今使っておるのがその10倍界王拳なのだ

Scheuerという病理医がいて、肝臓の専門家でとても有名だったらしく、今も原発性胆汁性胆管炎の分類などに彼の名前が残されている。読み方を正確には知らないのだが、先輩からは「ショイエル」と呼ぶのだと教わった。なので私は肝臓の生検をみるたびに思い教科書を背負って歩きながら「これくらいなら……しょい得る!」と気を吐く老病理医の姿を思い浮かべるのである。人生は重い荷を背負って歩く山道が如し。しょい得る! 元気が湧いてくるフレーズだ。


ところで元気が湧いてくるというのは必ずしも喜ぶべきことではなくて、これは本当に個人の感覚としてふわっと感じているだけなのでわかってくれる人は少ないかもしれないけれど、元気というのは表面に湧き出すとまわりに影響を与えながら何かを動かすことができる大切なエネルギーである一方、外に出せば出すほどじゃんじゃん減っていって中身が枯渇していく、いわばシャンプーとかボディソープみたいな物性のもので、「うおおお元気が湧いてきたぜ」と言って手にとってワシャワシャ泡立てて顔とか頭とかをワシャワシャやっているうちに中身がすっからかんになることに注意しなければならない。元気は無尽蔵に湧いてこさせてはむしろいけないものだという認識をもつ。常に詰め替えのストックを2個くらい洗面台の下のスペースに常備しておく。それくらいの気構えを持って扱うもの、それが「元気」なのだ。だから「元気が湧いてくるフレーズ」なんてのはむしろ害悪なのである。

「元気が出る曲100選」みたいなプレイリストを作る自称DJはなにもわかっていない。「元気を買い置きする曲100選」がまず必要であるし、理想を言えば、「元気がなくても勝手にものごとがうまくいく曲100選」とか、「元気がなくても自力がありすぎるので仕事が進んでしまう曲100選」のほうがはるかに実効性が高い。出して使うのはちびちび。ドバッと出してはもったいない。イオナズンにしろギガデインにしろ、近くに回復スポットがあるとか、もうこいつがラスボスだとわかっているとか、いのりのゆびわを10個くらい持っているといった環境だからこそ連発できるのであって、まだどれくらい冒険が続くかわからない道中の雑魚相手にメラゾーマやベギラゴンを連発していてはいつMPが尽きるかとハラハラして探索が落ち着かない。それと似ている。元気を気軽に湧かせてはいけない。

はっきり言ってしまうが「元気が湧くようなもの」というのは迷惑だ。ショイエルのダジャレなんか一番よくない。こんなもので気軽に元気を出すなんて愚の骨頂である。そもそも出ないが、出ないなら出ないでそれはそれで失望するからよくない。ショイエルのダジャレは害悪である。

私は元気を小出しにして日々を乗り切っていきたい。結果的にMPが半分以上余った状態で宿屋にたどりつき、別に回復しなくてもまだ冒険できるんだけど念の為といって一晩泊まる、いのりのゆびわを結局余したままゾーマまで倒してしまうような勇者でありたい。それはいわゆる「エリクサーもったいないから使わない問題」とはちょっとニュアンスが違う。「自分が十分に強くなるまで冒険を先に進めないので、防御力もHP上限も推奨レベルよりはるかに高い状態で冒険を先に進めるため、結果として効果の高い回復アイテムが要らなくなる」というのが理想だ。「元気が湧いてくるような◯◯」なんてのは必要ない。ブーメランをひとなげするだけで雑魚敵全員に一撃死ダメージを与えるほど強くなっておけば、MPなんかゼロでも冒険に支障はないし、そういうときでもたまにかつて訪れた街をルーラで連続でおとずれて、さらに昼と夜で住民のセリフが変わるのならばラナルータもばしばし使って、追加セリフが更新されていないかどうかを定期的に確認するために膨大なMPを使うがそれでもまだぜんぜん残MPには余裕がある、みたいな暮らしをしたい。元気を湧かせるな。私の元気を引き出そうとするな。伝説のマンガ「ドラゴンボール」で最低につまらなかった話のタイトル「思いがけないスーパーパワーアップ」の界王神みたいなことをするな。油断も隙もありゃしないな、Scheuerの野郎は……。