孤立性分布

当事者になってみないとわからないことがある。そして、当事者どうしの距離というものは年月を経ることに自然と離れていく。人間がだんだん大きくなってたくさんの領域を飲み込みながらまるで「火の鳥 未来編」の主人公のようにいつしか世界と一体化するのだったら、時間が経つごとに人間同士はどんどんわかりあえることだろうが、実際にはその逆で、年を取れば我々はみな先鋭化して自分の世界の外郭を求心性に肥厚させていく。せまやかに、せまやかに。こまやかにではなくせまやかに。そしてわたしたちはみな互いのことが想像できない専門家に育つ。わたしたちは自分がなんだか偉くなって高いところに上がったような気持ちになる。高いところとはつまり山でありわたしたちはいつのまにか登山をしている。足場が少なく誰かといっしょに立っていることが難しく空気が薄くて気温が低く天気が変わりやすくて植生がさみしい。わたしたちはこうして年を経るごとに登山家のようになっていく。



出張先でないと空を見ない。札幌の空を見上げた記憶がない。歩いていてここはどこだろうと不安になるときに、わたしは空を見上げ、ビルを見上げ、看板を探し、サインをうけとる。したがってわたしは長いこと札幌の空を見ていない。神保町でそんなことを考えた4時間後にわたしは新千歳空港に立っていた。快速エアポートと高速バスの乗り場をめがけてたくさんの人が脇目もふらずに突進していく。ゆっくり歩いている人はほぼ全員例外なくスマホを見ている。老若男女の多様性はなくみなわたしと同じくらいの年齢かもしくはわたしの半分くらいの年齢のように見えた。わたしはぐったりして快速エアポートにも高速バスにもタクシーにも向かわず、陸橋のほうへとぼとぼと歩いていき、動く歩道にゆられて閑散とした国際線乗り場の待合スペースで座り込む。どこにもいない時間というのを作りたかった。この瞬間にもGmailには次から次へと研究会や薬屋の主催するウェブセミナーの広告が入ってきている。だれにも会わない時間がよかった。エスカレーターを降りて建物から外に出る。空に空港の光が乱反射して星は見えない。マスクを外して小さく息を吸って吐くと旅で疲れたはぐきがしんと縮んだ。

今回の出張ではいつまでも引退しないベテランたちが言いたいことを言いたいだけしゃべっている様子がやけに目立って、わたしはだいぶうんざりしていた。しかしこの同じ脳がつい数日前にはいつも講演を頼んでいる有名講師にさらなる打診のメールを打たせている。結局のところ、ベテランを何度も何度も登板させる片棒をわたし自身が担いでいるのだった。わたしはわたしの当事者であるが、わたしの中でも相異なる「当事」が摩擦をくりひろげており、一方のわたしが言うことと他方のわたしが言うこととは矛盾していて調停は難しいようだった。

コートの前をあけて外の空気で体をひやしながら少し歩くと、周りに人がまったくいなくなった。空港の建物の中ではまだ多くの人があちこち目的を持って歩いているはずだったがわたしは無目的な時間をもう少しむさぼっていたくて意味もなくそのあたりをうろうろとした。しばらくゆくと派出所のような形をした小屋があり、そこで待機しているだれかに見咎められるのもつまらないと思ってきびすを返してこんどは国内線ロビーのほうへ向かってとぼとぼと歩いていった。空を見たが空は見えずただ銀幕手前のごみくずの浮遊する光の束のような温色めいた光景だけがずっと頭の上に覆いかぶさっていた。わたしはこのまま当事者として誰もわからないことをし誰のこともわからないまま過ごすのだろうという思いと矛盾するようにわたしは人の多いほう、多いほうへととぼとぼ歩いていた。