明日もオンライン

少し前の話になる。とあるアーティストのコンサートが配信されていてそれを見ていた。いいクオリティのライブで十分に満喫し、終わったあとはしばらくスマホを開いて、ほかのファンたちがどんな感想をポストしているのかを眺めながら酒を飲んだ。

ライブ終了後、かなり早い時間にひとりの人がつぶやいた内容の中に、おっ、と気になるようなフレーズがあった。なるほど、今のライブは確かにその視点でみるとおもしろいなあと納得できるような内容だ。ほかにも感想は10件くらいあったのだけれど、その1名の言葉だけが浮き上がって見えた。なんというか、際立っていた。私はその言葉がライブ終了後に自分の口から出たらさぞかしかっこよかっただろうなと妄想をした。

それから20~30分くらい、私は別にマンガを読んだりしながらXをちらちら見て、少しずつ増えていく感想を追いかけていた。すると、人々の感想が少しずつ変化しはじめた。

たくさんの感想が投稿されているのだけれど、内容が多様になるどころか、少しずつ似通ってきている。かなりたくさんの人が、「私がさっき気に留めたフレーズ」と似たりよったりのことを書くようになっていた。

みんな同じような感想を持ったんだな、とは思わなかった。

だって、最初の15分くらいの感想はもっとバラバラだったからだ。

今、感想を書いている人たちは、私と同じように、「ライブ終了後にあの人の感想を目にして、私と同様にゆさぶられた人たち」なのではないかと思った。

あの人の言葉をリポストするのではなく、自分のタイムラインに自分のポストとして表示させた人たちなのかなと思った。

なんか、いやらしい発想なのだけれど、そう思った。

思えばパリオリンピックも野球のクライマックスシリーズも、大河ドラマも選挙も、たまに、「SNSで見た言葉をそうとわからない程度にパクってうまいこと自分でいったふうにしている」人がいたなと思う。

でも今回のライブ後の感想をリアルタイムで更新しているとき、あれ、この、微妙なパクリムーブって、もしかして思った以上にずーっとたくさん、日常的にやられていることなのかな、という気持ちがわいてきた。


気持ちがわからないわけではない。

私も、自分がたった今見たライブを、自分以上に味わっている人の言葉を借りることで「より強い感動」にできるとわかっているから、ライブ終わりにほかの人の感想を検索している。

誰かの言葉を借りて自分の心を知るというのは当然のことだ。

でもそれをあたかも自分の感想かのように発信しはじめたら、それはなんかちょっと踏み越えちゃってる気もする。


「誰が最初にいいことを言ったか」の採点やチェックが辛い領域だと、こういうムーブはむしろ少なくなるかもしれない。パクリ疑惑はそうとう早い段階で見つかって糾弾につながる。

でも邦楽ロックなんていう、Xのトレンドに乗るほどの爆発力をもたないごく普通の優良コンテンツだと、「しれっと人の言葉でいい感想を言う人」はいるんだろうな、それもたくさんいるんだろうな、ということを、この日の私はなんだかすごくさみしく感じた。

ああ、スマホ置いてライブハウスに行きたいな。

でもいまどきライブなんてスマホでチケット表示させるのがあたりまえなんだろうな。

オンライン、オンライン、あーあ。オンラインかあ。

つまんねぇなあ。