てで終わる文章はやめたほうがいいと思います

全国ツアー真っ最中である。全身がばきばきに痛い。お金をもらえる仕事よりもお金を失う仕事のほうが多い。移動時間が長くて腰痛と痔が過去最高に悪化している。しかし、まあ、じつをいうと、今がいちばん精神が健康なのだ。SNSもろくにやってないしな。これけっこうでかいかもしれないな。SNSってのはほんとうに、やっている間中ずっと、健康を消費して攻撃力を高める、FFでいうところのルーンブレイドみたいな武器だった。おかげで私は今、孤独さは増したが、すこやかさを取り戻したような気がする。ただしそれが体の健康にまでつながるわけではない。なかなかむずかしいところである。

老人は一日中体調不良の話ばかりするというが、今の私もそういう状態だ。自分に一番近いところにある肉体がままならなくなっていくというのは、確かに大きな話題になる。みずから体験してみて実感する。しかし「体験」とはなんともニクい漢字の組み合わせだな。身体は精神と密着していて心におおきな影響をもたらすものである。ところで今、何気なく書き飛ばした文章の中に、「自分に一番近いところにある肉体」というフレーズがあるのを見て、考え込んでしまう。私は体と精神はべつのものだと、心のどこかで了解しているのだなあと、自分の指からタカタカ出てきた文字を見て実感させられる。そうか。べつなのか。今の私にとっては別なのだ。だから体の不調について書くことを、どこか、いつも、恥ずかしいと思っている。精神の話でもないのにおおげさな、と、自分で自分にダメ出しをしている。そこまで厳しく分けなくてもいいのにな。分けてしまっていたのだな。

ISO15189の手続きで検査室はおおわらわだ。昨年認証を受けたのだが、今年はやくも2022年度版への更新をしなければいけないとされ、なんとも厳しいことに2年連続でISOがらみの業務を行い続けている。これによって検査室がキリッと引き締まるのでまあよいことではあるのだが、引き締まった検査室からぼろぼろになって抜け出てやめていった技師たちも複数いるわけで、まじめに厳密にものごとをカチッカチッとマニュアル化して、クオリティマネジメントシステムを運用していくという、社会人なら誰もがなんとなくやっている、他人が見ても恥ずかしくないように整えていくこのありよう、何も悪くない、ほんと、心からありがたいことだが、うんざりするほど疲れる。早く終わらないかな。ISOの仕事の大半は臨床検査技師たちがやってくださっており、検査部長である私は統括して責任を取るまではするけれど、実務担当する範囲なんてのは1%もないので、私が音を上げていてどうするという気はしないでもないのだが、それでも、私の今の眼球の痛みの0.01%くらいはこのISOのストレスによるものなのだった。しかしそういうことを人前でべらべらしゃべるわけにもいかないのでこうして人前以外の何者でもないのにどこかアングラな香りのただようブログにこっそりと書いている。

地方会、全4回の運営がようやく終わった。これから引き継ぎだ。査読、査読、毎日のように査読依頼が来て、さすがに全部は引き受けられなくなって最近はちょいちょい断っている。申し訳ない。他部門のスタッフが書く論文の指導。研修医たちが発表する学会プレゼンの指導。自分で発表するプレゼンの作成。ある専門学校から非常勤講師として来てほしいと言われたのだが時間が折り合わないのでどうしようかと頭を抱えている。診断。むずかしい診断。ようやく書き終えて他の病理医のチェックを受けてなんとか提出した診断を、数日後に見直してみたら、一箇所だけ、読点と句点が入れ替わっている場所があって。意味が通らないわけではなくて。ウェブのへたくそな対談まとめのようで。◯◯と思っていて。△△ということがあって。「て、なんだよ!」と突っ込みたくなるのは、私の精神が老いさらばえて弱っているからで。残りHP1でもメガザルは撃てて。