ブログ屋の末路

私は上り詰めることのなかったひとりの弱小ブロガーだ。したがって同好の士のことはいつも気にしているし、頂点でしのぎを削る者たちのこともいまだに追いかけている。しかし「書籍化決定」がもはや古語になってしまった昨今、ブログは、誰かの目に止まって一発当てるという山師の手慰みではなくなり、周到な計算と張り巡らされた術数によって小銭をかき集めるための相場師のルーティンに変わってしまった。結果、正直、申し訳ないが、つまらなくなったものが多いな……と、自らを省みることなく臆面もなく恥も外聞もなく言い放つ。一流ブロガーたちの文体は、かつてないほどに研ぎ澄まされ、冒頭の一文を読むだけで隠しきれないアイデンティティが読むものの白目にハンドルネームを焼印する。サインに毎回日付と場所と宛書と雑なイラストをつけるのは転売対策なんですよ。それはアイデンティティ以外のものが一切記帳されないちょっと長い名刺だ。自己紹介が終わらない。だ・れ・か。自ッ己紹介 止・め・て。自ッ己紹介 むーねが むーねが く~るしくなる(記~事のネタになる)。

私たちは他人の名刺を読むのに月数百円ずつ課金している。サブスクリプションだからお得! 実際には期間内に決まった数の投稿しかされないから普通に記事の単価が計算できるのだが公然の秘密というやつだ。かつてあるブロガーはTwitterで偶然バズって名が売れた。これを追いかけていればいつもおもしろいものが読めるはずだ! と誰もが価値を感じた。会員! サロン! 囲い込み! メールマガジンでファンクラブ(事務局)から定期的な課金のお誘い! アプリでログインしないと読めない限定記事は、かつてバズった記事が一番おもしろく、ほかは基本的に余力、余談、付録、おまけ、電子版限定巻末4コマ、ローンで延々と利息の部分を支払っているような気にさせられる、すなわち実体はサブスクではなく満足感のリボ払い。

私は何も得られなかったひとりの泡沫ブロガーだ。先日、肝血流動態・機能イメージ研究会というマニアックな会で発表をした。会の重鎮が質問に立ってくれた。「先生の今お話しになった内容は、私たちがかつてCT/MRIで研究してきた内容から導かれる現在の結論の一部とは矛盾するようにも思うのですが、そのあたりはいかがでしょうか」。私はまったくごもっともだなと思いながらこのように述べた。「複雑系の込み入った因果のなかからどれを選んでひとつの筋の通ったストーリーにするか、という話かと思います。先達の作り上げられた理論には私は妥当性があると感じていますが、異なるエージェント、異なる解析手法、異なる物理法則を用いて別の角度から物性を検討するとき、一見して以前のエビデンスと矛盾しているように見えたとして、それはどちらかが間違っているというのではなく、複雑系の解析というのが本来そういうものであると理解したほうがいいのではないかと思います」。ほぼこのとおりの回答をしながらその瞬間私は「こういう煙に巻くタイプの言説は私の場合、まちがいなくあのブログの日々によって鍛えられている」と察して瞬間的に落ち込んだ。CTの造影剤と超音波の造影剤では粒子のサイズも粘性も異なる上に、間質との関係も異なるし、流体としての力学も違うので、同じ現象に対して同じ結果が出るわけはないし、これらの一見相異なるデータはAIの到来によってようやく人智を超えたところで統合解析できるようになるはずなのだ。すなわち私の言っていることは間違ってはいない。しかし、だったら最初からきちんとデータとプラクティスで話せばいい。ものを見せればいい。その場の質疑応答なのだから完璧に答えることはできないにせよ、データ・ドリブンの姿勢を崩さず、そこで言えることだけを誠実に返事すれば、ほんとうはそれで十分なはずなのに、つい、会場のみんながいいねを押してくれるかどうかという判断基準に流されて、「やりとりに対して一番おさまりがいいセリフ」を選び取って、学術的にはふんわりとした回答を返してしまう。ブロガーとはかくも罪深い生き物だ。私はブロガーである自分に侵略されている。

これは副作用だ。Adverce effectである。私はブログを書き続けていることで、このように、実害をこうむっているにもかかわらず、それでも書くのだから中毒性もある。ブログとはリボ払いであり違法薬物なのだ。子どもに絶対に近づいてはいけないよと教える3つの悪行のうち、2つがブログには備えられているということになる。もうひとつは何かって? そりゃあ、闇バイトですよ。闇バイトブログというのもあるんだろうな。