど家は東京にあるという住み方についてはあまりこれまで気にしてこなかった。東京なんて家賃も高いし住むメリットがないのではと思ったけれど四方八方に出張する可能性がある人からすると、住む場所をうまく精査すれば移動という面では東京ほど便利なところもないわけで、なるほど具体的に聞いてみるとそれはそれでうまくやっているなあという感心の気持ちが勝った。ちなみに北海道でも函館に暮らして青森に出勤する人は少ないながらもいるという。夏だけ避暑のために釧路に住むという都民の話も聞いたことがある。まあ私の場合はそこまで給料が高くないのでそんなセレブな暮らしにたどりつくことはないだろうし札幌は職住接近でやっていけるいい街だ、それでもまったく別の生き方というものについて想像力と現実との差を埋めていく作業はやっていていろいろと心の隅を刺激された。

思い返すと千歳を後にして羽田に着くまではSNS医療のカタチを途中で放りだしたことに対する自責の念とかほぼ日に行けなかった悔しさなどで頭がいっぱいであったが、都内や都外をぶらぶらとうろついているうち、スコールのような雷雨を窓のこちら側から見ているときには、そういう話をすっかり忘れて住みづらい首都圏の穴場を探すような目線になっていろいろと人の暮らしや働き方についてばかり考えていた。私の人生は他人との距離感をはかりつつ避けたり逃げたりしながら今の場所におちついているのだけれどこれからあと20年弱働くにあたってまた何か変化するのだろうか? 今の私が最終的にしのびこんでいくドアの向こうでノブを回すのは誰なのだろうか?

日曜日に帰宅。移動中ずっとちはやふるを読んでおりそのまま帰宅してからも読んでいた。そのむねをXにポストしたところ末次先生から「なんで今 暑いのに」とリプライが来ていてそりゃあ首都圏の熱にうかされた人間は涼しい北海道でかえって熱を求めるんですよと返そうかと思ったけれどなんかそこまで心うちを明かすとまたストーカーにいいね付けられたりしていやだなと思って適当なことを言ってお茶を濁した。