針のむしろ優しいとさえ言える尖り方

リツイートってうねってたけどリポストってちょっとこぢんまりしてる感ない? ない? あっそう。ないの。へっ。おもしれー女。これくらいの軽口でハラスメント認定される世の中である。ともあれ言葉というのは硬さとか弾力とかカドのとんがり具合みたいなものを内包しているから、リツイートがリポストになったときにスンってなった人はたぶん多いだろう。この感覚には多くの人々が散瞳してくれると思う。ブブー、誤字じゃないでーす、残念でしたァー。賛同じゃなくて散瞳でいいんですー(瞳孔がひらく)。

これくらいの文字数をだいたい20秒くらいで打ち込んでいる。ただしだいたい今のブロックくらいの量を書くとすぐに別の作業を一旦いれてしまう。気が散っている。5分くらい別のことをやって帰って来る感じだ。したがって、それなりの長さの文章を書こうと思うと15分や20分では書きあがらない。寄り道の時間を入れると倍以上かかる。むかしはブログの記事を書くのに30分もかけなかったんだけど、今はブラウザを開きっぱなしにして半日くらいかけてちょっとずつ書いてアップロードするという日が増えた。そうするとたまによいことがある。3時間くらい前に自分が書いた5行を、半分くらい忘れた状態で目にして、こいつ何書いてんだwとばかりに、過去の自分と他人行儀な関係になることで、ぜんぜん違うところから言葉の接穂が見えてきたりして、自分でいうのもなんだかひょうきんですっとんきょうな文章が作りやすい。そういうやり方ばかりしていると、徹頭徹尾ひとつのことを言うストイックな文章は書けなくなるし、文章の構成をきちんと整えることも難しくなるわけだが、まあ、そういうのはプロが金をとってやればいいことであって、素人がウェブに書き殴りするものが、刹那の享楽のつみかさねであって悪いことは何もない。いいこともないが。

-----終了-----

-----再開-----

つまりはこういうことだ。今のふたつの間のところで私はソイラテを飲んだりトイレに行ったり診断をしたり問い合わせに答えたりしてけっこうな量のin-outを終わらせて、さっきまでの私とかなり体内の組成が変わってしまった状態になって、で、さっき書いた文章を見てちょっと笑ってけっこう眉をひそめている。やはり私の、私たちの、いや私の、古典的2ちゃんねる的オタクの気心は、ぶつ切りの無慈悲な断裂によって特徴づけられるもろい連環だ。五島列島の島どうしの関係だ。いつでもどことでも個がつながることができるというシステムの理想のもとに、どことも誰とも必要以上には仲良くなれなくなってしまった悲しい一族だ。終了と再開を繰り返すような表現は雑にやっているわけでもアイロニーを気取っているわけでもなくて本質であり、つい本質という言葉を使ってしまったけれどこれは遺伝子と環境が互いに俺のせいじゃないと押し付けあったお荷物のような厄介物なのである。とはいえ終了再開反復マインドは決してADHD器質みたいな雑な人格表現で一元的に説明できるものでもない。思考の器質と行動の器質って完全に合致するかというとそうでもない気もする。

けっこう前のことになるが、大和書房の編集者がかつて私の書いた文章をそこそこ直してくれたときはすごくうれしかった。「ここは冗長でいらないですね」とばっさりカットされた部分の前後が、後に読者に「あそこおもしろかったです」と言われたりして、ははあーなるほどプロだなーと感服したものだった。しかしそれを除くと、ここまで私が書いてきたものは、どれもこれも素材丸ごと無編集のものばかりで、どうも私は文芸的な調整を加えずにスピードと勢いでニーズに合わせて強く強く拳を突き出すCHAGE AND ASKA的な執筆しかさせてもらえないし、同人誌の原稿をいそいで届けました、みたいなことをずっと繰り返している感もあって、そういうのが向いているというかそういうニーズがあるうちはそれでいいんだろうなと、近頃なんぞはもうあきらめていたというか、これはこれでありがたいじゃないと納得して鎮静がかかっていたのだけれど。いたのだけれど。いたのだけれど! 最近、ひとりの編集者が、私の文章を徹底的にいじりましょうと言ってくれて、しかもそれは居酒屋でその場の勢いで言った言葉ではなくて、ちゃんとあとからフォローのメールも入って、そこでも同じことを言われたのである。ばんざーい! ひさびさに! わたしは! 書き殴りじゃないものを! 世に出せるぞ! たぶん! 出ないかも! しれないけどな! よぉーし! ブログはこれまで以上に書きなぐるぞ! この文章、ここまでに3日かかってます。むしろどうやって。