(※わからない人はいないと思いますが、松手逆煮勇子(まつてぎゃくに ゆうこ)はラジオドラマ「あ、安部礼司」に登場する人物で、「待って、逆に言うと……」が口癖です。
目に血溜まりが出た、首を傾けると手がしびれる、最近下痢がとまらない、こういう、絶妙に気になるんだけどたぶんほっといても大丈夫だけどでも素人判断は危険、みたいな体調不良。めんどくさい。特に、自分がこうなったという話を、医療従事者に軽く話すのが最近ほんとにめんどうで、なるべくやらないようにしている。自分でひっそりと抱え込む。とかく、やつらはみんな同じことを言う。一度眼科に行きなさい、一度脳神経内科に相談しなさい、一度消化器内科にかかりなさい。ただしい導きなのはわかっている。私だってその結論くらいとっくに思いついている。その前になぜ一言、「うわあ大変だね」「えっそれしんどくないの」「ありゃあいやだねえ」が言えないのか。ぽっとシェアした不安に対してなまじ専門的な知識があるやつらは気持ちを受け止めることをせずに一直線に「エビデンスでみちびかれる最高のアドバイス」を試みる。なにもわかっていない。「まずは騙されたと思って一度病院へ」。うっせえバアアーーーーーーーーカウンター(コンプライアンスぎりぎりセーフにする技術)!
私たちが全員で共有している最も強固なエビデンス: 人間の生命というものは紆余曲折あってもせいぜい誤差100年の間のどこかで必ず死に着地するということ。これだけはぜったいに動かしようがない。対処不可能。克服あきらめよう。何をやっても治癒のありえない「いつか必ず死ぬという病」に全員がかかっている。だからこそ、そこはもう見ないようにしている。医療というのはすなわち「どうやっても治せない一番くやしい部分」をとっくのとうにあきらめて、「もしかしたら治るかもしれない部分」、「ほうっておくと思ったより早く死ぬ部分」という、2番目に気にしておきたいところ、3番目に気にしておくべきところに逃げ込む仕事と言って差し支えない。いちばんほしいものを提供できないで、次にこれがおすすめですよとごまかしている悪徳業者のハシリ。だったらせめて、ホスピタリティのいろはのイとして、いつか死ぬまでの気休め、たかぶったりふるえたりしている気持ちをおだやかにやすらいだ状態にしてもらいたいという、ケア、伴走、「あらまあ大変だね」の一言が先行すべきだということに、なぜ医療従事者はまっさきに気付かないのか。
ほんっとうに気づかないんだ、やつらは。とくに相手が私だった場合にはもう、めっぽう。
こういうことを書くと必ず「どこどこ病院のなんとかという伝説的なナースはそのあたりがとてもよくわかっていて」みたいなことを言うヤカラが出てきたものだった(もうSNSに触れていないので感想も飛び込んでこない(というか読んでいない)ので今は快適)。それにしても私は伝説とまでは言わずとも、少なくともその仕事っぷりを信頼している人にしか自分の体調不良のことを告げないし、最前線で働く普通に一流の医療人、おそらく仕事で患者に接するときにはそのへんの「まずは不安をいっしょに持ちますよという姿勢」という基本のキの部分を絶対におろそかにしていない、そういう医療従事者にだけ狙って話しかけている。それなのに。ああそれなのに。問うた相手が私だとわかった瞬間に「病院行ってくださーいw」と単芝で2秒で返されるのだ、たまったものではない。一族郎党は音に聞け。医療従事者になんてなるものじゃない。自分がこっそり不安なとき、世の中で一番頼れるはずの同業者たちが、ぐんと冷たくなるんだぞ。まったくとんだデメリットだ。こういうことを書くと次に学会場で出会ったときに、こっちがまだ何も言っていないうちから「それはwwおつらかったwwwwですねwwwwwww」とか複数芝で煽ってくるのだからなおさらやってられないのだ。バーーーーーーカード、マイナン(倒置法)!