なぜかはわからないが近頃、ブログのタイトルにカタカナを用いる機会がじんわりと増えている。自分の心を掘る。「カタカナ タイトル なぜ」。あまり意識していなかったのだけれど、たぶんこうだ。
ここ1年ほど、ブログに書く文章にあまり改行を用いていない。意図的に改行するときは大さじ一杯くらいの揶揄や皮肉をこめていたりする。「ほら最近のウェブ記事はこれくらい改行したほうが見やすくていいんだろ?」。そうやって書いた記事を最後に見直して、「なんか画面黒いなあ」と思って、タイトルくらいはヌケ感出しとくか、スカスカにしとくか、スタイリッシュにしとくか、本文が脂ギッシュだからな、ガハハ、みたいな感じでいやらしくカタカナのタイトルを選ぶ。
たぶんこうだ。言語化しながらうんざりした。
2年くらい前はまずタイトルを書いてそれからよしなしごと的に書き進めていくスタイルだった。当時、そこまでカタカナタイトルが多かったわけではない。だからやっぱり、本文とのバランスを考えてカタカナになっているんだと思う。
「諸般の事情によりこちら側につく」みたいな行動を取りがち。やりすぎると「あえて悪役を演じる」みたいな演劇臭が出てしまうし、逆張り野郎という二つ名をほしいままにするリスクもある。ところで「ほしいまま」を「恣」一文字に圧縮できるのすごいな、漢字ってもはや次元圧縮の世界だな。蔘(ちょうせんにんじん)。さておき。テレビのクイズで芸能人たちがマルかバツかを選ばされ、スタジオの中を右と左に移動させられる、みたいなシーン、もうあまり見る機会もないけれど、10人くらいの参加者がいるときに途中、7-1くらいに偏りが出ると、最後のふたりのうち少なくとも片方は「じゃ、こっちにしようかな」と1の側に寄っていく。あれはいったいどういう社会的感情によってそうなっているのか。ディレクションを手伝っているのか。そこまで考えずに「少ないほうがかわいそう」みたいな理由で選んでいるのか。テレビの場合、「少しでも長く画面に映るために少ないほうの選択肢をとる」という戦略はありそうだ。その意図がない場面を別に考えないと今回の私の行動の解析にはあまり役立たない気もする。役に立たないことをするからいいんですよ。衳(ものしたのたふさぎ)。えっこれ本当に一文字で表すべきなの? ごめん、ふつうはもっと漢字を使います。だよねー。実用的じゃないもんね。で、ほんとはどうやって書くの? は、はい、こうです。裳下犢鼻褌。ええー「した」以外まったく読めないんだが? うさぎどこだよ? うさぎではなく「たふさぎ(とうさぎ)」です。鼻はどうしたんだよ? てか最後ふんどしじゃねぇかよ。はい、じつはものしたのたふさぎというのは女性用の下着というか下ばきのことでしてある意味ふんどしでもあります。うわぁ賢くなった。なってないが。
イ デ ア
バランスとってちょっと白くした。「イデア」という単語にはなんだか黄色のイメージがある。アメリカ人にとって太陽は黄色なんだって。だから「レッドサン」って書くと「斜陽」のイメージ、プラス日本人のイメージ(国旗)になるらしいよ。それ米粒写経の映画談話室で聞いた話のパクリだろ。すみません。中身スッカスカなんでタイトルでバランスとっておきますね。