芥見先生おつかれさまでした

読み続けた呪術が終わってこのダメージなら、20年以上読んでるワンピが終わったらどういう気持ちになるのか今から心配である。たくさんの読み巧者たちによって、自分ひとりでは気付けなかったであろう作品の深い「張り巡らしっぷり」が、完結から数日もしないうちに大量に流れ込んできて、それはとてもありがたいことなのだが、逆にここまでわからせられてしまうと後日読み返して「なるほどそういうことだったのか」と再読のひらめきを味わう楽しみは少し減ってしまうかもしれないなと、そんなことばかり気にしている。

マンガの根っこにあるのは「領域展開、ってかっこいいよな」みたいに魂に直接ひびくイマジネーションの部分である。Twitterが存在しない世界線であったなら私はドラゴンボールのように呪術を読んだだろう。しかしよく考えるとTwitterがなかったころにも我々はゆで理論や車田ワールドに対してなんらかのネットワークを用いてツッコミを入れ続けていたわけで、媒体があろうがなかろうがやることは変わらなかったのかもしれない。

一度二度読んだだけではストーリーも設定も理解しきれないくらい複雑で輻輳したマンガであった呪術廻戦を、それでも黒閃とか虚式「茈」とかのかっこよさに引っ張られて楽しく読み切ることができた私は、わくわくとした勢いで何度も物語を追っていくうちに四方八方からじわじわと世界を吸収して、「なんかわかるようになってきてしまった」。そういうマンガがあったというのは私にとってすばらしい時間だったと思う。デリダの生きていたころにMANGAがあったら彼はテキスト読解を途中で放りだして呪術の読解をやっていたかもしれない。ディファランスがどうとかいわずに宿儺戦の勝ち筋の考察をしていたに違いないのだ。



昼間からゆらゆらめまいがしてどうにも疲れが取れず、もしやこれは発熱やせきこそないけれどコロナなのではないか、病的倦怠感なのではないかと気になった。頭のなかにはもやもやとノイズがうごめいておりこれもいわゆるブレインフォグなのかもしれなかった。イッテQが終わるか終わらないかのタイミングでいよいよ覚醒を保てなくなり21時には寝てしまった。4時半にかけた目覚ましをとめ、5時半にセーフティガードとしてかけた目覚ましもとめ、6時になってようやく目が覚めた。9時間寝たことになる。鏡を見てびっくりした。20年くらいとれなかった目の下のクマが小さくなっている。そうだったのか。私はつまりこの目の下のクマはそういう意匠(?)だと思っていたのだけれど、単純に慢性的に寝不足だったのか。昨日の倦怠感はほぼなくなり、頭の中もそれなりにクリアになって、デフォルトの暮らし方が消耗戦だったということが明らかになった。となるとこれまでの仕事のパフォーマンスも8割くらいでやりくりしてきたということになるだろうか? 残念ながら話はそう単純ではない。脳というのは筋力と違って、コンディションが抜群のときに100%の出力をできるとは限らず、疲労や諦念によってネットワークの刈り込みを行った結果むしろ平時より骨太のアウトプットができることもある。疲れていればいい仕事ができないというのは必ずしも正しくない。だから今日のコンディションがこれだけよいからといって今日の仕事が全部過去最高のクオリティになるかというとそんなことはないのだ。しかし、ひとつだけいいことがあった。私は今日、呪術廻戦の最終回の最後のコマを見たとき、なんか、よく見えるなあ、と思った。私は世界を摂取する五感が一番クリアな日に呪術の最終回を読むことができた。アウトプットは疲労の度合いと必ずしも相関しないが、インプットは純粋に体力と気力に影響を受ける。私は今日、最もパフォーマンスの高い状態で呪術を読み終えることができ、その分もうれつにさみしくなってしまったのだ。