猛烈に忙しいのだがおもしろいことを言う人があちこちにいておもしろいことをばんばん言うので、仕事をしながら、移動をしながら、目をこすりながら、おもしろいことを言う人のおもしろいことをおもしろく聞いている。そういう人の話はできるだけ「お化粧」しないほうがいい。口語・文語のバランスであるとか方言であるとか、言い淀み・フィラーの部分であるとか、重複表現やちょっとした誤字などもあまり矯正しないほうがいい。すべてに理由があるなんてことは言わないが、偶然の振動が伝わるによってかえってプルプルとシズル感が増すということが文章にもあって、そういう文章をすぐに校正してしまうと最終的に私たちの心にはなんのとっかかりもなんの傷もできなくなってしまい、ツルツルとお互いに触れずひっかかれず孤独のままに耐用年数を過ぎて砂になって消えてしまうだろう。
一方で文章をできるだけ読みやすくするのをなりわいにしている人というのもいるわけで、そういう人のおかげで世にはスッと目のフィルターをくぐり抜けて入ってくる文章がたくさん産まれる。というか、「ひっかかりを失わず、しかし余計な誤解は生まない、ぎりぎりのラインに文章を調整していく」というのが本来の校正とか編集の仕事だということで、そのプロの技術にはいつも敬意を払っている。文章というものを磨いてプロの作品にすることで読者の裾野はまちがいなく広がるのだ、なんでもかんでも前衛芸術みたいな文章ばかりになってしまっては業界がとがりすぎて受給のバランスも保てなくなるだろう。
つまり何が言いたいかというとそれは何も言わないほうがいいということなのである。誰かの書いた文章を直して世に出すのも尊いし、まったく手を触れずにそのまま出すのもやっぱり尊いということだ。こういった八百万の尊さみたいなものを最近はとにかくよく意識する。あっちもこっちもいいよね、人みなそれぞれ事情ありだ、と、訳知り顔の人ですっと後景に下がっていくシーンが増えた。
けっきょく私は読みたいものしか読めていないし書きたいものしか書けなくなった。インターネットが自分の知らない世界を次々に運んできてくれたのはたぶん数年前の話で、いまやAIの力で私にフィックスされすぎた私向けのオーダーメード情報しか飛び込んでこないから毎日SNSをチェックしていても目新しい情報なんて何も得られない。個人の発言の内容はどんどん研ぎ澄まされて刃のようになっていきネットニュースの信頼性は地に落ちており速報といってもそれはけっきょく大手の報道担当部門がオールドメディアに載せたばかりの情報を「速報」とかいってリンクで拡散しているだけなのだからあきれる。カスタマーがクリエイターの、ファンがアイドルの日常に直接アクセスできるようになって恩恵を得たのは畢竟ストーカーくらいのものである。みずみずしくてプロの手が入っていない情報の多くは偏向と勘違いのまぶされたプライベートコメントでしかなく、校正の入った情報のほとんど金もうけのアルゴリズムによって脳内麻薬の放出スイッチとの親和性が高い形にごりごりに整形手術されている。間はないのか。間は。口コミで本を探してアマゾンで注文する瞬間この本との出会いも結局は魔窟のようなSNSにお膳立てされたものなのだよなという事実に慄然として少し涙ぐむ。おかげでドライアイが防げて私にとってはかなりのメリットがあったと確信していますので納得の★5です。