インドネシアを推す人々が書いた本「イし本」というのを買って読んだ。表現的なあやではなく本当に半分くらいの人が何を言っているかわからなくておもしろかった。インドネシアの地名、文化、飲食物の名前などが固有名詞としてこれまであまり見聞きしてこなかったリズムを持っていて、頭にスッと入ってこないのだ。FFXIIIの有名なネタというか事実に「パルスのファルシのルシがパージでコクーン」というのがあるが、「ビーマがナガと戦っているワヤン劇のデワルチのシーン」というくだりを読んだときにまさに同じ気分になった。醍醐味である。本を読む醍醐味。機内で一気に読み終わった。アンソロ同人誌的なつくりの本なのだけれどこういうのをちょくちょく買って読みたい。文学フリマにいくとこれ系の本がたくさんあって楽しいんだよな。
https://neconosbooks.stores.jp/items/6741c4089b0fd515845d6441
で、「イし本」は、見る人が見ればすぐわかるだろうけれど、ネコノスの「推し本」や「牛し本」からのインスパイア本である。インスパイアのインドネシアである。ただし作ったのは浅生鴨ではなくてワタナベナオコさんという人である。私はひそかに推し→牛→ときて次に医師か石がくるかと思っていたらインドネシアだったので、こういう脱線というか転調こそ「浅生鴨ギャグ」の十八番だなあと思っていたのだが、そうではなく、鴨さんの知己であるワタナベナオコさんが「イし本作っていいですか!」とネコノスにかけあって作った本というのが正解らしい(「イし本」内にそのように書いてあった)。
「推し本」や「牛し本」もおもしろい本なのだけれど、「イし本」とは根本的なコンセプトが違う。
まず、「推し本」というのは、私の推しを書くという統一テーマがあるのだけれど、推される物は人ごとにまったく違うので、本全体で扱っているものがバラバラで、著者60名がそれぞれ全く違うジャンルのものを推している。
一方、「牛し本」のほうは、統一テーマが牛なので、牛を推している人もいれば推していない人もいるし、牛との距離感というか密着感というか、切迫感というか現実感というか、そういったものが著者ごとにぜんぜん違うので、全体として「ああたしかに牛の本だな。」という雰囲気はあるのだけれど、おおらかな脱力の繭みたいなものがそのさらに周囲をうすぼんやりと覆っている。
そして「イし本」は、著者全員が濃厚にインドネシアとたずさわっていて、全員がインドネシアを大好きという、強烈に煮詰められた味の濃いスープといった佇まいで、仮に「牛し本」の著者全員が牛を大好きだったらそれはきっと「イし本」と似た雰囲気になっただろうけれどもちろんそうはならなかったわけで、しかし、牛よりはるかにニッチであるインドネシアを扱った「イし本」という単ジャンル推し本が存在しうるという運命のふしぎさを思うとなかなかしみじみとする。
「推し」と「牛」には私は寄稿した。しかし、「イ」には寄稿できていない。私はインドネシアを推せるだけの熱意を持っていないので当然執筆者にはなれない。つまりはそういう「自分がまったく持っていないものを大量に読ませられる本」という意味でも、「イし本」はすばらしいと思うのだ。というか普通の同人系アンソロというのは本来、むしろ、「イし本」っぽいコンセプトで作られるものであって、推しと牛が異常なのだと言えないこともない。はたと気づく。