呼びかけるよ私にホイ

子どものころ、ゲームやアニメに疲れて目がしょぼしょぼしたと母親に言うと、「遠くの山を見なさい」という言葉が返ってきたものだった。だだっ広い札幌市の西南側には札幌岳、盤渓山、こぶりなところでは藻岩山などがあり、窓際に駆け寄っていってそっちのほうを見やると新緑の季節にはロープウェイがかたつむりの歩速でじわじわと斜面を上っていく。それをのんびり目で追っているうちにいつしかフリーズしたピントが元に戻っていた。

今は仕事場の窓から外を見ても山は見えない。窓の向いている北や東に山がないのでしょうがない。私はつかれた目を癒す方角を与えられずに17年このデスクで働いた。最近どうにも目がしょぼつくのは長いこと山を見ていないからだろう。

あれが山だ。小さい頃に実家の窓や、家の前の小道から仰ぎ見たあれが山である。あれ以外の多くは山ではなく、「他人が山と言っていたもの」。出所の問題。「誰かが山と呼んだのをあとから聞いたもの」と、「私が山といって思い浮かべるもの」は似ているが同じではない。




さほど山登りの経験がない私にとって、これまで見てきた山の多くが車窓の風景だ。空港から、東北や中部や九州の高速に乗って仕事先に向かったことが何度かあり、運転手とひととおりの時候の挨拶が済んで黙ったあとに後部座席や助手席の窓から眺める広葉樹林の風景が、私にとっての山である。それらは幼少期に実家から見た山の延長にあり、そのバリエーションだと思って見ている。そこにロープウェイがなくても電線にニンジャを走らせるように山際にデイダラボッチを歩かせる。仕事前の移動の折に眺める「私にとっての山」は、まだつかれていない私の目をずいぶんと癒したものだった。藻岩山の針葉樹とは違う色味に私は異国を感じつつも、これもまた山だという確信に近い思いがあった。山は遠くから眺めるもの。自らが踏みしめてどうこうするものという感覚は私の中にはない。拡大をせず俯瞰で眺めるもの。アーキテクチャを不問としテクスチャを感じるもの。

海は違う。海は眺めるものではなく入るものだ。泳ぐものではなくすねまで浸らせながら歩くものだ。母の暮らした田舎の海、潮見の浜は岩場だらけで砂のない海で、子どもの頃、夏、私と弟は坂をゆっくり降りた先にある岩の入り江でヤドカリを追いかけたり、漁師の息子たちが食べ捨てたウニの殻を拾って遠くに投げたり、図鑑で読んだアメフラシがここにはいないと言って探したり、絵本で読んだシオマネキもここにはいないといって小さなカニを追いかけたりした。浮き輪はあったが海は冷たく、私たちはたいてい岩の上で軽く震えながら入り江の静かすぎる波しぶきに髪の毛をキシキシさせていた。互いに紫になった唇を見て笑ったあとに坂を登って母の実家に帰るとそこには祖父母を含めた親族一同が揃っていて、子ども心にさほどうまいとは思えなかったイカやツブなどが座卓に所狭しと並んでいるのであった。



登山家やトレイルランナーたちが写った山の写真を見て美しいなと思うが山だとは思わない。
夕日の沈む海の光景を写した写真を見てきれいだなと思うが海だとは思わない。
私にとっての山はいつまでも遠くにあるもの、私にとっての海はいつまでも足をひたすもの。それ以上の感覚や情緒はあとから、他人の感動と共に私の頭に流れ込んできたもの。もちろんそれらによって私は体験を拡張して人生を芳醇にしていることはまちがいない。しかし私にとっての山や海が入れ替わることはこれまでにはなく、であればおそらく、今後もないだろう。人間はみずからが直接知覚できないものを共有体験できるだけの言葉とツールと脳を持っている。そんなことは百も承知であえて言うが、他者の経験はみずからの体験とは収まる脳の引き出しが違うようにも思う。

私にとっての喜びとか安らぎとかいったものも、人生のごく初期にみずから体験した距離感とか肌感覚によってかなり規定されているのではないかと思う。

ただ、それは「子どもの頃にいい体験をしたかどうか」みたいに語るべき話ではない。小さい頃にお金がたくさんある家に育てば毎年ディズニーランドに行けたね、みたいな話をしたいわけではないのだ。そもそも金を積んで得られる体験というのは多かれ少なかれ他者の認めた価値が付随しているだろう(だから値段が付けられるのだ)。それは他者の体験とみずからの体験とのハイブリッドみたいなものになっているだろう。私はそういったものが自分との距離感や肌感覚を「うまいこといじってくる」ことには敬意を評しているが、こと、自分をふりかえってみたときに、幼いころの山や海のような、誰も価値を付けないようなものであるはずなのに私にだけは確実になにごとかを刻印しているものとはやはり別なように思う。

本を読み、映画を見て、人と話をし、想像をふくらませ、インターネットを手に入れ、SNSで無数の人からもらった他人の体験によって、私は私の輪郭を大きく広げ体積を増し、それを手でこねて器のようなものを作って、世のたくさんのものを掬っているつもりになっている。しかし、誰からも提示されず誰にも提起することなしに、肌で受け止めて心に飲み込んだプリミティブな幼少期の体験の数々が、私の脳の中ではかなり大きな梁として屹立しており、これはそう簡単には消えてなくならないだろうなと感じるし、あとから拡張した私の輪郭など結局は年単位でほほをふくらませたり縮ませたりしている丘に上がったフグのようなものであって、骨の部分は今後もそう変わらないのだろうなという、あきらめに似た楽しい苦笑のような気分を今は感じている。