日米の選挙特番を同じようにエンタメ化して楽しんでいる人を見ている。ちょっとふしぎである。衆院選はまだ意味がわかる。あの人が当確になった、あの人は落ちたと、開票の手間や票の割れ具合によってそれぞれの候補者の合否が明らかになる時刻がずれていくのはわかる。全国津々浦々、すこしずつ時間をかけて当落を見ていくというのは、翌日にまとめてネットで結果を見るのに比べてずいぶんと情報量が多いし、まあ、なんかリアルタイムで見る人の気持ちはわかるのだ。私もたまに見ることがある。しかし米国大統領選挙というのはけっきょくのところ、Aが勝ったかBが勝ったか、それは投票の締め切り時刻に完全に決定しているはずの「シンプルな結論」であり、開票に何時間も時間をかけながらその都度どっちが優勢だとかやっていることにはぜんぜん意味を感じない。へんな話だがブロックチェーンの25世代くらいあとの技術によって投票がセキュリティ万全な状態で完全電子化されたら(そんな日はこない気もするが)、当落は投票終了後に即座に確定してデッドヒートもクソもなくなるだろうしそのほうがみんなシンプルでいいだろう。エンターテインメントに仕立て上げられているだけのもの。真のエンタメとは思えないし視聴率で金銭を得るメディア以外のどこになんの意味があるのかいまいちわからない。なぜ「今度は何州が勝ったぞ!」みたいなライブ感覚を維持したまま見ていられるのかわりと本気でふしぎなのである。
ああ……でも書いていて思ったけれど、もしかすると御当地ごとの色味とかをたのしんでいるのかもな。それはあるかもしれないな。日本でもこれだけ地域ごとに「お国柄の違い」みたいなものがあってケンミンショー的に楽しむことができるのだから、選挙のときにはアメリカ全土がシュウミンショーをやっていると考えれば、それは別にふしぎなことでもなんでもないのか。究極的なことをいえば、AとBのどちらが大統領になったとしてもかまわなくて、ただ、自分のいる州と周りの州とで意見が同じだとか違うとかいう話を、地方同士の差別感情というか区別感情を微妙にブレンドした状態で楽しんでいるのかもしれない。そういう意味でのデッドヒートか。そういうことなのだろうか。そういうことなのかもしれないな。ならわからなくもないか。
しかしまあわかるようにはなったけれど結局のところ私はアメリカの選挙特番を楽しいとは思わないし、そのリアルタイムの情報の動きが私に何か深い思索をもたらすこともないので興味がもてない。
そして、それと似た理由で、話は少しずれるのだけれど、「昼間にすでに試合は終わっているがメディアの都合により夜に試合が放送される系のスポーツ」もじつはあまり楽しめない。バレーボールとか、フジテレビあたりが昔よくそういうやりかたをしていた。オリンピックでは柔道や卓球などの人気スポーツも同じようなことになっている場合がある。あれがかなり無理だ。「録画で見るスポーツ」がすべてキライなわけではない。結果がわかっていても見直したい競技シーンの魅力がわからないわけではない。そうではなくて、すでに終わっている結果を「メディア側が意図的にマスク」して、あたかもリアルタイムバトルのように楽しんでくださいとこちらに強いてくるものがだめなのである。選挙特番にはそのノリを感じる。それって結局魅せ方になっちゃってんじゃん、というのがむりなのである。
ライブの最中にエンタメを紛れさせること全部がキライなわけではない。プロレスの例をあげるまでもなくエンタメにおける仕込みはわりと好きなほうだ。でも、なんというか、やりようによっては存在しないはずの虚構で楽しむには「アメリカ大統領選挙」や「昼にやったバレーボールを夜まで結果皆勤しないやつ」はみみっちいと思ってしまう。まあ楽しんでる人がいるならそれはnot for meってことでいいんだけどさ。