まだやってるよ編集会議

Zoom会議に出ている、そして、なんとなくブログの編集画面を開いたところだ。あまり大きな声では言えない。まあミュートだから大きな声を出しても聞こえないけどな。そういうことじゃない。

サボりじゃねぇかと言われると、うーん、まあそういうわけでもないんだけど、そうだな、ペン回しみたいなもんだよ。ペン回し。あんたも長時間カンファレンスに出席してるときとか、手持ち無沙汰になってペンくるくる回したりペン先をカチカチ出したりしまったりするでしょ。しない? するよね? それといっしょだよ。カチカチキータッチしてるだけ。かんべん。かあちゃんかんべん。

議論は白熱しているようで沈静化している。しゃべる役割の人がずっとしゃべっていてほかの参加者は地蔵。私は、PCのモニタにしっかり正対してこのようにブログを書いている。ほかの参加者からはまじめに画面を見つめているように見えるだろう。会議のようすはサブモニタに開いているので、私がもし本気で会議に出ているならばZoomの画面上、私は横を向いて映ることになる。正面視しているということはサボっているということ。でも他の参加者がそれを知るすべはない。

ぶっちゃけ、病理医が会議に出るときは、これくらいの「気の散ったやりかた」でもいいではないか。うわっ主語大きくしちゃった。とはいえ、ここで主語を病理医じゃなくて病理医ヤンデルにしたところで、なあ、うん、その、ぶっちゃけ、おもしろくないじゃんけ。だから病理医ってことにしといて。そこはなんかうまくやっといて。

そもそも、臨床医だらけの会議に病理医が混ざる理由とはなにか。医療現場で病理学という狭隘でありながら恢恢としてもいる専門知識が求められる場面、まれにというほど珍しくもないがしょっちゅうというほどありふれてもいない「ここぞ」で、裂溝潰瘍的に鋭く切り込ん/刈り込んだり、粘膜逸脱的に絞り上がっ/引っ張り上がったりする「奇行」がおもいのほか臨床医たちの役に立つということだと思う。飛び道具だ。秘密兵器だ。ディレードスティールだ(?)。

そういう担当はそれなりの「孤高」性をかかえていないとだめだ。

むしろ周りとシンクロしてメジャーな心情を共有してしまうほうがよくない。臨床医とよくコミュニケーションする病理医なんていうのは結局のところ病理医としてのうまみを失うのだ。どんなおかずでもカレー粉を混ぜるとカレー味になってしまうのだ。だからこそ私は病理医であるために必ずある程度は臨床医と違うことをしなければいけない。これは本当に大変なことだ。手間がかかる。覚悟も必要だ。会議に出ているふりをしてブログを書いたりスイカゲームをしたりと気を散らばらせるためにはちょっと信じられないくらいの胆力が必要である。「片足だけ参加している」くらいで、分人の一部だけコミットするくらいで、ちょうどいい、覚悟して半分はみだすのだ。腹をくくって主戦場から離脱するのだ。それが病理医として会議に出席することの意義なのだ。どうだ!


どうだじゃないが、ここまで書くのになんと1時間20分かかっている。ふだんそんなにかからない、やはり集中できないのだろう。会議に出ながら文章を書くというのは効率が悪い。まったく迷惑である。会議がなければブログがもっとすばやく書けたのに。