「まちがった医療情報は全部殴っていいんだろ」という態度の医療従事者はいる。SNS中毒になって日々「不適切な医療情報を殴る!」みたいなことをやっているごく一部の瞳孔の開いた自称医師アカウントのことを言っているのではなく、もうちょっと、そうだなあ、体感としてSNSをやり続けている医療従事者の、8割くらいは、ちょっとやりすぎなのではないかと今の私は思っている。みんなわりと正しすぎるのだ。
たとえばテレビで芸能人の病気に関する話が報道されたときに、すぐ「まちがった情報をつぶやかないでください」「まちがった情報にまどわされないでください」みたいに方向修正をこころみる医師がたくさんいる。とてもわかるのだが、個人の医療従事者がくちぐちに声をあげることで「まちがった医療情報が蔓延することを未然にふせいだ」みたいな顔をしているのは、私は、うーん、だめではないと思うのだけれど、今はもう過剰なのではないかと思う。
「まちがった医療情報を放置しておくと世の中のためにならないだろ!」みたいに、大声で理路整然と、胸を張る、その圧、管理的態度が満ちること、背景が重苦しくなってきていること、室温・湿度が不快になってきていること、もうすこし丁寧に感じたほうがいい。結果的に、SNS上の医療情報に「すごく微妙な硫黄臭」がまとわりついている。からだにいいのはわかるけど瞬間的にウッとなってしまう温泉のにおい。慣れればむしろ体にはいいのよ、いやでも、慣れればね、そりゃ温泉好きにはむしろご褒美なんだろうけど、でもさ、みんながみんな、そのにおいを喜ぶわけではないじゃんね、いや俺は好きだけどさ。
気持ちはわかる。でも言い方をもっと変えたほうがいい。ほんとうにそんなライトなやりかたでいいのかと疑問に思うべきだ。そうやってすぐに声を上げることはとってもライトだ。気軽で、正しい。意図はもっともだが思慮が足りてない。まちがっているものをまちがっていると条件反射的につぶやくのにはたいした労力を必要としない。「やさしい医療情報をつぶやきつづけるって大変ですよね」……いや、そこはべつに、大変ではない。ただその自分のつぶやきが「めぐりめぐって変な空気まで作ってたりしねぇかな」みたいなとこまで考えるとなるとそれは大変なことだ。その大変さを経由せずに、「まあまちがってるものはまちがってるって言っとけば社会に対する義務は果たせるだろ」って短絡してしまった結果がこの空気なのだ。そのライトさは傷をつけている。
このような懸念を昔からずっと述べているのだがあまり理解されない。「そんなこと言ってるとマジでだましに来てる奴らのやりたいほうだいになるぞ」とか言われる。
たしかに「金目的でまちがった医療情報を(まちがっていると認識しながら)発信するやつら」はやばい。そういう人間のクズみたいなやつらの心臓がなんらかの魔法みたいなものでコンガリコトコト焼かれることに私はなんの反対もない。できるだけ苦しんで死んでほしい。臨死体験を100回くらい繰り返してそこから回復して明日退院だといって喜んだ日の夜から七日間かけて少しずつ視界が暗くなっていき聴覚に本来存在しない金属音が届くようなタイプの毒に侵されてゆっくりじんわり死んでほしい。最期の二十時間で一本ずつ順番に手足の指が骨折していき睡眠が阻害されるとなおよい。そういう魔法があったらわりとすぐ唱える。しかしそういう魔法はない。
そして、念入りに書いておくが、今の私の数行、こういう「諸悪の根源を暴力的に排除することが気持ちいい」みたいな言動こそがだめだ。そういう殺・伐感を不特定多数の医療従事者が「よかれと思って」発信している現状は、トゲが多すぎる。
ちなみに論点がややずれるのだが、金もうけ勢だけが問題かというとそんなこともなくて、よく言われていることなのだけれど、「自尊心を高める目的でまちがった医療情報を伝達する人々」についても考える必要がある。たとえば、がん患者の家族が患者のためにせっせとハーブ茶の増産体勢に入る、みたいな話だ。これはなんというか、それこそ、本人は「よかれと思って」やっていて、余計に始末が悪いという悲しい構造なのだけれど、ここを金のときと同じように「悪」と断じてしまえるほど、私は人間として成熟できていない。
今の社会は「おせっかい」に対する猛烈な反発心がある。それはかつてのような「おせっかいが許されすぎていた時代」に対する逆行である。この逆向きのベクトルもおそらくは勢いが強すぎる。おせっかいをすべて悪者扱いしてしまうとそれまで機能していた相互扶助の仕組みが弱体化して、めぐりめぐって自己責任論がきつくなっていく。
「正しいおせっかい」であっても嫌われる。ましてや「まちがったおせっかい」というのは本当に三族皆殺しにされるのではないかというくらいの悪者にされる。でもそれもやっぱり過剰なのではないかと思う。
やばいやつというのは一握りで、ただその一握りというのが爆弾を持っている。ひとたび爆発すると無垢の民がたくさんまきぞえになるので放っておくわけにもいかない。でもその一握りを攻撃するために「まちがった医療情報が世の中にはあふれている」という書き出しでたくさんの人の心にささくれを作ってしまう文章をダラダラ書くやりかたはわりと筋が悪いのではないかということを近頃はよく考えている。近頃ではないか。ずっとだな。医療情報の発信をたくさんの医療従事者がそれぞれに工夫しながらがんばっているという気持ちはいい。でも気持ちだけでは人は救えないのだ。ドクターくれはも言っていただろう。優しいだけじゃ人は救えない。それは私たちが病院で専門技術を駆使するときと何もかわらない。医療情報をタイムラインに流すときだってまったくいっしょなはずなのに、なぜ、情報となるととたんに、「とりあえず悪そうなアカウントを叩いとけ」とか、「とりあえず世に流れてる情報がまちがってるときにまちがってるって言っとけ」みたいに、まるでアミウダケを口に押し付けるような物言いになってしまうのだ。