チンダル現象の仕事

自分のやっている仕事は「見出すこと」で、そういうタイプの職業というのはほかにもたくさんあると思うからさほど特別だとは思っていない。

たとえば清掃業者なんてのは目に付く汚れだけではなく「素人ではなかなか気づかないような汚れ」をみずから探しにいってきれいにする。

あるいは料理人とかもそうだ。いかにも食べられそうな食材をそのまままるかじりするのではなく「選別してカットして下味をつけて熱を加えて」と加工することで食材の可能性を引き出す。

これらはいずれも広い意味では「見出す」という仕事だと思う。ある種の価値はもともと世界に存在するが、そのままでは人に見出されないので影響を及ぼすこともない。探して手にとる。その見つけ方にプロの手さばきが潜む。



先日キャンプに行った。はげしいセミの声で朝4時半くらいには目が覚めてしまい、二度寝を試みたが陽光がぎらぎら照り返してもう起きろという。だからのそのそと起き出して、タープの下で友人たちが起きるのを待ちながら周りをぼうっと眺めていた。朝の光が角度を持って差し込んできている。しかしそのほとんどは背の高い樹木の葉っぱによって隠されており、キャンプ場はすずやかな日陰に包まれていて地面には細かなまだら模様が見えた。しばらくすると近隣のテントからよそのキャンパーたちが起きてきてそれぞれ活動をはじめた。煮炊きの白い湯気や煙がちらほら立ち登る。そのモヤによって、差し込んできた木漏れ日の筋が見えたり見えなくなったりする。

光というのは、もともとそこにあるんだけれど、私たちが普段「光の束」を見ることはない。空気中のチリや煙、もしくは水中の砂粒などがあると間接的に可視化できるようになる。

キャンプ場の朝、私はまずぼんやりと、ドラえもんに出てくる「道路光線」という道具のことを思い浮かべた。のび太がこの光線の中を歩いて月まで行こうとする話。私たちはみな、「まっすぐ何かを貫通していく光」を異常に愛する性癖の持ち主だ。早朝のやけに間延びした時間の中で、私は想像をまっすぐ遠くに貫通させていこうとした。

そして照らした先に仕事の風景が見えた。病理医の「見出す仕事」とは、木漏れ日の光線を煮炊きの煙で可視化するような作業だな、とふと思った。

光線はもともとそこにある。しかしそのままでは見えない。見えないからないというわけではない。あるけれど見方がわからない。そこにアクセスするための手法。煙を起こせば光路が浮き立つのではないかと考える。そのためにどうする? 火を起こして鍋をかけて前の晩に余った食材を用いてリゾットを作る。ほんとうは炭火やキャンプファイヤを使いたいところだがすでに火は消えているから家庭から手軽に持ち込んだ卓上ガスコンロを使う。鍋がゆっくり煮立って、湯気が立ち上り、元からそこにあった光の束が誰の目にも見えるようになる。それを遠くから眺めている誰かがいる。

見出すとはつまりそういうことをする仕事なのだと思った。必ずしも目をこらすばかりが仕事ではない。汚れをはっきりさせるために特殊なライトを当てるとか、味を引き出すために食材にあったカットを施すとか、細胞の異常を検出するために特殊な染色を用いるといった作業の末に見出すという行為が存在する。たしかに私は日頃から煮炊きをするような働き方をしているなと思った。