大容量ファイルのセンダーがブラウザの裏でがんばって1.5 GB程度のデータを私のPCに送り込み続けている。NanoZoomerで取り込まれたファイルはプレパラート1枚につき180 MB~400 MBくらいの容量があり、まあこれでも内視鏡切除検体だから手術検体に比べれば組織面積は少ないのだが、研究会用にホイホイPCに取り込み続けているとあっというまに容量がいっぱいになってしまう。したがってTBレベルの外付けSSDを用意してそちらにデータを入れていくのだけれど、いつも思うことなのだが、今日たまたま私の職場にゾウがやってきて、試薬棚やパラフィンブロックをなぎ倒しながら私のデスクに向かってのしのし練り歩き、鼻先で技師を横殴りにし、牙で同僚病理医を天井に串刺しにして、前足で私を踏み潰すまさにその瞬間に私はこのSSDをとっさにはずして金庫かなにかの中にしまえるだろうか。それはやはり無理だろうと思う。となれば人様からおあずかりした大事な組織標本データを私は破損する可能性があるということである。もちろん、ゾウが来る確率は低いだろう。しかし隕石が落ちるという低い確率とも足し合わせる必要があるし、ソーラ・レイが降り注ぐ低い確率や、札幌市中央区北3条東8丁目を中心とした新規の火山ができる低い確率や、トンネル効果によりブラックホールが生成する低い確率など、無限に存在する低い不幸を足し合わせることでその確率は限りなく1に近づいていくのであり、私はこのSSDをいつか必ず破損することになる。そう考えると涙が止まらない。医学的知識として眼球には常に涙が流れていて潤滑を行っているので私達は誰もが四六時中涙が止まらない。
形あるものはいつか壊れる一方、形なきデータはいつまでも壊れないかというとそんなことはなくて、秩序ある清潔はいつか汚れるというエントロピーの話が適用される。クラウドに保存されたデータであっても無限に安定しているわけではなく、ひょんなことから汚染を受け、あるいはUIが変化することで突然使用できなくなることもあるし、あるいはデータ自体は無事であってもストレージ内部に他の似たようなデータがあふれることで検索が難しくなって結果的に利用困難になったりもする。たまたま共時であるところの関係者たちとごく限局的に頑強なデータをやりとりしてもそれはすべて嘘・偽り・幻・気の所為であり、「いつでもここに戻ってこられるように大事に保存しておこう」と宣言したものを私はこれまでいくつもなくしてきた。今となってはだいぶ恥ずかしい思い出だがかつて私はニフティのサーバにホームページを開設しており、毎日のように今のブログのようなノリで何事かをずっと書き綴っていた。その後、家のネット回線をJcomにしたのをきっかけにサーバもJcomに移動させてしばらくやっていたのだが、あるとき、引っ越しでサーバを乗り換えるときにホームページの移行作業を忘れていてすべてのデータが消えた。正確には過去に使っていたPCのどれかにホームページのデータは保存されているはずなのだが、もはやそのPCがどこにあるのか、そもそもちゃんと起動するのかなど一切確認しておらず、なんとなくする気もないので、あのデータはもう夢のあとだ。Webarchiveでも拾えない。Twitterのアカウントを移り変わるうちにツイートのログをまとめていたブログなどもすべて消してしまったから、あの頃の私の書いたものはもうどこにも存在しない。
ただ仮に、なんらかのかたちで物持ちよく当時の文章たちが手に入ったとしても、読むほうの私がこれだけ変貌してしまっていれば、もうあの頃と同じような気持ちでその文章が私の中に入ってくることはない。あの頃書いたものは同時にあの頃の私が読むものであり、書き手であると同時に読み手の私が強く願ってあるべきところにある形で収まっていることでトータルとしての「文体」が成立していた。それはつまり、紙でもなくウェブでもない未来の最高の保存媒体が存在したとしても、「かつて書いたもの」だけは決して十全に保存できることはないということを意味する。データが完璧に残っても私が変わってしまえば結局その文章は別物に成り果てるのだ。
国立がんセンター中央病院にいたとき、私は、後進のレジデントたちが勉強になるようにと、「がんセンター病理研修の手引」のようなものを作って残した。
当時の私に今の私が強く感情移入できるかというとそれも難しい。17年の隔たりの向こうにいる若く目つきの悪い私を今の私は少しおびえて眺めている。あそこからつながって今の私がいることは間違いないが、過去から今がひとつながりであるということは、過去の私と今の私が同一であることを意味しない。蝶や蝉はみずからの脱ぎ捨てたサナギの殻になんの興味も持たない。それと似ている。今の私があの頃の私を慮ることはできない。おそらく当時の私が今の私を見ても遠巻きにするだろう。
ただ、ふしぎなことだが、かつて私に言葉をかけた人々のことは、ずたずたに壊れつつある記憶の中でもわりとしっかり残っている。それは親であり教師であり指導医であり、学校帰りにたまたま同じ方向に歩いていた名前も思い出せない同級生であったりする。あのころの自分自身はもはやエントロピーの疾風怒濤の中で切り刻まれて何もわからなくなっているのに、あの頃の私が全身に浴びていた入力刺激の向こうに立っていた人々のことはいくつも改変されながらもその印象をずっと今に残している。ふしぎなものだ。
かたつむり以外のほとんどの生き物はみずからの眼球でみずからを見ることができない。それはおそらく理由あってそうなっているのである。私たちは自分をあんまり見ないように作られている。私たちの記憶がどこで頑強になるように作られているかというと、それはおそらく「非自己」を認識する上で最もリジッドになるようにできていて、限りある脳のリソースの大部分を他者の顔への認識に当てられるようになっていて、自分のことはだんだんわからなくなるように構造されているのではないかと思う。
あるいは私は、かつての自分を覚えているために、かつての自分のことをあたかも「他人」のように感じているのかもしれない。他人のことならばぎりぎり覚えていられるからだ。それがどれだけ改変を繰り返されたとしても覚えていないよりは覚えているほうがマシだと本能のどこかが叫んでいるから、私はかつての私を他人事のようにおびえて遠巻きにしか見ていられないのだろう。それは私が私であるということを支持する唯一のエビデンスのように思えた。