ダラダラし隊

今年も夏休みをとらないまま秋を迎えたが正月は休もうと思う。テレビでも見てダラダラ過ごしたいけれど、ここんところテレビを見てダラダラし続けることがむずかしくなった。理由のひとつはテレビ番組のスタイルの変化だ。もっとダラダラ過ごせるようなテレビ番組があったらいいのだが、ネットサービスに客をとられるのが悔しいのだろうか、TikTokみたいにころころ展開が変わって落ち着かない番組が増えていて、たぶんそれでも視聴率的には苦戦しているのだろうと見えて、短いスパンでどんどん番組が終わっていくのでなかなかこれぞといった番組を安定的に見続けることができない。「居間」として長らく君臨してくれるようなタイプの番組があったらいいのだが。有吉とマツコがずっとぐだぐだしゃべってるあれを36時間くらい放送してくれていいんだけどな。水曜どうでしょうのアーカイブをぜんぶ見るくらいでいいのかもしれないな。とはいえダラダラ作った番組はそれはそれで微妙なんだよな。なぜかテレビの世界では50年くらい手を変え品を変え保持されているジャンルとして、「芸能人が自分の歌じゃない歌を歌う」という、カラオケボックスの大部屋を配信してるだけみたいな番組があるけれど、ああいうのは苦手でいつもチャンネルを変えてしまう。陽キャを避けて家にいるのになぜ家で陽キャのパーティを見させられなければならないのか。これ、昔は賛同をあまり得られなかったけれど、今ならかなりの人が「ヒッパレとか最悪だったよな」という私の意見にある程度同調してくれるのではないかと思う。まあ、でも、「えっあれ好きだったよ」という人を個別に殴ろうとまでは思わない。個人の嗜好性の話だ。

いっそのことスポーツずっと流してくれたらいいのに。高価な配信機材で映像と音声のクオリティを保ちながらリアルタイムで全国どこでも同じものを特に追加課金なしに楽しめるというのが現在テレビに残された最強のメリットであろう。たくさんのスポーツ、たくさんのリアルタイムコンテンツを正月には享受したいのだがさて今年はどうなることやら。野球やサッカーやラグビーや駅伝じゃなくてもいい、きちんと解説がついたスポーツならなんでもいい。百人一首だって解説さえあれば楽しめる。そういうのはケーブルテレビや有料Chで見ろという人がいるけれど、今こそ、「ライブ中継」こそ、民放の少なくとも1,2局がずっと流しているべきなのではないかとずっと思っている。なぜどこの局も横並びで「やすこの実況」ばかりするのか。やすこは好きなのでどこかのチャンネルに出演しているとつい見てしまうけれど、朝から晩まであらゆる局がやすこやすこっていうのも芸事をマネジメントできる人が激減したんだなってことを如実に感じさせて切ないものがある。

そしてテレビのハッシュタグ信仰っぷりがいやになる。番組をつくって配信する側が視聴者の「いまどうしてる?」をやけに気にするようになって、結構な量のエンタメが小粒になった気がする。そんなのはいいから「プロはたった今こうして戦っている」というのを一方通行で流してほしい。コンテンツ提供側がいちいち双方向コミュニケーションなんて気にしないでほしい。テレビはカニ鍋や宅配ピザやホールケーキと対等な立場であってほしい。プロの技術で今この瞬間に五感をびんびんに震わせてくれればそれでいい。そのとき受け取る側とやりとりなんかしなくていい、一方的に消費されてほしい、一方的に満足させてほしい、そして、最終的には受け取るこちら側が楽しくなりすぎてコンテンツほっぽらかしてこちら側同士でやりとりして楽しい時間を過ごして、そのとき鍋はつつかれなくなってほしいし余ったピザはしんなりと冷めてほしいしケーキを切り分けたあとのホールの台だけがむなしく残っていてほしいしテレビはいつの間にか次の番組に移っていてほしい。ただひたすら一方通行にソリッドでエンスージアスティックなコンテンツを「おっほえ」「おっほえ」と投げ込んでくる毒島大広(ストッパー毒島)みたいなディレクターはどこに行ってしまったのか。

YouTube? ファンとして楽しめるコンテンツは膨大にあるけど、「特定のなにかのファンではないけどこの番組は楽しい」というYouTube番組があるんですか? ないでしょう? 推しブームなのはいい。それはすばらしいことだ。しかし私は、正月くらいは、推し事からも自由になってダラダラしたいのだ。大好きなVtuberとか舞台芸術とかアーティストを片っ端から能動的に摂取しに行くのに毎日めちゃくちゃエネルギーを使っているから、正月くらい、だらけた消費をしたいのだ。そんなこともわからずにハートをつけろとかいいねを押せとかお前らほんと発信者としての覚悟と欲望と偏執と情熱と褶曲と泥濘と怨恨と韜晦が足りてねぇんだよ。