剣吉

膝がひえる。膝をひやすのはよくないと思う。よくないのだろうか? よくないと思う。膝の中に皿ちゃんがいるんだからあっためないとだめよ! ひざ掛けをする。皿ちゃんってなんだ。コナーか。ブライトマンか。皿ちゃんが突然あらわれたときの効果音が皿ちゃんぽん。5.1チャンネル皿ちゃんぽん。温まってまいりました。膝はひえたままだ。ひざ掛けをする。

先日のことだ。教え子からメッセージが届いた。「先生、一番好きな料理ってなんですか?」ここはじっくり考えておしゃれなことを言うのではなくてインスピレーションで瞬間的に返事するタイミングだ。とっさに思いついたものを答えた。「焼きそば」。フリックで放たれた「やきそば」の4文字を漢字変換しながら私は自分の指に心から共感していた。たしかにそうだ。まったくそうだ。私がこれまで食べたものの中で、最も好きがリピートしているのは焼きそばだ。そうだそのとおりだ。チャーハン、ラーメン、カレー、これらはとことん好きだが、結局のところ、焼きそばである。カツ丼、牛丼、イクラ丼、どんぶりめしをこよなく愛するけれども、畢竟、焼きそばである。ソース味でもいい。塩味でもいい。海鮮が入っていてもいなくてもいい。肉は何肉でもいいが、牛でないほうがいい。フライパンでもホットプレートでもいい。個人的には割り箸で食う焼きそばがうまいが別に普通の箸でもいい。

話は少し変わるが、焼きそばパンは、あっいややっぱり話は変わっていないけれど、焼きそばパンは、焼きそばとパンとを別々に食べたときの味がする。相乗効果が生まれていない料理の筆頭だ。焼きそばパンに求めるものは「焼きそばを手で持って食べられること」でしかない。パンが焼きそばのソースと油を吸っておいしくなったな~なんて感じたことがない。あくまでコッペパンと焼きそばだ。それがすごい。サトシとピカチュウが組むと1+1が3にも5にもなると言いながらやっていることはいつものビガジュエアアアウウウウでしかないのに似ている。1+1=2ですらないのだ。1+1=1+1。美しすぎる。ほかの具材ではこうはいかない。ソーセージでもチーズでも、コロッケでもチョコでも、パンに挟むと「パンに挟んだときだけ出現するうまみ」のようなものが出てくるものだ。しかし焼きそばパンだけは違う。すごい。涙が出てくる。涙は常に少しずつ出て眼球を潤しています。焼きそばはいじれない。焼きそばは揺るがない。美食家であろうと倹約家であろうと、庶民であろうと富豪であろうと、なんぴとたりとも焼きそばを焼きそば以上のものにはできないし、焼きそば以下におとしめることも決してできない。焼きそばの味だけは代わりがない。相対性理論における焼きそば度不変の原理は有識者たちに激震をもたらしエーテルや宇宙項を蹴散らして今なお今時空唯一のガルドとして私たちをあまねく包み込む。焼きそばは宇宙だ。今あなたがこうして読んでいるスマホも眼球もその間にあるものもぜんぶ宇宙なので宇宙なんてたいしたものではないです。

焼きそばより焼きうどんのほうがジューシーでおいしい。しかしたとえば一番うまい料理がうどんであったとしても一番好きな料理は焼きそばなのだ。今はなき北海道大学医学部剣道部が大学祭に毎年出店していた焼きそば屋のことを思い出す。天気のいい日は焼きそば。