新しくブログをはじめる。今度のは日記だ。それも仕事の内容を書く日記とする。ただちにインターネットの有識者たちが飛びかかってくる音が聞こえるだろう。フォンフォン。ヒュンヒュン。「医療者たるもの守秘義務がペチャクチャ!!」「医療者たるもの医療倫理がクチャクチャ!!」そういった部分を義務と倫理に照らし合わせて書いてもいいところをきちんと探って書こうと思っている。それでもフォンフォンヒュンヒュン飛んでくるだろう。撃ち落とそう。
自分が働いている間にだいたいどのようなことを思い浮かべているのかを記録してみたい。考えている内容、まで行くと、言葉のちからに引っ張られすぎ、わかりやすいストーリーにあてはめすぎてしまうような気がする。考えているとか思っているとか感じているとかから少し距離をとり、「浮かんだものごと」をそのつど写真に撮っていくような感じで書くとよいかと思う。写真で重要なのは幡野さんによれば「光」、そして「現像」だとのことだった。私が写真で切り取るような気持ちで日記を書いたとしても結局のところ文章に現像的加工を加えてしまうのだろう。そこが稚拙だと見ていられない日記になるかもしれない。加工の塩梅はよくよく考えておくべきだろう。
医療にかんする日記を書くうえで大切なのは「特定」を防ぐことだ。フォンフォン。ヒュンヒュン。「あっこれは私のことが書いてあるな」と患者に思わせてしまっては、それが仮にかんちがいだったとしてもよくないことが起こる。フォンフォン。ヒュンヒュン。日付はわからないようにしないといけないし、診断の行われた場所・地域、年齢・性別、疾患名や治療方針なども一切書かないほうがいい。それでなおプラクティカルな日記を書くにはどうしたらいいか。それはつまり「所見を書くが診断を書かない」ということになるのかもしれない。定義したり命名したりする過程でアイデンティファイされるものをマスクする。分類や区分け、落とし込みの前段階で専門家の目だけが収集できる「所見」であれば、記録してもあまり問題はないのではないかと思う……が、先日からこっそり書き溜めはじめているものを読み返すと、所見だけ書いてもわかるときはわかってしまう。
まあ、こうと決めずに柔軟にやっていくしかないだろう。ていうか患者のことを書かず自分のことだけを書くというのを徹底するしかないんだよな。実在する患者をモチーフにして事実を書けば、読む人が読めば特定は容易だろう。そうではなく、実在する患者や仕事を前にして具体的に動いた自分の話を、自分のことだけきちんと取り出して書く。「徹底する」ことが大事だろう。
そんなに気配りしてまで医療系日記なんか書くもんじゃないよ、とか、余計なことするとまたどこぞを刺激して怒る人が出てくるのでは、みたいなことも考えなくはなかった。でもまあ、書けるうちは書いておこう。読んでおもしろがるようなものではない。しかし日記を間に置いて語ることはできる。たとえば私は日記を過去の私との間に置くことで昔の私と会話することができる。それが大事なのだと思う。私はとにかく会話が足りない。
OGP画像をどうするか。やめる。カテゴリをどうするか。どうでもいい。ハッシュタグをどうするか。使わない。著者プロフィールは。いらない。コメント欄は。閉じる。それでどうやって会話しろってんだ。フォンフォンヒュンヒュン。ギャースカピーチク。うるせぇな叩き落とすぞケロがポチャ。