看護学校の試験が終わり解答用紙がおくられてきた。年明けまでに目を通してコメントを付け採点をして送り返す。先週送られてきたインタビュー記事の文字起こしを編集するのとどちらを先にやろうか。これらに費やす時間と、日々のルーティンの起こり・走り・着地のタイムスケジュールとの順列を考慮するのに、脳の演算能力を80%くらい用いる。時間のすすみが遅くなる。
時間が遅くなったぶんたくさん働ける。あまり脳の回転を使わなくてもできる仕事をはじめる。Gmailを開き、届いていたバーチャルスライドの圧縮ファイルをダウンロード開始。12.9GBのファイルを入手するのに20分ほどかかる。ダウンロードの間はひまになるので、その間に、学生が学会発表準備のために用意した参考文献のまとめに目を通す。よくまとまっている。あらかじめこちらが指定した論文以外にも検索を進めてくれており、いくつか新規の論文も読んでいる。大したものだ。ただ、まとめられた資料は、AIを用いたかのようにニュアンスが褪せている。「資料のまとめ」として優秀だが、「資料をまとめただけ」である。仮に、学生たちが、今回の論文を読んだ記憶が薄れたころにこの資料だけを読んで、論文のコアの部分を再起動できるかどうか。それは微妙だ。もう少し脳を使ってもらおう。追加で別の論文を読んでもらって、知識を知恵に育ててもらうか? それとも、もう一度同じ論文を読み直してもらって、まとめの分量を今の倍くらいに増やしてもらうか? どちらでもいいが、どちらのほうが楽しく取り組めるだろうか? 少し考えているうちにバーチャルスライドのダウンロードが終わりかけている。学生にさらなる努力を課すよりも、ここは私が彼ら以上の努力でそれに報いる順番かなと結論したところでダウンロードが終わる。学生にZoom会議の日程調整のメールを送る。「次のZoom会議で、今回発表していただく症例の私なりの解説をさせてください。日程は以下の中から選んでいただけますと幸いです」。メール送信しながらバーチャルスライドの入った圧縮フォルダの名称を変更してコンサルテーション(されるほう)フォルダに格納し、さっそく数枚のバーチャルスライドを開く。
看護学校の採点を明後日にしよう。原稿の文字起こしの編集を今日やろう。
ウンリーヒって言ったかなあ。ウンルーヒ、だったかなあ。ボスの言葉を思い出す。検索するとUnruhe? Unruhig? このあたりか? ドイツ病理学で用いられていた古い用語で、「不穏(粘膜)」を意味する言葉だというがボス自体も記憶があいまいだという。あきらかな癌の周りに存在する、癌とは言えないのだけれどどうもあやしい領域を、不穏粘膜と読んでかつての病理医たちはマークしていたとのことだ。今、日本の医学の世界でドイツ語はほとんど使われていないし、病理学のマニアックな古語など、GoogleはもちろんPubmedで検索してもヒットしない。ボスの勘違いかもしれない。でも、今回のコンサルテーションで先方から、「この粘膜が癌ですか、癌ではないなにかですか」とたずねられたとき、私はこの発音すら不明瞭なUnruhigという単語をふと思い出した。見たものをまとめて言い表すというのは本来こういうことなのだと思う。熟達の病理医たちが曼荼羅のように広がって相互にコネクトする所見の数々の重心を指で支えるように繰り出したひとつの単語は時を越えて私のもとに「そういうことはあるよ」という膨大な量のメッセージを送ってくる。私はコンサルテーションの返事を書きながらほかのメールを開く。昨日のウェブ講演のお礼が届いている。今夜の研究会の病理解説にかんする質問が届いている。再来年の学会のプログラム委員を頼まれている。妻の誕生日を今年は忘れていて怒られたので次は忘れずになにかをプレゼントしようということを考えている。mixi2に投下するダジャレのために常時脳の20%くらいを回している。メールの送信が終わったタイミングで古い友だちから憩室炎は病院に行かなくても直せるのかという質問のLINEが届く。文字起こしの編集を始める。