サラリーパーソンの皆様ならなんとなく同じことを考えているのではないかと思うのだけれど、私たちはいつもうっすらと損している。
たとえば命じられて仕事で移動・宿泊するにあたり、飛行機や新幹線やタクシーさらにはホテルの料金を先に払っておいて、あとで精算して返してもらうというパターンをよく経験する。これ、「最終的に損はしないシステム」というけれど、精算してもらうまでの間はうっすらと自分のお金が減った状態になっている。結局私たちは人生の中で常に「あと1週間待たないとマイナスがゼロにならない」という時期ばかりを過ごしていることになる。たとえば今私が不慮の事故によって頓死したら、こないだの飛行機代を私が手にする前に私の人生は終わってしまうことになり、それはなんだか損した気分にならないですか。ものすごい損ではないがうっすらと損ではないですか。
Suicaにチャージするとかドトールカードにチャージするなんてのもあれはつまり先払いでカードの中にお金をすべりこませて他には使えない状態にしているわけだ。私は人生の中で必ず「どこかのカードにお金をチャージしてある状態」のまま暮らしている。このチャージをすべて使い切ってプラマイゼロ(もしくはポイ活の分だけお得)でぴったり死ねるかというとそんなことはおそらくない。やっぱり私はうっすらと損のローテを回しながら生きている。ヨドバシとかビックカメラのポイントを貯めるよりもケーズデンキの現金値引きのほうがいいのよネというマツコ・デラックスのセリフともつながる話だ。ちなみに私はテレビっこなので私の話を完全に理解しようと思ったら毎日欠かさずテレビを見る必要がある。いまどきSNSだけしか見てないなんて最近の若い人は遅れてるな。
私たちの命はデフォルトが「うっすらマイナス」なのだろう。何かを得てプラスを積み重ねて生きていくのではなく、黙っているとHPやらMPやらが少しずつ減っていってそれを補充して満タンにしてまたそこから減らしてを繰り返すのが生きるということだ。呼吸だって食事だってそういうこと。酸素が足りなくなって細胞が苦しくならないように息を吸って補充。腹が減って動けなくなる前にメシを食って補充。マイナス→ゼロ→マイナス→ゼロの繰り返し。最後は税率0%にしてメガロポリス! 今の私の話を完全に理解しようと思ったらシムシティの公式ガイドブックを読む必要がある。あなたがたにはシムシティの公式ガイドブックが常に足りていないのだ。マイナス→ゼロ→マイナス→ゼロ。スーパータイガー、お前のことだぞ。
私たちはもう少し「マイナス」であることに慣れたほうがいい。大人として生活するというのは、自分がうっすら損していても別に不平を貯めるようなことではないと理解することだ。右肩上がりとか積み重ねとか巨人の肩の上に立つといった言動は、人間や社会が年を経るごとにどんどん成長していくという前提のもとに成り立つ言葉であって、それは呪いの媒介装置なのである。別にマイナスでいい。補い補いしながら暮らしていっていい。畑仕事をやってみるといい。うっすらマイナスを補充していく暮らしというものが、農耕民族の基本的人権と密接につながっている。収穫したナスもきゅうりもトマトも、買ったほうが安い、人に作ってもらったほうが楽だ。自分で育てた野菜は形もぶかっこうだし雨に当たれば破裂してしまったりもするし虫だってやってくるし、ししとうに至ってはときどき唐辛子になってしまったりする(なんでなの?)。私たちは投資という言葉にころっと騙されて自分のマイナスをふくらませ、ゼロに戻せるほど回収できるわけでもないのに今年の畑はうまくいったなあなんて気持ちだけプラスに持っていく。芸当だ。私たちはいい芸を持っているのだ。