ブラックヒストリア

野菜とお肉をことこと煮込んだあと、最後にカレールーを入れるときに、「おっくれってルー」と鍋を煽る。最近の流行りだという。TikTokでバズるという。

このような二行を書き残し、たいせつにウェブに放流し、十年後に読み返すことで、十年先の私の土踏まずはもやもやとし、側頭動脈は痙攣し、S状結腸は過剰に蠕動するだろう。「な、な、当時の俺はこんなものを、すかした顔で書いていたのか……がくっ……」このがくっのくだりで昭和を感じてさらに悶絶することだろう。

黒歴史の刻印は時間のかかる鍼治療みたいなものだ。

私は未来の私をより健康でいさせるために、ポケットサイズの痛い言動をあちこちに散りばめて、すっかり忘れたころに私の脳のツボを痛痒いくらいの強さでチクッと突こうとしている。未来の私への手紙は径0.1 mm程度の鍼のかたちをしている。

まあ十年後には自分にまつわるあらゆることに興味を失っている可能性もなくはない。でも、私は、偉人や仙人と違って生きるごとに人間力が研ぎ澄まされていくタイプではないので、きっと十年後は十年後なりになにか痛いことをしているだろうし自分に対してもまだ興味を抱えているだろう。なにがTwitterだよとか言いつつも未来のSNSにいつものアイコンをはめこんで同じようなことを違うやりかたでやっているだろう。

あ、抄録の締切が明日だ。ちょっと書いてくる。




1000字の抄録をふたつ書いた。たった2000字だ。しかしこれらを書くのにそれぞれ10万字くらいの思考をやりとりしたのでどっと疲れた。ブログを書き始めたのは早朝だったのだがもうお昼を過ぎている。この間べつの仕事をしながらずっと抄録のことを考えていた。研修医に消化器腫瘍における血流の変化を説明しているときも、電話の問い合わせにこたえて過去の病理診断を引っ張り出してきて注釈を加えていたときも、骨髄生検の結果を書くにあたり骨髄塗抹標本の所見をたずねに臨床検査技師に聞きに行ったときも、いつも頭の中では抄録を書いては消し書いては消しとやっていて、10万字×2の心がうごめいて、ウゴウゴルーガであった。逆から読んだらゴーゴーガールなんだなということを番組終了直前に教えられたことを今でも思い出す。

抄録はいずれも一般的な学会のそれの作法をあまり守っていないものになった。背景、目的と方法、結果、考察の順番になっていない。こういうのはほめられたものではないのだが、そもそも私はおそらく飛び道具的に指名されているので、ここはやはり飛び道具的な抄録を書いたほうがいいだろうと思った。しっかりと寄り道を押し広げて七枝刀のような構造の抄録を




ここまで書いてから何時間も経ちすっかり日も暮れた。抄録を書いていたころが懐かしい。診断も書き、大学の勉強会用のプレゼンを作り、ウェブレクチャーをメモし、研修医の学会発表スライドをチェックし、明日の研究会と明後日の地方会の準備などもして、スタッフの病理診断のチェックをしているうちに、朝から書いていたこのブログは私にとってすっかり過去になってしまった。読み返すとけっこう痛々しい。土踏まずがむずむずする。こめかみが律動している。すごい空気圧の屁が出そうになる。