点のすべて

1年くらい寝かせている原稿があって、そろそろ書き始めないとなと思っている。編集者が急いで書くなと言った。いつもの私ならさっさと3週間くらいで書き終わっていただろう題材だ。最初に勢いをつけてえいやっと進めればおそらく8万字くらいまでならすぐに書けた。しかし私は言いつけを守った。もう書けるなあと思っても書かず、あるいは、ちょっと書いてそれっきりほっぽらかしにした。そこから四六時中、これは比喩とか言い回しとかではなくて本当にいつも、頭の中でその生まれかけた原稿が、今後どういうふうに私の指から出力されていくのかをシミュレーションし続けてきた。その出力されたものを時間をおいて読み返したらどういう気分になるだろうというのもシミュレーションし続けてきた。

そして今回の、この原稿こそは、私のすべてになるのだろうという気がした。

瞬間的なすべてはこれまでも書いてきた。その時点、その点でのすべては、いつも書き表してきた。しかし今回に限っては、点ではなく線となった私のすべてを書くことになる。あるいは面かもしれない。立体かもしれない。点のすべてではないものだ。それはとても背筋が伸びることだった。


今日、出張続きで、メールが溜まっていた。いくつか圧の強いメールも届いていた。出張と出勤のすきまにぽかんと空いた半日に出勤。これらのメールに返事を書いた。そして、ああ、今、おそらく書けるなあと思った。私はついに、書きかけていた原稿のWordファイルを開いて続きに取り組み始めた。そして。

ああ、ぜんぜん書けない。こんなに考え続けてきたのに。

脳内でこねくりまわしていたものはいつしか文字や音ではなくなっていた。とろけてにじんで踏み越えて腰がくだけていた。茫漠としてふしぎにねじれてかさなりあう、残響、空気の波、そういったものが、脳の中で、固まる前のコンクリートのようにどろどろとうずまいて、それに私はこの1年まみれてきた。はたして今、ここにある書きかけの原稿が、その一部を捕まえているのかというと、私にはどうしてもそうは思えなかった。半年くらい前に書いてあった原稿を私は消した。いちから書き始めないとだめだ。しかし、すべてを更地にしても、新しく何かを書き始めようと思っても、今度は最初のひとことがどうしても決まらない。書けない。私は私のすべてを書けない。

すべてなどは書けない。

せいぜい、点のすべてしか書けない。

線のすべては書けない。

面のすべては書けない。

切り分けなければ書けない。

それは私が、この原稿でこれから、語ろうと思っていることそのものなのだ。つまり私は、原稿を書くために1年間ずっと考え続けてきたまさにその考えによって、自分の書き方を縛って、破壊してしまった。

そうやって断片化したおかげで、かえって、私は私を分析しやすくなるのかもしれないと思った。